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安倍元総理の死の意味を考える

7月8日、日本中に衝撃が走りました。
安倍元総理のご冥福を心よりお祈りいたします。

死についてブログを書かせていただいているので、安倍元総理に畏敬の念を抱きつつ考察したいと思います。
死についてはさまざまな意見があって良いと思います。
私自身の考えを書いていますので、そういう考え方もあるんだなぁという感じでご覧いただけたら有り難いです。


1.なぜリアルな映像を見せられているのだろう?

安倍元総理が倒れた瞬間の映像が日本中に拡散されました。私はYouTubeで観ていましたが、血の気のない顔でまさに心臓マッサージが行なわれようとしている瞬間や、血のにじんだ胸元までも映し出されていました。発砲した瞬間の煙や、犯人を捕らえるところも。

私はなぜ、こんなリアルな映像を見せられているのだろう?と思いました。通常ならサイト側が削除するような映像なのに。公の場での出来事であり、一斉に拡散されてしまったので止めるタイミングがなかったというのもあるかもしれない。だけど目を塞ぎたくなるような、怖い映像を日本中が目にすることになりました。

きっとそこに意味があります。なぜなら死には目的があるからです。ただ単にその人がいなくなるだけじゃない。生きている時には言葉にできないメッセージが込められていると考えます。

公の場で、大勢の人が見ている場所で、カメラがたくさんまわっている状況で、あの亡くなり方。それだけ多くの人に衝撃を与える最期を選んだのは、安倍元総理だからだと思います。不謹慎かもしれませんが(さすがだ)と思いました。

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2.なぜ急にいい人に変わるのだろう?

どんな人であれ、一方的に命を奪われて人生を終えることがあってはならないと思います。突然、未来を断たれた安倍さんや夫人を思うと悲しくなります。ですが何故か、それ以上のことが書かれているコメントを多く見ました。

安倍さんが総理大臣として務めているときは、さほど興味を持っていなかった人が多かったと思います。大企業の立て直しは出来たかもしれませんが、一般庶民の暮らしは変わりませんでした。コロナ騒動のこともあり、いちばんよくお顔を拝見した総理大臣ですが、アベノミクス、アベノマスクと揶揄もされていました。

それが何故か、亡くなった途端に「素晴らしい人だった」「日本のために尽くしてくれた」と一転したコメントが並びました。葬儀の日には、沿道から「ありがとう!」の声がたくさん飛び交い、一週間を過ぎても献花に訪れる人が絶えません。私の知り合いも、さほど政治に興味を持っているわけではありませんが、涙を流していました。この変わり様は何だろう?と皆さんは感じなかったでしょうか。

人は肉体を失うと、その瞬間に魂に還ります。ただ居なくなるだけではなく、根源のピュアな状態に還るのです。それは自我の無い、聖なる存在です。私たちはその変化を無意識的に感じ取り、急に「いい人だった」という認識に変わります。

亡くなった人をあまり悪く言う人はいないと思います。それが純然たる魂であり、私たちは無意識的に魂の交流をしています。

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3.魂には目的がある

私たちは四次元で生活しているため時間は過去から未来に流れていると思っていますが、五次元以上の高次元では、時間は未来から過去に流れていると認識します。今の時計は針が動く西洋式時計のため、時間は過去から未来に流れているように感じてしまいますが、その昔は日本時計というのがあり、針ではなく文字盤が回るため、日本人は時間が未来から過去に流れていると認識していたという説もあります。

時間が未来から過去に流れているとするならば、魂には目的があると考えられます。潜在意識は常に、すべての存在にとって最適な状況を招きます。安倍元総理の死にも何か意味があるはずなんですね、それは何でしょう?

事が起こった状況が物語っているかもしれません。「公の場で、大勢の人が見ていて、カメラがたくさんまわっている状況で、自民党の選挙演説の応援をしていた」ここから考察することができます。


わかりませんが、安倍さん自身が心の中で葛藤しながら、選挙の応援演説をしていた…のではないかと考察します。この世には目に見えない作用があり、因果の法則(引き寄せの法則、波動の法則も同じ)で考えると、常日頃自分の抱いている感覚が、いずれ物質界に現れます。時間を重ねれば重ねるほど、返ってくる作用は大きくなります。

安倍さんは歴代総理の中で最長の在籍期間でしたが、長い間、本心では望んでいないことに取り組んでいたのではないでしょうか。とても愛国心の強い人だったようなので、本当はもっと国民のための政治をしたいけれど、何かそうできない力が働いていたのではないかと推測します。

私は彼の死に様を見て、本心を知ったような気がします。彼の魂が、このままでは終わらせないために、あのような衝撃的な最期を選んだのではないかと思いました。

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4.すべての人に責任の一端がある

犯人が行なったことは決して許されることではありませんが、同じ状況を繰り返さないために、一旦その善悪基準から離れて全体を俯瞰する必要があります。宗教団体と政治家の関連についても取り沙汰されていますが、それも一旦横に置きましょう。

私たちが考えるべきことは、“犯人はなぜそういう行動をとったのか?”ではないしょうか。すべての言動や行動はその人にとっての自己表現です。彼はきっと“こうするしかない”と思って決死の覚悟で銃を作ったと思われます。ではなぜ彼は銃撃という形でしか自分を表現できなかったのでしょうか。

それは社会に問題があると思います。今の社会が、彼に“それしかない”と思わせたのではないでしょうか。ならば私たち一人ひとりも社会を構成している一員であり、責任の一端は自分にもあります。あいつが悪い、このやり方が悪いと言っているうちは何も変わらないだろうと思います。


立憲民主党の小沢一郎氏が「自民党の長期政権が招いた事件と言わざるを得ない」と発言して注意を受けたという記事がYahooニュースにありました。発言自体は揶揄されることかもしれませんが、一理あるかもしれません。

悲劇を繰り返さないために、今の自分にできることは何でしょうか。安倍元総理の死を無駄にしないために、日本は何に気づかねばならないのでしょう?

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5.すべての死はメッセージ

“死に様は生き様”という言葉があります。それは、こういう死に方が良い、こういう死に方が悪いというのではなく、死が表す意味を見出したときに観えてくるその人の在り方です。そこには何かしらの課題があり、次世代に託されたその人の想いのようなものがあります。

安倍さんが政治活動をしているときは感じていませんでしたが、彼の死に様を見て、偉大な魂の持ち主だったことを知りました。世界中に衝撃を与える亡くなり方をしたのですから。きっと世界中の政治家が、過去のよく似た出来事を振り返ったことでしょう。そしてわずかでも自分事として想像したのではないでしょうか。

私も父が亡くなったとき、多くの人に会い、話を聞いて、初めて父の生き方を知りました。そして、死の意味がわからず、死を避けて働いていた看護師の私に身をもって死の意味を教えてくれました。よって、今私はこうして文章を書くことができています。

人生の最期に立ち会わせていただける看護師になったことを、今は有り難く思います。
あなたの大切な人の死にも必ず意味があります。

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