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良心・使命感のたぎりの着地点〜人道支援について考える。

去年からワタシはとてもいい環境で「開発学」を学んでいる。
SDGsは知っていても、開発学という言葉は聞いたことがなかった。

ちなみに開発学のDevelopmentのDはSDGsのDなんだよ。

オトナの教育として知っておいた方がいいんだなぁと、知ってから思ったこの学問。今日も自分の頭の整理のために書く。

説明して、って言われた時にちょっとねぇ、、、と
オトナなのに説明ができないシリーズってあるじゃん?

今日のハナシはそんなハナシじゃないかな、と。

震災から10年が経って、いろんなことが頭によぎった。
2021年3月11日はなんだか1日塞ぎ込んでジムに行っただけで、
ベッドの中でほぼまる1日を過ごした。

映画館にとても見に行く気になれなかった(大きい画面では向き合えない気がしたんだよね。)「Fukushima50」もやっと見たことだし、ちょうどいいタイミングで人道支援のことを学んだので今日はそのシェアを。(珍しくワタシのnoteにしてはアカデミックな内容じゃぞ。)

人道支援ってなに?

「人道支援」と聞いて難民支援が頭に浮かぶならその感覚で正解。
ちゃんとした定義は、緊急事態またはその直後における人民救助、苦痛の軽減、人間の尊厳の維持及び保護のための支援のこと。

緊急事態とは、
難民支援例えば紛争が起きて難民が出た。とか、
台風、ハリケーン、地震などの自然災害が起きた。とか。

国連が定める人道支援4原則

で、人道支援を行う上で、国連が定めている原則が4つある。
1.人道原則:どんな状況にあっても一人一人の人間の人間の生命、尊厳、安全を尊重すること
2.公平原則:国籍、人種、宗教、社会的地位または政治上の意見によるいかなる差別をも行わず、苦痛の度合いに応じて個人を救うことに努め、最も球を要する困難位直面した人々を優先すること。
3.中立原則:いかなる場合にも政治的、人種的、宗教的、思想的な対立において一方の当事者に加担しないこと
4.独立原則:政治的、経済的、軍事的などいかなる立場にも左右されず、自主性を保ちながら人道支援を実施すること

そもそもなぜ行うのか?

「人間の安全保障」を実現するための重要な外交手段のひとつ、と日本政府は言っている。

今やこの地球は、
紛争・内戦、テロ、自然災害、感染症、環境破壊、貧困など世界規模で抱える問題だらけ。「国家」という単位では世界が抱える課題に取り組むのは難しい。
「人間」に焦点を当てて、横断的・包括的に問題に取り組み尊厳・生命を重視すべき、という考えが新たに生まれ、1994年にこの「人間の安全保障」なる言葉が生まれた。

よって人道支援の目的は、「人間の安全保障」を実現するため、である。

人道支援のプロセス

まず、被災国や国際機関からの支援要請がなされて、国際機関・NGO(UNHDR, unicef, IOM, ICRC赤十字)が調査して、被災国に人道支援が行われる。

映画「Fukushima50」の中でも、アメリカ政府が「2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの時、日本の消防救助隊は一番に駆けつけてくれたから何かしなくては。これはもはや日本だけの問題じゃない。」と軍司令官が大統領に伝えるシーンがある。

これが、数十億円かけて行われたアメリカの日本に対する「人道支援」の一つの例で、Operation Tomodachi(トモダチ作戦)と呼ばれ、2011年4月末には終了している。

人道支援の定義

この人道支援が干渉(介入)として現地政府・軍と衝突することが、
歴史を見ていると起きている。
アメリカのOperation Tomodachiが、2ヶ月足らずで完了したように、

人道支援の定義は、

・短期的
・災害エリアで実施
・紛争、天災などへの対応
・人命救助にフォーカス

である。
これを外れると、介入行為、開発援助、干渉になる、となる。

すると、南スーダン共和国・コンゴ民主共和国で、難民キャンプの設置と支援を何十年もやっている、のは「人道支援」とは言えないんじゃないか?と。

開発学は奥が深いのだ。

励みになります。個別にお礼のメッセージさせていただきます。