共通言語としての英語と母国語としての英語
英語は英語でも
共通語としての英語
と
母国語としての英語
違いは本当に大きいなと感じる毎日。
共通言語としての英語
わたしの中での勝手な分類なんだけど
共通言語としての英語ならみんなゆっくりめに話すしシンプルな単語をチョイスする。
だから英語圏以外のメンバーで集まって英語で話すのはお互い負担あるけどカミーノって感じで全然苦じゃないし、すごく便利な言葉としての位置付け。
英語ネイティブ集合は…
一方でアメリカ人10人とかオーストラリア人10人の中にポツンと日本人とか、米英豪が集まって会話を始めた日にはそれぞれクセがちがうのもあってホント聞き取るのだけでもしんどいしもう「ちょっと何言ってるかわからない」状態。
どうしても参加したい話題でもない限り
正直苦でしかない(笑)
これは日本人に限らず
非英語圏の人たちけっこう言ってて
その話題になったら
すごいうなづいてのっかって愚痴るやつ。
当たり前だと思うなよ
英語ネイティブに囲まれてどうしても会話に参加しないとな状況では「英語はわたしの母国語ではないのよ。ね。ちょっとゆっくりしゃべってくださるかしら?」って。
毎回お願いしてるけど
本来こっちは英語そこそこ理解しつつ
日本語で返してもいいんだからね?
ここスペインにおいて
わたしが英語で会話するのは
kindnessとIntelligenceのお裾分け
だってこと
ほんと忘れないでほしい。
時々しつこい人にはブワァーって日本語でしゃべって???ってなってるうちに笑顔でAdiosする。
日本でも
日本に来てる観光客でも
「スミマセン」とか「チョットイイデスカ」とか一言添えてから「Do you speak English?」ってくる人には丁寧に説明するよ。
申し訳ないっていう気持ちをほんの少しでももってて、たった一言でも現地の言葉で話そうとしてる人だからね。
一方で最初から当たり前ヅラで英語で捲し立てる集団とかはわたし個人的に無視してもいいと思ってる。
だって図々しいじゃん。
日本人は優秀だし英語勉強してる人多いから
親切心で助けてあげる人多いだろうけども。
なぜお前は怒っているんだい
今日はすごく暑かった。
そんな中で頑張って山を越えて
やっとアルベルゲにチェックイン。
次の街までいく友達とビール一杯だけ飲んでた時のこと。
隣の席のオッサンが大声で愚痴ってるのが聞こえた。
「今日のアルベルゲの受付は一切英語話せないんだぜ?ありえないだろ!スペイン語しか話さないから全然言ってることわかんないし。もう最悪のアルベルゲだ!」って。
もうわたし(いいぞいいぞもっとやれ!)って心から思ったし
「このアルベルゲ誰も日本語話せない!ありえない!最悪だ!」
なんて聞いたことないよ。
誰もそう言って怒り出さない日本人って
本当にお行儀いいなぁって思ったのであった。
#多様性を考える
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