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【西村】通仁市場

ソウル旧市街、五王宮の一つ景福宮の西側の一帯を【西村】と呼ぶ。朝鮮王朝時代、王族たちの別荘地であったと言う。王宮に隣接したあたりは、主に中人と呼ばれる階層が多く住んでいたそうだ。中人は、医者やその他の技術者など、王宮になくてはならないものの、国政を担わないたちの階層だ。

その西村に「日本人」が住み始めたのは、植民地時代。こちらの言い方では日本帝国強制占領期 (略して『日帝時代』)。下の図は、博物館にあった当時の西村。

青が朝鮮人の居住地、赤が日本人の居住地。青の朝鮮人居住地やオリーブ色の王室所有地、だいだい色の国有地をけずりとるように、赤い日本人居住地が増えているのがわかる。たった10年の間でも、である。

1941年6月、この地域に住む日本人居住者のために公設市場が開かれた。当時開かれたいくつかの公設市場の一つだ。

1945年。敗戦と同時に、日本人はこの地から引き揚げていった。そして、ほどなく朝鮮戦争が始まる。戦火を逃れて、多くの人が北へ南へと避難した。停戦協定が結ばれ、状況が少し安定すると、西村地区は急激に人口が増える。多くの人が集まれば、商人たちもまた集まってくる。公設市場の跡地に集まってきた商人たちは、うち捨てられた店舗やその周りの空間に自らの店を出しはじめた。それが現在の通仁市場の始まりである。

通仁市場には現在も70から80ほどの店が軒を連ねている。西村周辺の人々の台所として、生鮮食品や日用品を商っている。しかし、最近では「お弁当カフェの市場」としてその名が知られるようになった。

中央にある商店街事務所か、一番の西端にあるイベント事務所に行って、5,000ウォン(約500円)を払うと、空の弁当箱と古いお金のようなコインを10倍もらえる。市場の中にある「お弁当カフェイベント」協賛店でこのコインと引き換えに惣菜を購入できる。

市場の中に数多くある惣菜屋から、自分の好みの惣菜を5、6品ほど集めて1つの弁当を作ることができるのだ。

現在多くの人が「お弁当カフェ」を目当てに通仁市場にやってくるが、「お弁当カフェ」が有名になる前、通仁市場の名物と言えば「キルムトッポッキ(油トッポキ)」だった。

餅炒め、という意味を持つトッポッキ。しかし、屋台や専門店で売っているトッポッキは炒め物というよりむしろ煮物のよう。だが、通仁市場の名物は文字通り炒めてあるトッポッキなのだ。

中華鍋のような鉄のフライパンで炒めたトッポッキ。ここに来たら一度は味見してもらいたい。地元のアジュンマ(おばちゃん)曰く「懐かしい味。昔のトッポッキはこれだった」。もちろん、「お弁当カフェ」のおかずの一品にするもよし。

市場の中央にある、商店街事務所の上には食堂があって、ここで購入した弁当食べることができる。食堂の中では、弁当とは別に、ご飯や汁物が提供される(有料) 。 お弁当を作る段階で、各惣菜屋からご飯ものを選んで弁当の中にご飯ものを含めることもできるが、よりボリュームのある食事がしたい人は、ご飯だけここで別に購入することもできる。

ソウルの人の生活習慣が変化していくのにともなって、在来市場は昔のような活気を保つのが難しくなっているという。その中で、通仁市場の取り組みは非常にユニークなものだ。おかげで、週末ともなると多くの観光客で市場は賑わう。

しかし…。観光客で賑わう市場が、地元の人にとって使いやすい市場なのだろうか。けれども、閑古鳥が鳴く市場はあっという間に再開発の波に飲まれるだろう。観光地として生きる道を見出したため、誕生して77年になる通仁市場は再開発にも飲まれず、ここで生きる人たちの生計を支えることができているのだ。

できれば、歩くのも困難な週末ではなく、平日にゆっくりと惣菜屋を見て回りおいしい弁当作ることをお勧めしたい。70年以上この地で生きる人を支えて来た市場をより感じるために。

通仁市場公式サイト
http://tonginmarket.co.kr/mall/index.php

行き方:地下鉄3号線(オレンジライン)『景福宮(경복궁)』駅下車。2番出口を出て、出た方向にそのまま大通りを右手にして北上。4つ目の信号が見えて来たあたりで、左側に商店街のアーケードが出てくる。アーケードの中が通仁市場。

旅のひとこと韓国語:
これください → イゴ ジュセヨ
一つ → ハナ
ひとつください→ ハナ ジュセヨ
ありがとうございます → カムサハムニダ


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