野村俊介 Shunsuke NOMURA
急に入院患者になってしまってずーっと寝て過ごしてたけども日記でもふと書いてみようかと。 このまま習慣付いたらいいなー。
入院日記も結局3日坊主どころか1日書いて飽きてるありさまですが、(なんなら第一回も書きかけ) これはとても自分の中で大きな出来事だったので書き留めておこうかと。 入院して、点滴+抗生剤の絶食生活を余儀なくされていたんですが、 この生活、お茶がかなり助けになりました。 当初は「まあご飯食べれないし、せっかくならお茶飲み比べまくって勉強するか」 くらいの気持ちで奥さんに「服と共にお茶と急須と茶葉持ってきてー」 と持ってきてもらったんですが ご飯ないのって、空腹とはまた違う
というわけでいきなり「あんま書くことないな、、」と頓挫しそうになった日記ですが いまだに絶賛絶食中です。 でも、少し炎症の数値がよくなってきたみたいで 早ければ明日からはご飯食べれるかもしれません。 本当お茶に助けられてます。 ふわっと香る茶の香りで 食欲ちょっと落ち着くもんなー。 でもこれは多分、朝に配られるインスタントの粉茶じゃ起こらない。。 みなさん、ほんと何かしらの不幸で入院&食事制限かかった時は、 何種類ものお茶と急須持って行った方がいいですよ。 お茶は紅茶でも
なんかね。 入院してからなのか、体調悪くした時からなのか、 悪夢を見るんです。 化け物に追っかけられて食べられるーうわー みたいなやつじゃなくてめちゃ地味な。 しかもね、見た後からどんどん忘れるから 内容がわからないんです。 でもその見る悪夢の中の世界線が同じなので 悪夢の中で起きてることは悪夢を見るたびどうも続いてるっぽいんです。(時系列が整ってるかはわかんない) あまりに覚えてないのに、 なんとなく悪夢の世界は続いてて 寝てみるたびにまた「あーこれだったー」 って
と言うわけでいきなり始めてみました入院日誌的な日記。 まあなんか自分への振り返り、って意味もあるし 100%プライベートな内容ですけどまあたまには興味持つ人もいるかあ、ってのと 全く誰も読まない文書って書く気が起こらないので 冷凍されてたnoteでつらつら書いていこうと思います。 丹波医療センターのベッドの上で汗だく蒸れ蒸れシャツを早く着替えたい、、と思いながらぽちぽち文章を打っています。 そもそも、なんでこんなことになったのかと言うと 始まりは先週木曜日 (ってもう1
昨日、取材を受けた原稿を読んだあと、 寝る前にスマホでマリオカートしてて あー。俺、競争向いてないんやなーと突然実感。 マリオカートやっちゃうんやけど、 めっちゃ冷や冷やしてイヤーなドキドキが終わった後に残る。 もらった原稿に 「仙霊茶はアワードに出さない」 (と自分が話した) と書いてあった, それは、従来の品評会だけではなく、 これから作られるものにも出したくないなと思ってる。 「上を目指すぞ!」とか ってポジティブな感情は一切湧かずに 「せっか
なんだかんだ、月一更新くらいですよね。すみません。 今年は、いや今年も変な気候だった。 千葉で事業をやってる友人は、倉庫が一棟潰れたらしい。 「もう日本は亜熱帯だね」 との発言に、なるほど、、今後そうなっていくのかもな。。と思った。 農業としてのお茶が、有り難いのは お茶は木なので、ずっとそこに生えてる事。 農業を始めた最初は、胡麻と生姜をしていたけど植えるたびに「今年は全滅だったりしてね。。」と思ってた。 無農薬・無肥料、しかも比較的サボりがちな野村の農法だとその
松倉くんの力添えのお陰で、 スターバックス リザーブ ®️ロースタリー という東京でも最新のオシャレスポットにて しかもスタバにて、 「お茶のサステナビリティを考える」 というテーマで6人スピーカー(一人俺) で話す。 というトークセッションに出た。 中目黒のスターバックス リザーブ ロースタリーは、ビル一棟まるまるスターバックス。 各フロアそれぞれにテーマがあって、 TEAVANAというお茶のブランドのコーナーもある。 バーカウンターもあって、お酒も飲める。 内
すっかり記事投稿がおろそかに。というわけで短い文を。 新茶、5月に無事収穫完了。 本日は敬語書きやめてみる。 いや、無事でもないか。実は5月7日に霜が降りた。 お茶にとって霜は天敵で、よく言われるお茶摘みを開始する 「夏も近づく八十八夜」がなんで八十八夜なのか、っていうと 「霜別れ」と言われてこの日以降は霜も出ないから。という意味だとか。 霜が降りたお茶の芽は、日が経つにつれどんどん赤黒く変色して枯れていく。 一番茶の収量に大打撃を与える霜を防ぐべく、多くの茶園には防霜フ
ただいま、平成最後の夜です。 てなベタベタなことを書いてみる。 あんまし元号にこだわりありませんが、 周りがやいのやいの言い出すと「けっ」となって 「別に元号変わったくらいで何か変わるかよ」 とか言いたくなるくらいにはひねくれています。 実は引っ越しました。 茶園から車で3分の家から、歩いて3分の家に。 前の家はオール電化、組み込みの食器乾燥機があったり、 ボタン一つでお風呂のお湯が張られたりする家だったんですが 今回の家はTHE古民家。。に増築を行って現代に対応した家。
せっかくnote始めたのでマガジンだけじゃなく 日々思ってることを書いてみようかなと。 サラリーマン時代、10年東京に住めたのはとても良い経験だったなーと心から思う。 東京にたくさん友達も出来たし。こうして楽しい飲み屋街も知ってるし。 東京が本当に楽しかったのは、みんなみんなエネルギッシュなところ。 ここはエネルギーが無いのに生き続けるにはコストが高すぎる。 そのエネルギーは自分も刺激してくれたし、さらなるエネルギー源として大変有用に機能してた。 田舎に移住したのは、
今、ぬえさんと会社のロゴを作っている。 ぬえさんに仙霊茶のスタートアップの相談をした際に立ち上がったのが 会社ロゴの設定。 「仙霊茶」のロゴ、現行のもあるし、仙霊茶復活のための事業組合が発足した際に 大学生が素案を書き、デザイナーさんがまとめたのが今のロゴだった。 特に不満もなかったし、作ってくれた学生やまとめてくれたデザイナーさんの事を考えると差し替えもどうかな。。と思っていたが変えようと思う。 現行ロゴは「仙霊茶」だが、 元来ついた名は「仙霊」。今後、お茶以外もこの地か
「仙霊茶って、なんのお茶?キノコ?」 それは霊芝。。仙霊茶は宇治茶や静岡茶と同じチャノキから作られるお茶。 まあでも気持ちはわかる。 ここ神河町で作られているお茶の名前、 「仙霊」は、およそ三百年前に名付けられた。 神崎粟賀(現神河町粟賀)の「生蓮寺」と言うお寺の六代目・定空上人が 「この地はお茶栽培にむている!」と周りの農民にお茶の栽培を奨励したのが 享保元年。1716年。 少し時間が経って享保十年・1725年に、 京都・宝鏡寺22世門跡の本覚院宮から、「仙霊」と書い
・自己紹介 みなさんこんにちは。おおよその人が初めましてと思います。 野村俊介と言います。ひょんなことから茶農家になりました。 茶園が綺麗で気に入りすぎて茶農家になったんですが 茶の知識ゼロだったので日々勉強しております。よろしくお願いします。 野村側からはお茶の話や茶園の話やらできたらと思ってます 豊劇で、松倉さんの講演を聴いたときに 「ぬおおすげえ人がいる!」と思ってFB友達申請して、 芸能人の記事でも見るように投稿見てたんですが、 まさかこうして共同で文章を書く事にな