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私が帽子を被っている理由

 私が最近よく帽子を被っているのは何故か。

 帽子とは人に会う時や仕事の時は取るものだと思っている。結局取るなら荷物になるから、被ってくるのは面倒だ。また、別段こだわりのない髪型ではあるが、帽子を脱いだ際に異様な造形になってしまうのも気にかかる。そもそも頭の図体がでかい方であるから、被っても不格好だ。ゆえに私は帽子を被らないのが常であった。そういう方針であった。

 自宅のマンションの近所にコンビニがある。歩いて二、三分ほどの距離だ。私は時折、明け方にその店を利用する。散歩ついでに行く。大抵は総菜パンと菓子パンを一つずつ、それと、野菜か果物のジュースを買う。愛想は良いが目の笑っていない店員がビニール袋に全てを入れてくれ、私は再び二、三分歩いて家に戻る。

 先日のことだ。コンビニから歩いてマンションに戻る途中で公園を通った。公園といってもマンションに隣接する極めて小さな規模のもの。そこを通ればオートロックの正面玄関に辿り着く。近道というわけではなく、外から回り込んでも所要時間は十秒程しか変わらない。だが、その日はなんとはなしに中を通って帰ることにした。

 公園の中程に差しかかった時、不意に後ろから飛んで来た黒い影が頭の上をかすめていった。カラスである。カラスは再び私の後方に飛び去り、木の枝に止まってじっとこちらを見ているのだった。私はさっさと立ち去ろうと思い、前に向き直って歩きだした。すると、数歩進んだところで再びカラスは私の頭上をかすめるように飛び、威嚇してきた。なんだ。私は刺激しないように気を遣ってやっているというのに、なぜお前はこちらを煽ってくる。振り返ると、やつはやはり木の枝に止まっていて、じっとこちらを見ていた。

 ヒッチコックの映画「鳥」のような不気味さであった。ゆえに初めは恐怖心に駆られたが、高い位置から人間を見下すかのようにこちらを向いているそいつに、私は腹が立ってきた。なんだお前は。私の十分の一の脳みそもないだろうに、何を偉そうにしていやがる。賢い動物と言われても、所詮は卑しい残飯漁りでしかないくせに。お前の狙いは、どうせ私が右手に提げたビニール袋だろう。一かけらたりともくれてやるものか、これは私が私の稼いだ金で買った私のパンだ。お前のパンはお前が稼いでお前が買え。そんな思いを瞳に込めて睨みつけていると「カァ」とやつは一鳴きした。

「弱そうな面構えをした貴様、その袋を置いていけば見逃してやろう」

 私にはそのような侮辱に聞こえ、ますます神経を逆撫でされた。何かやつに反撃をせねば気が済まない。幽霊よりも宇宙人よりも怖いと度々言われている、人間の恐怖を教えてやらなければなるまい。ところが、足元には棒切れも小石もなく、払うことも投げることも叶わない。物理的にやつを脅かすことは不可能だ。

 こうして見ていれば襲ってこないようだから、このまま後ずさりすれば玄関まで辿りつくことはできる。しかし、舐められたままは癪だ。私は何を思ったか、スマートフォンを取り出してやつに向かって掲げた。カラスは意表をつかれたのか、小さく羽ばたいて再び「カァ」と鳴いた。私はカメラを起動すると、ビデオに切り替えて録画ボタンを押した。どうだ、カラス。罪のない人間を襲って恐怖心を煽った悪党の姿は、ばっちり押さえたぞ。貴様にどれだけ知恵があろうとも、こちらには科学の力があるのだ。私は撮影を続けたまま、盾を構えながら後退する兵士のように、後ろ歩きで正面玄関の前まで到達した。カラスは一度飛び上がり電線の上へと足場を移したが、私は逃さずスマートフォンのレンズを向け続けた。

 このまま後ずさりしながらドアを開けばマンションの中に逃げ込める。しかし、腹の虫がまだ治まらなかった私は、スマートフォンをしまった後もしばらく自分の目でカラスをじっと睨みつけ続けた。昔、高校からの帰り道でやたら吠える犬に出くわした時、ひたすら目をみつめていたら相手が怯んだのを思い出したのだ。カラスはしばらくその場に留まっていたが、私が睨みをきかせていると、やがて逃げるように奥の電線へと飛び移り「ガァ、ガァ!」と何度か激しく鳴いた。

 私の勝ちだ。人類の科学と私の度胸が悪を倒したのだ。私は人差し指で右の下瞼を伸ばしながら目を見開き、ついでに舌をだらしなく出して威嚇すると、背後をとられぬよう注意しながらマンションの中へ入った。

 部屋に戻ってから、私は冷静になった。動画に撮ったからといって、やつに何の不利益がある。「私を理不尽に襲ったカラスがこちらです」と、見出しをつけてネットにばらまいたところで、見た人は「カラスだなあ」と思うだけである。個体の識別は無理だ。できたところで意味もない。仮に「最低のカラス」「許せない!」「このカラスまじクソ」と炎上したところで、カラスが精神的、社会的制裁を受けるわけでもない。逆に「罪のない動物にカメラを向けて怖がらせるなんてひどいですね」「動物だからって人間が好き勝手に撮影していいんですか」などと言い出す人々が現れて、私の方が炎上して気を揉む可能性は大いにある。

 私は悔しくなってカラスのことを調べた。何せこっちにはやつらの持っていないスマートフォンがあるのだ。なぜカラスが私を狙ってきたのか、どうすればやつを屈服させられたのか。この際、不確かな情報でも構わない。私はとりあえず納得がしたいのだ。

 まずは私を狙って飛んできた理由。カラスは餌目当てで人を襲うことはないらしい。賢い動物であるカラスは、そんなリスクを冒さない。では、どういう時に人間の頭をかすめるような真似をするのか。それは外敵が巣のそばを通った時だ。五月から七月はカラスの子育ての時期で、巣には幼い雛鳥がいる。気の立っている親鳥は巣を守るため、巣の近くを通った動物を追い払おうとするのだ。つまり、やつは私の袋を狙っていたのではなかった。卑しい襲撃ではなく、子を思う愛ゆえの威嚇であった。

 また、どのページを見ても「カラスを刺激してはいけない」とある。棒で追い払ったり石を投げたりすれば、カラスはこちらを敵と認識し、本気を出して立ち向かってくるとのことだ。公園で、近くに棒も石もなかったのは幸いであった。私は泥沼の戦いの火蓋を自ら切って落とすところだったのだ。

 さらにカラスについて色々と検索していると、第二、第三の検索候補に気になる単語を見つけた。「顔」「認識」「覚えられた」などとある。私は検索結果として表示されたページを読んだ。そこには、カラスは高い視力を持ち、人間の表情をある程度視認できるとある。そして敵意を向けてきた人間の顔は記憶し、以降は巣の近くを通るたびに必ず襲いかかるという。そんな馬鹿な。いくら賢いといっても、拳ほどの大きさもない鳥の頭。人間の顔を識別して記憶することなどできるものか。この私だって他人の顔はあまり覚えられないのに。

 ところが、調べれば調べるほどその事実は濃厚になっていった。そればかりではない。カラスは情報を集団で共有できるなどという驚愕の記述まで出てきた。詳しいメカニズムは解明されていないものの、カラスは人間の顔や服装の情報を、他のカラスに伝達できるというのだ。絵も写真も使わずに。どうやら鳴き声で伝えているらしく、伝えられた情報はまた別のカラスに伝えられ、一度、敵と認識された人間は、同じ地域に住むカラスのグループ全体に敵だと覚えられてしまうそうなのだ。科学で解明できない力だなんて、もう超能力ではないか。

 棒や石で襲いかかりさえしなかったものの、私は明らかに敵意を剥き出しにしてやつを睨みつけていた。最後に愚かにもアカンベーまでした私が友好的と思われているはずがない。悠長に動画なんて撮っていたから、やつにも私の顔を覚える時間は充分にあっただろう。そして最後に繰り返したあの鳴き声、あれこそ仲間に私の情報を伝えていたのではないのか。

 敵の証拠を押さえていたのは、向こうも同じであったのだ。しかも、私がネットで拡散しても誰一人あのカラスを識別できないのに、やつらは全員、私を敵として認識することができる。何より不味いのは、私が顔を覚えられた場所が自宅の正面玄関の前だという事実だ。ほとんど毎日出入りする場所であり、駅までは歩いて十分近くかかる。その間には、ゴミ捨て場や飲食店の裏口などもあるから、カラスの群れる場所は無数にある。電線もある。巣作りできそうな木もある。私はその通り沿い一帯に巣食うカラスたちに、危険人物として知られてしまったのかもしれない。

 私はだんだん青ざめていった。これからどうやって生きればいい。服装や眼鏡を変えてもカラスの目はごまかせないとの記述もある。一年以上、覚えていたという記述もある。本気を出せば顔をつついてくるとも。ああ、嫌だ。本当にヒッチコックの「鳥」か、もはや「バイオハザード」のラクーンシティではないか。もう外に出たくない。コンビニへ行くのはやめだ。書き仕事なら家でしよう。だが、どうしても出なければならない日もある。仮病を使って休もうか。いや、そんな嘘いつまでも続かない。正直にカラスから命を狙われていると伝えようか。皆、信じてくれるだろうか。

 ひょっとしたら、最近、雨の日が続いているのも、カラスの仕業ではないのか。超能力じみた力があるなら、天候くらい操れるだろう。それだけではない。最近、迷惑メールがやたらと届くのも、目立つ白髪を一本見つけたのも、挨拶のメールを送った編集の人から一向に返事の来る気配がないのも、どれもこれもカラスの仕業なのではないのか。やつらは異能者なのだ。それくらい造作もなくやってのける。我々はカラスを甘く見ていた。きっとカラスは、いや、カラス様こそ万物の霊長であったのだ。あの尊き黒き衣を纏いし神こそ、宇宙の絶対的創造主であらせられたのだ。げに怖ろしきは幽霊でも宇宙人でも人間でもなく、カラスであったのだ。

 どう考えても、カラスより私が馬鹿であった。無知ゆえに野蛮な発想を抱き、機械に頼って野暮な対策に走り、そして、得た情報の真偽もわからず勝手に翻弄されている。悪意のない人間を挑発して敵を増やすような鳥を「賢い動物」と表現するのはどうしても解せないが、少なくとも、私が「賢くない人間」であることは認めざるを得なかった。

 脅威が実際どの程度かはさておき、私は今後カラスを警戒することにした。カラスから身を守る最良の策は「頭を見せない」だという。お伽話の禁忌のような話だが、私が実際にされたように、カラスは後ろから頭を狙ってくる。ゆえに傘を差す、帽子を被るなどして頭を隠してしまえば、飛びかかるべき対象を見失うのだという。無論、顔も識別しにくくなるし、もしも気づいて飛んできたとしても、傘や帽子で頭を保護できるから生身より遥かに安全である。

 天候を問わず傘を差すのは異様であるし荷物にもなるから、私は帽子を選ぶことにした。ゆえに私は近頃、帽子を被っているという次第だ。

 お洒落かな、とも多少は思っている。