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ブランドのロゴを取ってみる -選ぶこと


わたしの母は、ブランド品を持とうとしませんでした。(※今も元気です)

それどころか、ロゴやタグがあれば、率先して取り除いていました!


高校生のときに買ってもらった、憧れのBURBERRYのチェックのマフラーは、

使う前に、あの「BURBERRY」のタグを切り取られてしまいました…

母が着ていたラコステのポロシャツは

次に見たときには、胸元のワニのマークは葉っぱの刺繍に変わっていました…

ある日、黒いカバンに入っていたロゴを、マジックで塗りつぶしているところを目撃しました…


もう、笑いごと(笑)

母がそうしていたのは、ご近所の目を気にしていたからなのですが、

それでも、品質を認めて使うのかー、と感心したのを覚えています。



もしも、ブランドのロゴが入ってなくても、それでもそのカバン買いますか?



満足感、ご褒美、ステータス、見栄、etc

自分のなかの満足と、他人目線に対する満足と。

ブランドのもつそのイメージって、どこからきてる?

ものすごい広告費のかかった、めちゃめちゃカッコよくて素敵なイメージ。

お金持ちになって、ハイブランド品を買って、それをお披露目する。

その人がまた広告塔となって、憧れのものとして拡散されていく。

価値あるものだと思っているさまざまなもの、

意外と、いやほとんどが、広告によってもたらされたイメージだったりする。


どこに価値を感じている?

どこに惹かれて選んでいる?


向き合ってみると、案外、表面的な選び方をしていることに気がつくかもしれません。

もちろん、それが悪いのではないけれど、広告や口コミや誰それの写真に、いつも流されてしまうもろさが垣間見える気がします。



母は、安物の普段着にブランドのカバンを合わせる日本人はは変だと言っていました。

(おそらく、ワイドショーでコメンテーターが言っていたんだと思う。)

そんなこんなで、わたしもハイブランド品にはさほど興味を持たずに育ち、

代わりに、ものづくり作家の厚みと温かみのある作品に傾倒していったのでした。

とはいえ。

シャネルのチェーンポシェットや、セリーヌの都会っぽいトート、ひそかに憧れていたりもします…♪

けれど、ハイブランド品を持てる【人間としての器】が、いつまでたっても追いつかない気がしていて。

昔聞いた言葉のイメージが残っているからなのか。


そろそろかなと思った頃にはきっと、

ずっと憧れだった作家さんの作品なんかを買っていそうです。

ものの価値は、思っているよりもずっとずっと、イメージと思い込みから作られてるんですよね。

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