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YOSHIの20歳誕生日🎂

早熟な少年


 YOSHI、本名は佐々木嘉純、2003 年 2 月 26 日に日本広島で生まれた。水瓶座で、血液型はA型。父親は香港人で、母親は日本人である。

 同級生たちがまだ宿題に追われ、親に守られている中で、YOSHI もう既に子供の殻に閉 じこもっていることに満足できなくなり、熱心にミニ四駆で遊び始め、YOHJI やリック・ オウエンズを好んで着るファッショナブルなお兄さんたちと友達になり、大人と思われる 世界に飛び込んでいった。

「私も早くそういう男になりたい」と、13 歳の YOSHI さんの中に、大人の男のロマン が芽生え始めた。母親に MA-1 のジャケットを買ってもらうよう懇願したが、当然のごとく断られた。

「子供がそんな高い服を着るべきではない。」と母親が言った。

 ところが、彼はあきらめず、それが一時の気まぐれではないことを証明するために、プロのような姿勢で、自分のファッションについての見解を語り、最終的には母を説得して 念願の ma-1 レザージャケットを手に入れた。これが「早熟」な少年の小さな勝利だっ た。

 後で考えれば、運命の車輪は、彼がファッションに夢中になった瞬間から既に回り 始めていたかもしれない。彼の目には、成熟した男の世界はそう遠くなく、むしろ懸命に ジャンプして手を伸ばせば届く距離なのだ。

 そしてある日、いつものように Off-White の店に入って行った YOSHI は、ちょうどそ の時店にいた伝説的なデザイナー、Virgil Abloh の目に留まった。

 その日、YOSHI は⻩色のベルトを首に巻いてみた。「腰に巻くと⻑すぎるし、あまりに も普通でつまらない。」と YOSHI は言い、「ファッションは、自分を普通じゃないと感じ させるものだと思うんだ。」
 
 Virgil は彼の才能を見抜き、二人の写真をINSTAGRAM に投稿した。

YoshiとVirgil Abloh

「翌朝、目を覚ますと 15,000 人のフォロワーが増えてきて、人生が変わったことに気づい た。」と。
こうやって、この 「早熟な少年」は、人生の初舞台に躍り出た。


大人は何らかの選択をするが、子供こそが全てを手に入れるように

 彼が有名になってから、Nike、Helmut Lang、X-girl など多くのファッションブランドが殺到した。
モデル料と月 3000 円のお小遣いをもらいながら、

「何をするかはまだわからないけど、 こういうところが自分の居場所だとわかっている」とYOSHI が将来について考えてきた。

 多くのエージェント会社が彼にオファーを出す一方で、「もし演技を決めたなら、しっかり演技をやって。音楽をするなら音楽に専念してね」と彼に助言した。

 「でもそれでは意味がない」YOSHI は断った。 「やりたいことは全部、一生懸命やる」と YOSHI が決めた。

 このような少年の心根は、大人の世界の成熟した間違いのないように見えるアドバイスを却下した。

 YOSHI が知っているのは、彼が伝えようとしているのはすべての自分。すべての自分というのは、簡単に切り捨てられる部分がどこにもないということ。

 ⻑い間、彼はスターベースという事務所に出会うまで、自分でマネージャーやプロデューサーをやってきた。

 モデルで続いて頑張っていたほかに、人生初の映画に出演したり、音楽の手伝いをしたり、歌を歌ってみたりしたとか、色々新しい挑戦を始めた。

 YOSHIは、歌うことについて、最初はまったく考えていなかったし、才能があるとも思 っていなかった。たまたま友達がミュージックビデオを録音した時に一緒に歌っていた ら、プロデューサーに誘われて一緒にレコーディングに行った。

 スタジオで初めて自分の歌声を聴いたとき、YOSHI は初めて、この声はどこでも届くことができ、世界を変えることができると感じてきた。

 やがて彼は音楽の世界に飛び込んでいった。

1st Album「Sex is life」

 2019 年、YOSHI は16歳になり、1st アルバム「SEX IS LIFE」が生まれた。

 ロック、hip hop、R&B などのジャンルの異なる 10 曲を 1 年かけて確信を持って歌ってきた。

「自分の気分でやりたいことをやるだけなので、どんな音楽のジャンルにも挑戦してみたい。」と彼が言った。

 そして、「SEX IS LIFE」というクレイジーなアルバムタイトルについては、「ある時か ら女性だけでなく、きれいな服を着たり、好きなことで仕事をしたりすることにもワクワ クするようになってきて、『性』って何だろうと考えるようになった。『性』という行為が なければ新しい命は生まれないし、すべてはここから始まったと思った。」

 早熟な子供であるからこそ、まともな大人のように自分の欲望を隠すことはない。

 16歳のYOSHI は、ただ誇らしげに頭を上げ、欲しいものをすべて手に入れながら、一生懸命にこう歌っている:

「16 years old, I donʼt know where Iʼm going.
Hey, itʼs OK!」

「We just kids.」 彼が言いたかったのは、私たちはまだ子供だから、すべてはこれからなんだ、という
こと。

男のロマンス


 13歳からファッションと結びつき、成熟した男へのバラ色のファンタジーを常に胸にし ていた YOSHI にとって、彼は常に大人の人生を待ち望んでいた。しかも、それに対して非常に詳細な計画を持っていた。

 20 歳になったら、世界の音楽の舞台に向かい、日本と海外を結ぶ架け橋となる。21歳になったら、ジャスティン・ビーバーが 21歳の時に書いた「Sorry」を超える素晴らしい 存在になる。そして 22 歳と23 歳で、欧米を席巻する日本のスーパースターとなり、25 歳までに必ず100 億円を稼ぎ、自分が好きなものをすべて手に入れるように。

「コート・コバーンやマイケル・ジャクソンのような巨星は、アジアではまだ現れていないみたいだね。だから私は決意したんだ、日本の最初の、アジアで最初の、そして世界 中のあらゆる巨星を超えて、自分としての世界最初の存在になるんだ!」

 したがって、大人の男性になる前の6年間、彼は約束通りに目標に向かって努力していた。同時に、彼にとって男性としてのロマンには、より深く純粋なものもある。これが、彼が 13 歳の時になぜ年齢を超えた成熟したジャケットを母親に頼んだのかの理由でもあ る。

「私は幼少の頃からレトロな心を持っていた。自分が生まれた前の時代を憧れている。「例えば、1960 年代以前、原宿がまだ治外法権を有した時代、若者たちは刺激に満ちたも のを持っていた。ファッションや音楽、それぞれの個性を失わないように、現在の大量消 費主義に縛られることはなかったろう。」

 これで、彼が有名になる前からビンテージに興味を持ち始め、古着屋のオーナーから古 い高級ブランドのエピソードを集めていた。そして有名になった後、スマホで時間を確認 する代わりに、稼いだお金で 800 万円の高級腕時計を買ったのだ。YOSHI にとって、こ れは自分自身の「トゲ」を持っているものに対する支持であり、浪費を選ぶ「男性のロマ ン」でもある。

 同様に、彼の楽曲「令和のロックスター」をリリースした後、メディアから「ロックン ロールとは何か」と問われた 17 歳の YOSHI は真剣に、ロックの本質は「トゲ」であり、アーティストの魂が真にいる場所だと答えた。だからこそ、彼はこの時代のロックスター になりたい、本当の自分を人々に歌いたい、と。

「もしロックンロールをする際にファン経済に頼るなら、それは芸術自体の破滅を意味し、それは嫌だね。」と YOSHI は補足した。

令和のロックスター

 目上の人に敬語を使わない口調で話すことで、「傲慢だ」と批判されてきたこの子は、その真実味こそが「ヨシのトゲ」だと。

 真の尊敬は形でなく心から生まれるものだと彼は信 じているし、その背景には人それぞれ自分なりの人生経験があることも理解している。だからこそ、彼の友たちは一流セレブから高校中退者やフリーターまで、仲良くなると「溜め口」 を口にするが、内心ではみんなの社会的アイデンティティを削ぎ落とした上で、相手の本心 に耳を傾けている。

「今の日本社会はダメだ。音楽にして社会の風潮にしても、同じような決まり文句ばかりで、本当の「トゲ」がない!それ全部変えたい!」

 世界をやっつけるために、もっと金を稼いでファンを増やそうと叫ぶ少年は、実は複雑な 大人の世界で、自分の愛するものをトゲで守らなければならないのを、誰よりも自覚している。

 こうして彼は、生意気な外見と、その下の冷静の心と畏敬の念を持ちながら、13歳から19歳まで、本当の男になるための旅を歩んできた。

少年の死

 YOSHI の1つのモットーは 「死との隙間」であるという。

 簡単に言えば、彼は死を恐れないということ。 音楽でもインタビューでも、彼はこのこ とを繰り返し語っていた。

「不確かなことが多すぎる。新型コロナウイルスのように、もしかしたら次の日に死ぬ かもしれない。」18 歳になった YOSHI は、こうして死について語る時、いつもの気楽さを 持ちながら、次の瞬間に死ぬように一秒一秒を全力で生きていた。

Kurt Cobain

 YOSHI の16歳のアルバム[SEX IS LIFE]の中に、彼が敬愛するカート・コバーンのこと を歌った「COBAIN」という曲があり、その中で彼は繰り返し「They said good die young」 と歌っていた。

 天才は若くして死ぬ、それは音楽業界のなんだかんだな法則となっている。 カート・ コバーン、ジム・モリソン、ブライアン・ジョーンズ....いわゆる「27 club」と呼ばれるこれらの儚い流星たちは、憧れや嘆きの中で何度も語られてきた。

「死」とは?

 2022 年11月5日の夜、YOSHI はバイクでトラックと衝突して地面に墜落し、病院に運ばれたが救出されず、午前 2 時に逝去が確認された。 流れ星は今回、死の隙間に落ちた。

 20 歳でロサンゼルスでライブをするという目標も、MV でニヤッと笑ったときのウサギの⻭も、スタジオに残した完成させられなかった曲も、自分のヴィンテージ・バイクを持つ という夢も、スーパースターになって世界を変えるという 10 代の野望も、そして目の前に 広がっていた無限の未来も、その夜、彼が成人になる前の最後の四ヶ月目で突如として終止 符を打った。

 葬儀では、彼よりも年上の人々が涙を流し、みずみずしい花びらを持ち寄り、大人になり きれなかった子供を弔った。

 その数日間、周りの多くの人が涙を流し、彼の名前は新聞、インターネット、若者の間で 繰り返し取り上げられた。人々は彼の【COBAIN】をリツイートし、死について宿命的な書 き残しのようだった。

 彼が亡くなったというニュースに、多くの人が「だからバイクは本当に危ないんですよ」 と惜しさとともに生者を説得しようとしていた。「意地になってばかりいないほうがいいで すよ」とか。

 いつもそうだが、人は予測できない死を前にして、一見安全な法則をまとめようとしてい る。規則正しく行動していれば、日常に潜んでいるあらゆる死の隙間を避けることができる ように考えている。しかしその夜の YOSHI はいつものようにきちんとバイクのターンをし ていたが、トラック運転手は反則運転した。

 YOSHI の言った通り、運命は計り知れないもの。

 2020 年のパンデミックから、人々は不確実性と共存することを余儀なくされる。 確実なのは、今自分が何を望んでいるかだけだとさえ言える。その中、ほとんどの人ができるよう に死を回避し、同じところを回していた間、YOSHI は今という一瞬一瞬に全力を尽くして いた。

 🌠のように、 たとえそれがやがて熱で燃え尽き、早々に落下したとしても、地上に落ちるまでの 1 秒 1
秒には驚くべき密度のいのちが宿っている。 時は流れ、残された者はやがて涙を拭い、前に進み、そして新たな星が昇る。

 YOSHI の 20 歳の誕生日に際し、彼の光を冷まさないために、この記事を偶然読んだ人々夜空を瞬時に照らす流れ星が、彼が落としたピースを拾い、持ち帰り、再び輝く姿を見てくれたら、それは時代のスー パースターを目指す少年への最高の誕生日プレゼントになるのかもしれない。

20 歳のお誕生日おめでとう、成人おめでとう。


「指図は受けない

この人生は短い」

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