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1軒目:レディジェーン・後編(全2回)

下北沢駅徒歩5分。商店街の喧騒を抜けた茶沢通り沿いにある1975年開店のジャズバー〈レディジェーン〉。20代は演劇に没頭し、30代を迎えるのを機に「論」と「論」を戦わせる場を、とあえて駅から少し離れた地に店を構えたオーナーの大木雄高さん。店内では毎日のように映画論、演劇論、そしてジャズ論が熱く交わされ、若き日の坂本龍一、野田秀樹らも通ったというこの店は、70年代後半にかけて次第に若者の間で話題となり始める。そして1979年、大木さんは近所の〈下北沢LOFT〉らと組んで手作りの音楽イベント「下北沢音楽祭」を企画することに。

※インタビュー前編はこちら

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下北沢音楽祭の発起人は僕とLOFTの平野悠、あとは当時あったビートルズ専門のバー〈独〉など5人の店のオーナー。みんなまだ30代でした。何度か会合を重ねて、広告代理店や業者を入れずになるべく自分たちの力で音楽祭を作ろうと。会場については、駅のそばの京王井の頭線の線路沿いにある800坪くらいの空き地を使えないかって話になった。そこはいま本多劇場がある藤和下北沢ハイタウンってマンションの建つ場所ですよ。その所有者である本多一夫さん(注:後に本多劇場をはじめ8つの劇場を開いた“演劇の街シモキタ”の立役者)に、「あの場所で地元発信型の音楽祭をやりたいんだ」と交渉したら快く貸して頂けてね。

開催日は1979年の9月1日と2日。地元の音楽祭なので参加者は下北沢に縁のある人に限定したんだけど、他にも出たいって言うミュージシャンがたくさんいました。それで初日はジャズ、2日目はロックの日とテーマを決めて、初日は亀渕由香、安田南、山本剛トリオ、大塚まさじらがメイン。2日目はカルメン・マキ&5X with Charがトリを務めた。でもどちらの日もいろんな出演者が入り乱れて楽しかったですよ。特にカルメン・マキは一番勢いがあった時期でね。それが1日券1200円、通し券2000円で観られるんだもん。確か2日間で5千人くらい集まったんです。

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会場が井の頭線の線路のすぐそばで、築堤の上を走る電車からは会場が丸見え。特に渋谷から来た電車は下北沢のホームに入る寸前、普段何もない空き地に群衆が集まっているのが見えるから「何をやっているんだ?」とみんな窓から身を乗り出していた。それは運転士も一緒で次第に減速する電車が出始めて、中には築堤の上で一旦停車する電車まで現れた。翌日の新聞には【電車を止めた音楽祭!】なんて見出しが出て、そのおかげか2日目は初日以上の人が押し寄せましたね。あとは雑誌を中心にマスコミがたくさん告知してくれたのも大きかった。注目された理由はやはり手作りの音楽祭って部分だと思いますよ。

下北沢音楽祭が成功したことで、レディジェーンの大木、ロフトの平野って感じでお店も僕ら自身も下北沢の街により根付いた気がします。来店するお客さんも増えたし、イベントのおかげで街と共生する感覚が芽生えてきたというか……。商店街の人も最初、協賛のお願いに行ってもけんもほろろの対応だったけど、世田谷区長に直に会い、後援の依頼と共にイベント用に公営のトイレを貸してほしいとお願いしたりして、それを踏まえてもう一度訪れると、区のお墨付きがあるならってことで簡単に協賛の許可を貰えたんです。

あと、当時は会場の空き地に隣接する形で金子総本店って葬儀屋さんがあったんです(注:現在は一番商店街に移転)。そこは歌手の金子マリの実家で、親父さんは街の顔役だった。僕は親父さんと親しかったから音楽祭の話を通しに行ったら「大木くん、その日はダメだよ」と言う。それというのも、僕らが予定していた9月の1~2日は毎年恒例の北澤八幡神社の秋祭りで、日程が被ってしまうと。こっちも「秋祭りと音楽祭を一緒にやればいいじゃないですか」なんて言ってたんだけど、最終的には秋祭りの方を翌週にずらしてくれた。しかも会長は睦会(神輿会)の総頭取だったので、音楽祭に神輿まで出してくれたんです。おかげで、神輿の上に金子マリが乗ってセイヤセイヤと会場に入ってくるという演出ができたわけ。粋な計らいというか、街の重鎮らしい協力をしてくれて感動しましたよ。

他のお店もいろいろと力を貸してくれました。会場になる空き地の瓦礫の片づけや草むしりをボランティアスタッフがやっていたら、中華料理の〈珉亭〉やパンの〈アンゼリカ〉といったお店が、頼んでもいないのにラーメンやパンをたくさん差し入れてくれてね。金銭的にはオルガンを2台、世田谷の赤十字に寄付すると打ち上げ代程度しか残らなかったけど、そういう周りの協力やその後に生まれた街とのつながりなど、お金以上に得られたものがたくさんある。あと新聞や雑誌でたくさん紹介されたことで、全国に下北沢の名が知られるようになったのも大きい。商店街の皆さんも、後になってこのイベントの反響を肌で感じたんじゃないかと思います。

ちょうどこの頃、街を紹介したり街歩きを指南する雑誌がたくさん出るようになった。大抵、その手の雑誌は山手線の外側だと吉祥寺と自由が丘が一番人気で下北沢は常に3番目だったけど、音楽祭を機に下北沢特集をやる雑誌が急増し始めたね。『平凡パンチ』や『ポパイ』など人気の雑誌もしょっちゅう下北沢を扱って、それと共に街を歩く人も増えていったんです。沖縄や東北など、遠くから遊びに来る人が珍しくなくなったのもこの時期から。そんな初めての人にもよそよそしくない下北沢の雰囲気は気に入ってもらえたんでしょう。そこからまた評判が広まっていったんですよ。下北沢には茶沢通り以外に広い道がないし、小田急線と井の頭線がX字状に交差していたおかげで整った街並みではなく、路地だらけの街になった。みんなが下北沢と打ち解けやすいってのは今も昔もそういう部分なんです。

2018年に完成した小田急線の複々線計画は70年代から既にあって、地元でもその頃から高架と地下どちらがいい?と話題になっていました。当初は高架って噂もあったけど、日照権や景観の問題もあってそのうち地下化を望む意見が多数派になっていった。用地の問題を考えると地下で二層構造になるのは理解できるけど、あんなにホームが深くなるとは思わなかったのは正直なところ。地下化されて街と小田急線との距離感ができたことについては、僕は今でも納得していません。

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まあそんな不満はあれど、街の開発という観点では小田急線が地下に潜って地上に新しい土地が出来たのは良しとします。踏切も風情があったけど、いろいろと不便だから廃止されるのは仕方ない。問題は線路跡地をどうしてくれるのかということ。今後の計画に果たして住民の意思は反映されているのか?そこに下北沢のDNAは息づいているのか?街の個性が薄まることになりはしないか?と。他所と代わり映えのしない、綺麗なだけの街になってしまう。そこが一番懸念するところですよ。

僕らは2006年に100人の原告団「まもれシモキタ、行政訴訟の会」を組織し、国と都を相手に下北沢の開発の見直しを求める行政訴訟を起こしました。その後我々の意見を聞いてくれる保坂展人が区長になり、2016年に裁判所の和解案を受け入れる形で訴訟を取り下げた。その和解の条件には、開発にあたっては国と都は住民意見を取り入れること、とあるんです。そして区の方も当初計画されていた駅前広場に通じる補助45号線の第二、第三工区の見直しを求めた結果計画は中止になった。しかしこれから街がどんな形になっていくのか?という疑念はやっぱり残るんです。住民の意見を反映すべきと言っても、それってすごく曖昧じゃないですか。だから今も下北沢の街づくりを考える「シモキタボイス」というイベントをやっているけど、保坂区長を招いて意見交換して、これから下北沢がどんな形になるかしっかり見ていかないとと考えています。でも私のやっていることは政治運動ではなく、あくまで文化運動だと認識している。それはこのお店を作った頃から変わっていません。

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線路の跡地利用については基本的に小田急が主導する形になる訳だけど、下北沢の駅前に必要なのは広い道路やバスターミナルではなく、人々が歩き和めるヨーロッパにあるような「広場」でしょう。それ以外の場所には劇場や映画館などがあって、管理と運営はNPOなど政治と切り離された団体が行う。下北沢の住人と街とがインタラクティブな関係を結ぶには、行政の入らない形でしか生まれないと思いますよ。現実問題として、近年下北沢の土地の価格はずっと上昇傾向だった。夢を持ってお店を出した若い人たちが高い家賃を理由に数年で撤退するケースが増えているんです。跡地はそういう人たちの受け皿にもなってくれればいいですよね。

〈レディ―ジェーン〉の開店から45年。時代も変わったし、店で「論」と「論」がぶつかり合うようなこともなくなりました。また以前は当たり前にあった、家に帰る前にバーでちょっと飲んでいくという文化も薄まりつつある。それでも僕はスタイルを崩すことなく、ここが好きで来てくれる人のために店を続けていこうと思っています。(完)

※大木さんのインタビュー前編をお読みになりたい方はこちらから

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プロフィール:大木雄高(おおき・ゆたか)
1945年生まれ。大学時代より小劇場運動で作・演出を展開し、70年代に劇団を主宰。75年にジャズバー〈レディ・ジェーン〉を開店。79年に「下北沢音楽祭」を立ち上げ、翌年には多目的劇場〈スーパーマーケット〉を開館。下北沢演劇の草分け的存在となる。『下北沢祝祭行 レディ・ジェーンは夜の扉』などの著書を持ち、2017年公開の映画『下北沢で生きる SHIMOKITA 2003 to 2017』では製作総指揮を担当した。

※お店情報
ジャズバー〈レディ・ジェーン〉
東京都世田谷区代沢5-31-14 TEL 03-3412-3947
営業時間19:00~27:00、LIVE(土日中心)19:30~22:00。月曜定休
公式ホームページhttp://bigtory.jp

写真/石原敦志 取材・文/黒田創 編集/散歩社


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