辺りはまるでジャングル

ものの数分で天候は怪しくなり、
私たちは追ってくる雨風から逃れようと、迎賓館の入り口のテントへダッシュで駆け戻った。
「あの…私たち和風別館の見学は13:00に予約しているんですがあと2時間はあるのに雨も降っているし何処か他に見るところはありますでしょうか…」

前田くんに迎賓館を指定された日、公式サイトを見ると別館の見学は要予約と掲載されていた。
なんかなんとなく彼は入念に見学したいタイプな気がするなと思い慌てて予約可能枠を見ると、既に13:00からしか残っていなかったので取り急ぎ予約をしてあった。

だが今は11:00。
時間配分は当日まで不透明だったので、本館を早く見終わり雨が降ったこの事態は予測できなかった。私たちには雨宿りが必要だった。
おばさまは迎賓館の歴史のムービーが見れる部屋を紹介してくれた。私たちはお礼を言うとムービーを見に行った。

15分ほどのムービーをひと通り鑑賞し終わり窓の外を見るとコンクリートにぶつかる雨のザァザァとした音・飛び込んでくる風が、私たちに天候の悪化を知らせた。
「俺、朝ごはん食べない派だからお腹空いてる」
「確かに、私も朝ごはん食べたけどお腹すいた…どこか食べれるところあるんだっけ、えーと」
ガサゴソと貰ったパンフレットを広げる。
「あ、和風別館のところに即席料理部屋があるらしいよ!!良いじゃん寿司と天ぷらを提供?!」
「絶対高いよ」「一人一万くらい?」
「んーー…(考えてる)」
「いずれにせよ別館行けるまであと2時間くらいあるから今すぐ食べたいよね」「そうだね」
「またあの人に聞いてみようか」
コンドルの活躍を見た部屋からスタッフさんのいる所へは外に出なければ行けないので、傘を持っていない私たちはまたもやダッシュでテントへと駆け戻った。
「はあ、はあ、あのすみません私たち傘持っていなくて…ッ!!」
濡れネズミ2匹こと私と前田くんを見たスタッフの親切なおばさまは、「こんなに降るなんてねえ」と迎賓館の黒い傘を貸してくれた。
「どこか食事のできるところはありませんかね…?お腹すいてしまってどこかあると助かるんですが…」
おばさまはそれを聞くとあらあらと気の毒そうな顔をした。
「一応お庭に出てるオープンカーでアフタヌーンティーとかが提供されてるんですけど何しろこの雨だから…行って見て頂いた方が早いかもしれないんですけど…」「行ってみようか〜」「うん」
傘と情報のお礼を言い、私たちは傘を差しオープンカーのある、主庭とは反対側の庭に歩いた。

あの時目に入った光景は、未だに説明すると笑ってしまう。確かにオープンカーはあった。
天候が悪いせいだろうか、白色の華奢なテラス用のチェア、テーブルは勿論ずぶ濡れで、晴れていれば私たちを美しく包み込んでくれたであろうパラソルはどれも縛られていた。
どんよりした曇り空の中、霞の様なものが出ていてオープンカーの中の様子がよくわからない。
見ると、紅茶やスコーンなどが売られている様だ。
私たちはオープンカーの中の人に話しかけた。「あのーすみませんちょっと私たちお腹が空いていまして、何か食べ物は売られてますでしょうか?」
「スコーンやマフィンなどがございます。アフタヌーンティーのご予約はされてましたか?」
「いえ、特にしていなくて…。買ったものはどこで食べられるんですか?」
「…えーと、ここで」
ここで!!大雨強風の中パラソルのない椅子に座って食べるしか方法は無い。
私と前田くんの絶望と諦めが一回りしたヒクヒク引き笑いは止まらない。
「ヒクヒクヒク…ええとここで購って食べるしか無いんですね?」爆笑の最中やっとの思いで日本語を口から出すと、「そうです、この雨ですけど…w」とやるせないニュアンスを帯びた返答があった。

尚この会話の間、前田くんはずっと横でヒクヒクと笑っている。どちらかと言うと空腹なのは彼の方なのだが、何となく人にメインで話しかけるのは君の役目だよね…と言わんばかりにスッと棒立ちで空間に馴染み会話を見守っている。
彼のアティチュードは、さながら自分の立場を理解しユーカリの木にそっと手を添えて座すコアラの様である。表情もモナリザというかコアラというか善悪に縛られない穏やかで不思議な感じだ。勿論悪い気は起きない。だって前田くんはモナリザというかコアラというかそういう特別な存在ということじゃないか。心の中で本人にバレない様に結論づけると、「一旦考えます…」とお店の方にお礼を言い、その場を後にした。

てくてくと屋根のある方へ戻る道中、コアラは急にチシャ猫の様にニッカリと笑ってこちらを向いた。「あそこでマフィン立ち食いしない?!」
前田くん?!面白すぎる。極限状態だったのか。
マフィンの立ち食いか…少々憚られる話なのだが、おそらくこの先「あそこでマフィン立ち食いしない?!」なんて台詞、私はもう二度と耳にしないだろう。誰もそんなことは言ってこない。いっときの躊躇いより、貴重な経験だ。
私はその瞬間、屈託のない笑みを浮かべる目の前の希少生命体へ、マフィンの立ち食いに同意を示す返答を告げたのであった。
オープンカーのスタッフの方からマフィンを購入するということは今から私たちは目の前で無理横暴な食事を成すということの宣言である。
私たちは今からここで食べますと説明しながらチョコやごろごろと入ったスコーンや紅茶やバニラのフレーバーのマフィンやクッキーなどを購入し、後ろを振り返った。

先程にも増してザァザァと雨が降っている。
「どうしようか…」結局のところこの庭で食べる他無いのだが、あまりにも奔放とした野原でしかないこの地を前に私たちは軽く迷う。
「…座って食べる?椅子は濡れてるとは思うけど…」「立つよりは確かに…机も必要だしな」白くほっそりとしたヨーロッパ調のデザインの庭用のテーブルと椅子に近づき各々座った。

「あ、自分で傘を差しながら、こうすれば食べれそうだね」「意外といけるかもね」
「いただきまーす」手を合わせてからそれぞれ食べ始める。笑ってはいけない。
雨の中座ってお茶請けを食べているが笑ってはいけない。引き返せなくなってしまう。
ふと前田くんと目が合った。彼は笑っている。すごい笑ってるじゃん。しかも傘を持つために背中を丸めて小さなスコーンを両手でふんわりと持っていて余計にコアラっぽく見える。釣られた私はもうヒクヒク引き笑いが止まらない。腹を満たす為の現状の最適解であることはわかっている。だが、「こんな優雅な場所なのに庭でサバイバルみたいなご飯食べるなんて予想してなかったよwwww」前田くんは本当にそうだとばかりに苦しそうに頷きながら爆笑している。

風は強く吹きつけ、私たちの顔にびたびたと雨が落ちてくる。
和風別館の見学まで、一時間を切った。


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