ハッチ07

アートってなに?

これは私の嗜好回路を文章化したものです。文体が箇条書きのようだったり、自問自答形式だったり、断片的なのはそのためです。自分のための嗜好整理記事です。

アートが好きです。

美術館に行き、よく分からない作品を見ながら「なぜこれを作ったんだろう?」「なんのメッセージがあるんだろう?」そんなことを考えていると楽しくて仕方ありません。まるで自分自身と対話をしているかのような不思議な錯覚になります。

一口にアートといってもいろんな解釈があるでしょう。そもそもアートってなんなんでしょう?実は私にもよく分かっていません。とりあえずアートとつけば「何か価値の高いものなんじゃないか」そう錯覚します。横文字になった瞬間、なにか特別な意味をもったかのような感覚になるのです。

アート作品といえばよく分からない造形物や子供でも描けそうな絵画などを思い浮かべる人が多いでしょう。アートに精通している人はそれらを美しいと言います。ですが、大多数の人たちは「意味が分からない」と口をそろえて言います。アートって意味が分からないものなの?それがアートなの…?

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美術やアートの歴史を紐解いてみると、長く人の記憶にとどめられる名画などの作品は、その作品が生み出された時代には大衆には受けてはいませんでした。むしろその逆で「あんなもの!」と迫害されていたのです。これを元に考えると「大多数の人が美しいと思うものがアートというわけでもない」ということが言えます。そういう点では、「美しい」とか「綺麗」といったきわめて相対的な価値観でアートの基礎を据えることが間違っているといえます。

アートってなんなんでしょう?

自分で書いて分からなくなりました。

知り合いのキュレーター、先生、友人、いろんな人にその答えを聞いて回ったこともあります。「アートってなんなんですか?」だけど、ほしい答えはありません。全員意見が違うか、もしくは分からないと答えました。「意味が分からないけど、高尚そうなもの…」基本的には皆さんこう言います。

そう、明確な答えは実は誰も答えられないのです。

アートってなんなんでしょう??

もう少し「アート」の歴史を紐解いてみます。

アートに似た言葉をさがしてみます。たとえば…そう「美術」。これなら少し分かります。その名のとおり、「美」で「術」なのですから、「美を生み出すための術」簡単です。ですが「美」とはいったいなにを基準に捕らえているのでしょうか。こうなると明確に答えてくれる人がいません。

私的な解釈はこうです。まず「自分だけが美しいと思うものが「美」」これは間違っています。「美」は他者と共有できていないといけないのです。自分だけならそれは趣味嗜好にすぎないからです。他者との共感。そういった感情を放棄する行為自体がまず美しくありません。美とは心で感じるものであるはずです。

美術という概念はなぜ存在していたのか。たとえば絵画は神にささげられたものでした。これは中学や高校の美術の授業で覚えている人も多いことでしょう。18世紀から19世紀前後にかけてその概念は形作られました。いわゆるフランス革命期です。美術は神に近い王や貴族などが時分のためだけの特権であり、収集したものでした。自分自身を神にみたて、自分のために収集する。美術は秘匿とされたものだったのです。

その時代の後、新しく誕生した市民階級は「王を追い出し、彼らを公開で処刑」したのです。革命です。その後、貴族たちのコレクションを社会の前面に出た市民たちがみせしめとして世に公開。「あいつらこんなものをためこんでやがった!」そういった感情がそうさせたのでしょうか。「場所は彼ら貴族がいた根城がいいだろう」「やつらが住んでいた場所に今度は土足であがってやるのだ」そうやって溜め込んでいた収集ものを市民の目にふれる場所に置いたのです。ルーブル美術館やエルミタージュ美術館はそうした背景が根底にあります。美術館は元々貴族が住んでいた場所です。だからあれほど豪華なのです。

つまり話をまとめると近代以前の美術は神のものでした。そして選ばれた貴族のものでした。この時点でアートはまだ存在していません。アートは神ではなく市民によるものだからです。しかし絵画というものは存在していました。絵画は聖書という物語の一場面を語る媒体として重宝されていたのです。

協会などにあるステンドグラスや聖像などを想像すると分かりやすいでしょう。それらは当時、建築物でもアートでもなかったのです。協会は地上で神の秩序が降り立つ器、聖書は何度でもその場所に立ち返るための原典。ステンドグラスや聖像、絵画は正しい道へ導くためのイメージだったのです。すべてが神と密接に関係しあい、存在しています。

現代の美術や建築、音楽、文学などのジャンルが存在するのは神が死に、市民が主役になったことでその因果関係が意味をなさなくなってしまったからです。そういう意味では「ジャンル」は近代特有の概念です。そしてアートもそれ以降の概念です。

神がいなくなったことで、絵画はなんの意味も持たなくなりました。そこで市民による、市民のための美術という概念を生み出す必要がありました。

これらの考えのもと誕生したのが近代美術であり、「アート」です。過去の神の時代のアートの末裔としたものなのです。アートが血なまぐさいのはそのためです。むしろそうあるべきなのです。アートは市民社会の誇り、アイデンティティであるのです、前の時代と以後の価値観をはっきり分かるものでもあります。つまりアートにはとても明確なルールが存在するのです。

アートを楽しむにはまずこの考えを共有する必要があるはずです。それをもとに「美」を享受する。それがアートを楽しむ本来のあり方です。

しかし現代の(特に日本)にとってのアートはひどく意味不明なものとしての認識が高いです。それは美的な考えの根底に向き合っていないからと思います。私自身も明確な理由は分からずとも、それで納得していたときがあります。

でもアートはもっと色んな人に楽しんでもらってもいいのではないか…。誰もが理解できるルールに基づき、自由は発想で討論や議論をする。そんな形が理想的なのではないか。意味の分からないのがアートでなくだれにでも理解可能なのがアートなのでしょうか…?

ここまで考えてより、アートとは何なのかが分からなくなりました。

難しいです。アートってなんなんでしょう。

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