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ブルックリン物語#15 その手はないよ “Don’t Be That Way”

アムスのスキポール空港からJFKまでおよそフライト時間は6時間半くらいだろうか。ロス~NYにすこし毛が生えたくらい。暇を持て余すほど長くない。喉を潤し機内食にありつけるとすっかり「空の主」気分。気に入った映画をみて、テトリス(ゲームの一種)やって、持参した短編小説読んで、一気に眠くなる。

午後1時過ぎのフライトのためにホテルを出たのは早朝9時半。ぼくは、通常3時間前に空港に着くようにする。慣れていない場所では何があるかわからないからなのだが、遠足で早起きする子どもと基本は変わらない。空の旅が大好きなのだ。

GVB カード(アムステルダムで使われているメトロや電車、トラム、バスに乗れるトークンのようなカード)を翳(かざ)して、「ぴっ」という反応音とともに改札が開き、メトロのホームに入る。ホテルの最寄り駅はアムス市街地と空港との真ん中くらいのロケーションだったので、1駅だけメトロに乗り、そのあと電車に乗り換えると1駅で空港。

GVBカードはチェックアウトでもう一度翳して「ぴっ」という音をもらわなければ延々に課金される。案の定そそっかしいぼくがそれに気がついたのは、スキポール空港の出発ロビーを悠々と歩いている最中だった。

しまった。でも考えてもしょうがないもんな。ドンマイドンマイ。

アムスではオランダ人の合理的な性格に何度もびっくりした。Go Dutchという言葉があるくらい、何に対しても彼らは表現がストレートでてらいがない。そんな彼らを見習い、くよくよ考えず先へ進むことにしよう。

荷物を預けるセクションの長い列で、その新しいシステムを見てびっくりした。オランダ人は発明の天才、合理性の猿だ。ダストシュートのような網のドアがあり、チェックインの最終確認がクリアした人から、自ら傍のディスプレイで操作し、自分の荷物をその網の内部に置く。超加していない重さかどうかをチェックして大丈夫だったらクリック。するとBAGGAGE CLAIM TAG(荷物につけるタッグ)がにょろっとマシンから出てくる。それを荷物につけ、網をもう一度下ろせば、荷物は目的地へ向かう飛行機へ自動的に運ばれる。控えのタッグをクリックして受け取れば、あとはもうX-RAYやパスポートコントロールへ行くだけ。まさにGo Dutch!

3時間前に来ているので、時間を潰すべく日本食のデリでラーメンと寿司を試す。異国で食べる和食ほどワクワクするものはない。どこかとぼけたその味が、日本への郷愁を喚起させる。PCの充電ができそうなアウトレット(コンセント)のある場所を探す。この日、ボーデイングタイム(搭乗時刻)が遅れたので、時間潰しに持参したテニスボールを背中と壁の間にいれてマッサージ。ごろごろ、くりくり、そんなこんなであっというまにボーデイングタイムになる。

ふふふ、今日はどんな「空の遠足」だろう。チェックインの時、「いってらっしゃい」と地上係員から言われると、コリをほぐした背中から羽根が生える。

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満席だった。

慌てて飛び立ち、あっという間に雲の上の人になるやいなや、一回目の食事の時間。ディスプレイでテトリスをしながら余裕で飲み物と食事のサービスを待つ。この待つというのが飛行機に乗っていて一番ワクワクする時間だ。アムスでの旅を思い返しながら、NYへの空の旅を満喫する。

整然と並んだ席で、乗客たちはおもいおもいに映画やゲームを楽しみ食事をする。お腹が膨らむと、いつしかみな同じように眠りに落ちる。気がつけば窓から細い光が差し込み、2度目のフレッシュミール(目覚めのごはん)。そうこうしているうち6〜7時間の旅などあっという間。空の遠足はなんて素敵なんだろう。となるはずだった。

オランダ語と英語を巧みに操るアフリカ系のハンサムな青年フライトアテンダントはいかにもプロという手際の良さで、ぼくの席のセクションを牛耳っていた。

彼のユーモアに何度も笑い声が起こり自分でも満更でもない、それがまた彼の動作に拍車をかけていた。彼が担当するのはぼくの列までの10列ほど。

今日は野菜とチキンの選択肢があった。あちこちで野菜を!の声がする。ワインや水、ビールなどがまず振舞われる。昨今やはり野菜が人気なのはわかるが、チキンもなかなかおいしそうだ。

ぼくはテトリスをやめてテーブルを食事仕様にする。横に座っているオランダ人のでかい青年はNYでレストランビジネスにでも関わっているのだろう。店の間取り図をチェックしたり、従業員の給料の精算をPCに打ち込んだりしている。

窓側の乗客にミールが提供される。「あらかじめ予約した野菜の食事ですよ。どーぞ」完璧。だがこのあたりからなにやら雲行きが怪しくなる。どうやら野菜が出過ぎてチキンしか余ってない。「選択の余地がなくなりました。ごめんなさい。チキンです」ぼくの隣のレストラン青年は別のアテンダントからトレイを渡される。「いいよ。チキンちょうど食べたかったから」さすがサーブする側の気持ちがわかっていらっしゃる。そしてぼくの番が来るはずだった。

僕のセクションのハンサムアテンダントの顔が豹変し、上ずった声が聞こえる。「食事が足りない。後ろのセクションから代わりのものをもらえますか」。後ろは後ろで金髪の女性のオランダ人のアテンダントが「こっちももうないわよ」雲行きが怪しい。

ぼくはひたすらお利口ポーズでお預けをくらった子犬のように待った。

20分は過ぎただろうか? 隣のレストラン青年も窓側の野菜好きも、もうごはんをほぼ終えてデザートタイム。

その時だ。

「Sir, Have You Ever Got a Your Meal?(もしお客様、もうお食事はすまされましたか?)」

ハンサムアテンダントがにこやかに尋ねる。こういう場合答えはもちろん「Not Yet(まだだよ)」だが、空腹のためか思わず焦って「Yes(ほしいです)」と言ってしまう。なんてバカなことを! でこの流れだとぼくの答えは「Yes (ほしいです)」ではなく「Yes, I have got  it (もう食べたよ)」の意味になってしまう。「No」と言うべきなのに。

「もう食事を食べたのですね?」(ホッとしたように)

アテンダントが念を押す。すると横のレストラン青年が「違う。彼はまだなんにも食べていないんよ」とぼくに代わって言ってくれる。

「Please!(くださいよ)」

おそらく泣きそうな顔だったと思う。食べ物の恨みは怖いんだぞ。

さらに10分ほど時間が流れる。それが5時間にも6時間にも感じた。JFKに着く時間ですがな。後ろのセクションのアテンダントがぼくのそばをそそくさと通りすぎ、カーテンの向こう側に消える。ぼくの担当のハンサムアテンダントもそのあとに続く。ぼくの近くには誰も寄り付かない。カーテンの隙間から、彼らはぼくの様子をうかがっている。

なんだかにらみ合いのような事態になった。さっき空港で寿司とラーメンをつまんどいてよかった。よく考えればたまたまこの飛行機でミールが一人分だけ足りなかったのは、彼らのせいじゃない。その責任を自分が取らされたくないのは西洋世界での常識じゃよくわかる。でもこれだけぎっしり詰まった機内で、ひとりだけごはんをもらえない人がいるなんて。それがこの空のごはんをこよなく愛する自分だなんて。とほほのほ。

乗客たちはみなほぼ食事を終えて、ぼく担当のハンサムアテンダントはそれらを片し始め、お茶やコーヒーを入れ始めた。

「ここにいるよ!」と精一杯自分の存在をアピールしながらも、「人生初のぼくだけ食事なし事件」はこのまま悲劇のフィナーレを迎えたかに見えた。

まさにその時だ。

「しゃーーーーー」おもむろに威勢良くカーテンが開き、ハンサムアテンダントが胸を張り、モデルのように登場した。通路は彼のランウエイ。ぼくの横で止まると君は1000%なお辞儀をして、テーブルにミールを置く。見るとチキンのトレイには申し訳なさそうにパンが1つ追加されて2個あった。

結局乗務員の誰かの分がぼくのところに来たのだろう。誰のミールをぼくに出すか、カーテンの向こうで「合理的な会議」がなされていたのかもしれない。すんでのところで食事にありつけたのだけれど、後味の悪い遠足だった。

空の旅を愛する人たちの中で、ミールをスキップされた体験をお持ちの方はいらっしゃるだろうか? いたら教えて欲しい。あんなに孤独でさみしい拷問の時間は、今までの飛行機人生の中ではなかった。でもそのあと、まさかの天使が舞い降りたのだ。

でも、ひとつだけ、咄嗟にハンサムアテンダントが言った一言。

「もうお食事はすまされましたか?」

その手はないよ、その手は。いくら合理的なオランダ人だとしても、こういう時は素直に行こうよ。それこそGo Dutch! じゃないの。

でも、これでまた空の旅話がひとつ増えたわけだ。

文と写真 : 大江千里

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その手はないよ “Don’t Be That Way”(1938)

曲 : ベニー・グッドマン/ エドガー・サンプソン 

ベニー・グッドマン楽団のレパートリーの中でも最も大ヒットした曲の一つ。1938年1月16日のニューヨークのカーネギーホールでの演奏は伝説となっている。

ベニー・グットマン

https://www.youtube.com/watch?v=kOO8Gzr__zc

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