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今この瞬間にいれば何も問題は起きない(2/2)

昨日書いた記事の続きです。

「今この瞬間に生きていれば何も問題はない」ということについて、気づいた感覚があるのでそれについて書きました。

私は、毎日自分が感じていることとか、考えていること、その瞬間の気持ちなどをノートに書いたり、インスタライブに残したり、自分だけが聞けるように録音したりするのですが、

ここ最近、翌日とか翌々日になってノートを見返したり、配信を聞き直したりするときに、そのときの感覚がとても昔に感じられたり、その感覚がよくわからなくなっていることが多いことに気づきました。

1日前とか、2日前とかに感じていたことが、もうわからなくなっていたりする。

それはなぜなんだ?


その理由がわかりました。

これまでは、頭で考えてもどうしようもない解決しない問題、起こってしまったどうしようもないこと、そんなことを頭でぐるぐると永遠に考えて、なんなら1週間前に考えていたことを昨日もまだ考えていて、同じことを今日も考えて、そしてきっと明日も明後日も考える。

悩むこと頭でぐるぐると考えることが、癖のように日常になってしまっている。だから1日前、2日前に考えていたこと、感じていた感覚を振り返っても、同じ感覚で味わうことができる。それがこれまでの長い間の私。

でも今は違う。今は今。この瞬間の体感は今だけのもの。

だから1日前、2日前の体感は、もう今この瞬間の私にとっては色褪せているものなんでしょうね。だから、その感覚を思い出せない、思い出せても不鮮明で、体感もイマイチついてこない、そういうことなんだと思いました。

これは本当にいいこと。

今この瞬間にいる、ということは、今ここに存在している身体(首から下)を置き去りにして頭(首から上)で過去や未来を行ったり来たりしないということ。

今この瞬間より前の過去に起きた問題を解決するには、今立っている視座よりも少し高いところに立たなければいけない。

同じ立ち位置に立って、目の前の問題を解決できるということは絶対に起こらないから。だから、次の瞬間にその問題が継続しないように、どうあったらいいか、どうなったらうれしいか、「今」望む。

どちらにせよ、今考えていること、感じていることが不快だとしても、今この瞬間にそれを解決することはできないということね。

だから、解決しないことを考えるのではなく、どうなったら嬉しいかを考え、その上で今の苦しさをじっくり味わったり、もしくは統合したりして昇華する。

そしたら今に残された私は、「いい気分でいる」「楽しいことをする」それ以外に選択の余地はないということなのですよ。

だから必然的に、いつも悩みがない、いい気分でいられるということ。そのいつも悩みがない、いい気分でいられたら、そりゃもちろん、次の瞬間も平和で楽しく幸せだってこと。

だから「今この瞬間にいれば何も問題は起こらない」

目の前で起こること、今この瞬間感じること、その一つ一つに丁寧に目を向けて、一つ一つ片付けていく。それを永遠に繰り返していくことで、何も起こっていない安全な毎瞬が永遠に続いていくということなんでしょうね。

その世界にいたら、自分を悩ませるエゴ(自我)の拘束から自由な状態でいられるから、徐々に目の前の世界が開いていって、意識が拡大していく。豊かさが当たり前、愛の状態であることが当たり前の私に戻っていく。

そんな感じなのかな、と思います。


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