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SとR 第一章 Rに暮らす青年が戦地に行く

※Rは沿岸のまずしい田舎まち。

ーー

私は戦地に行く

戦争が怖いとか死ぬのが怖いとか、そういう気持ちは特にない
本当になんというか、取り立ててこれと言った感情がない
ただ世の中がこうだから、時期が来たら行くものだと思っていた
それが明日なのか来月なのか来年なのか、どれもあり得るし、どれでもよい、というような気がする
労働でくたくたになった身体で床につき、そんなことが一瞬頭をよぎって、次の瞬間には眠りに落ちる
すると、すぐに朝が来る
淡々とした毎日であった

先に兵隊にとられた長兄が死んでしまって、次兄はおそらく今もどこかの戦場で生きてはいるが、いつ帰ってくるか、はたまた帰ってこないのかはわからない
そこで父親が「これ以上わが家から人手がとられては敵わない」と先生に相談して、私は進学せずに15歳から実家の仕事を手伝っている
朝起きて田畑に水をやり、その後山の仕事に出て、一日中重労働をする
夕方家に戻ったら、沢から水を汲んできて風呂を沸かし、小さな弟・妹たちを風呂に入れる
ひもじい夕げを囲むのは総勢10人の家族で、老人と乳飲み子を含む大所帯を父親ひとりで支える困難は、想像するに難くないだろう
だから私は、誰よりも働いた
それはあまりにも当たり前に、私の役割だった

学校に通わない者でも、夏になると軍事教練が課せられていて、中学校の校庭に召集された
私は誰よりも張り切った
進学した幼なじみたちに負けたくなかった
時に声を高くあげ、腹這いになっては素早く前進し、飛び上がっては敵を突く
仕切っていた兵隊さんに名前を呼ばれ、大きな声で答える
「模範的な返事だ!見習うように!」と激励された時には、
「ああ、お母ちゃんに聞かせでやりでゃぇなあ」と強く思った
母親は弱かったから、しょっちゅうまちの病院に入院していた
その日も家にはいなかったから、報告することが出来なかった
だからと言って、帰ってきた時にわざわざ報告するのも気恥ずかしくて、結局伝えてはいない

日々は、淡々と過ぎていく
いつか戦地に行く自分にとって、戦争は自分の生に地続きではあるが、私の暮らす毎日には、何ら関係ないもののように思える
戦争が正しいとかそうでないとか、何のためのものであるとかいうことは考える暇もないし、何かこれと言った情報が入ってくる訳でもない
ただ時おり「あそこの家のあんつぁんが死んだようだ」というような声が聞こえてくると、それはとても切ない思いであった
堂々とした顔つき、若くてつやつやした肌、ぴんと張った筋骨が思い出されてくる
戦地に行ってしまえば、いくら強くてうつくしいものであっても、それはいつの間にやら消えている塵のような、あまりに弱く儚いものになってしまう
その人の命は、掃いて捨てられるように消し飛ばされ、幽かな噂話としてふるさとに届けられ、しばしその死がささやかれるかもしれないが、やがてみな忘れていく
自分もそうなると思うと幾分かさみしいものだ
お国のためにという気持ちもないではないが、その夢に浸れるほど私は賢くなかった
日々の労働と、家族の中で自分の役割を果たしているというちいさな満足感が、私を確かに動かしている
ただ、私の命はいつか戦地に引っ張られて消えていく、というはっきりとした期限を持っていて、そのことが常に身体の芯をぐっと重くした

その冬、私は19歳であった
私の国では20歳で徴兵検査を受ける決まりであったのだけれど、戦況が激しくなった風で、それが19歳に繰り下げられたのだという

百姓仕事で身体が強かったために、甲種合格となったわけだ
そのことはどこか誇らしくもあった
誰よりも強い身体を持っている
このように育てられ、働いてきたことに間違いはなかった

数日後、うちに赤紙が来て、戦地に行く運びとなった
その紙のあまりの薄さと、それにそぐわない気持ちの重さを思った
父は、無言であった
母はふうと息を吐いたあと、「風邪ひかんでね」とつぶやいた
近所の人たちに万歳万歳と見送られ、私は汽車でとことこと戦地に向かっている
汽車はS市に向かうという
その先に、戦地があるという

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