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度胸、無神経、すばしこさ

こんにちは、こんにちはの時間から書いていきます。コーヒーをいっぱい入れてきました。バイト先でゲットした季節限定のブレンドです。ケニアとかエチオピアとかの豆が入っていたような気がします。うちで出している中ではケニアが入っているのは珍しく、僕がここで働き始めてから丸3ヶ月が経って季節のブレンドももう4種類めくらいですが、今回のは苦味が結構しっかり目で爽やかさが目立つので好きというかなぜか気になる感じがあって、ちょうど牛島若利でいうところの日向翔陽ですね。なにか嫌だ。いやコーヒーは全然嫌じゃないですが。お前を叩き潰したい。それはあるかもしれません、できることならなんでも叩き潰せるだけの知恵とパワーが欲しいところです。

夢を見ました。その話をするにはまず僕がすでに寝過ぎている話から始めないといけません。土曜含む2連勤を終えて、かつ二日とも父の介護体験版がありましたし父が請け負ってくれていた分の家事も少し回ってくるので雇われ労働の後のあの量はけっこう修行ですね。母とこの前二人で宅飲みした時に、俺がまだ小さい頃は父は全く家事をしなかった、泊まり勤務をはじめてうまーく母と時間をずらせるようになって初めて半分やってくれるようになったから、それがずっと始まらなかったらすぐ別れていたという話を聞いてわりにショッキングでした。今となっては父の方がむしろガンガン生活環境整えに行っていて母は化粧品やらようわからんお茶やら器具やら、インフルエンサー的な活動に熱心なのでサンプルが無限に送られてくるので定期的に父に怒られているという構図が目につきます。うん、でもたしかに父がちょっと夕飯を作り始めた時のことは覚えていて、とにかくキノコをでかい耐熱皿で蒸してポン酢をかけて食べるやつしか食った記憶がない。あれがきっと小学校高学年に差し掛かろうかというところですから、それまで母はこれを毎日やっていたのかと思うとすごいことです。かといって父コノヤローとはなりませんが。おれはやらないかなーみたいな感じに留まっています。今変換の瞬間に右上の字数カウンターを見たら変換前の字数を表示しつつスラッシュを隔てて左側に選択中〇〇という表示が出てくることに初めて気がつきました。選択中の後に来る数字はいままさに変換しようとしている下線部にかかる文字数みたいです、ただしスペースキーを押して変換を始めるまでこの表示は出てこないので、変換部分が小分けされて、なおかつ漢字やらに変わった後の単語の文字数が表示されるので、つまり何に役立つのかよくわかりません。もっとまとめて書いてから変換する時には役立つのかな、字数調整をリアルタイムで進行できるからとも考えましたが小分けされた後の文字数なんでほんとマックス3とか4だし、残り字数と照らし合わせた微調整のためだとしても一回はみ出させた方が早そうだし。なんなんだこれは気になるぞ。

よし書いてくぞ。つい10分前まで全く書く気なかったけど。書きたくないのは体を動かしたいサインか、寝るか目を閉じたいサインかという感じで受け取っていましたが、ここ数日で本を読みたいサインかも?というのも割って入ってきました。本は好きだし図書館で常に本を3冊借りしようと心がけていますが(ほとんどよめていなくてもそれを超えたら返す)、なかなか意識しないと読む時間をとれません。違う、これは本を読みたいのではない気がするとか、ぱらっとめくってみてこういうことじゃないんだよなー今は、みたいにやろうとおもえばいくらでもできちゃうので、ほんと本屋でどうしても欲しい本を身銭を切って帰ってきて、新歓のいい匂いがするまま読むみたいな場面でないと嬉々として本を読み始めるということはあまりありません。そのわりに本が好きだという自覚があって、というか人に本が好きという話を趣味の代表格としてよくするので、そっちが先かもしれません。まあ今はそこではなくて、好きなものであってもその始動が億劫におもえてしばらく手をつけないことがある、とくに初動の楽さが尋常ではないTwitterやYouTube、ましてや大して好きでもないインスタグラムを優先して開きまくったりすることも多いですから恐ろしいものです。そんな状況を打破したいというよりかはただ本をもっと読む時間のある1日が僕の思い描く理想、あの静かな刺激を毎日少しずつ取り入れて、書く文章への刺激の幅を担保したいというとサッカーとかビジネスの話をしているようでドライですが、まあいいか。やっぱり現状1日のペースメーカーでありマイルストーンが文章を書くことになっているので、僕は毎朝まとめて4000字仕上げてしまうというよりかは、量を重ねていく中でやりたい他の行動に気づき、その実行をここで誓うことによって苦手なガンガンやってくスタイルを実現しようと企んでいるのです。書かなければ何も実行に移せる気がしません。それを言える相手でもいればいいのですが、逐一包み隠さず恥もなく送って後押しの言葉をくれて、一連にひっかかりがない存在ってそれもう自分だろうと。いいことしか言わないけど本当のことしか言わない。それが本当のことだとすぐにわかる。書いている、描いていてしゃべっていて録っている自分と、それをみている自分だろうと。他者と自分を区別しない、という言葉を頭にふわふわさせて生きています最近は。なんでかといえば、まるで自分の中に他者がいないと決めつけてしまうからだと思います、っていうか今思いました。昨日なんかは朝のホームで同じ言葉が頭の周りをふわふわフランダースの犬の最後に出てくる天使みたいに浮かんで回っている時に、他者の悩みなんて大したことがないように思えてしまうから、みたいなことを理由として考えていた記憶があります。新宿駅最後の小さなお店ベルクという本、バイトやめる学校でおすすめされていた本ですが面白いです。ちょっと文量を書き溜めたあと、親父が昼寝から目覚めるであろうタイミングからリビングでティアキンを1時間半くらいやってから図書館に行こうと思っているので、この本に関しては今回返す予定はないですが、さっき寝室で村上春樹の雑文集の表紙をみて今日はこれかもしれないとおもって高まった読書テンションをこちらにあててみることにしました。とはいえ小さな文字を最初から順を追って読む気分ではなかったので、幸い見出しをつけて原稿2枚くらいの文章を連ねているスタイルだったので気になる見出しを見つけてはポツポツ読んでみました。まず、すごく落ち着いた言葉遣いだったので読みやすかったです。アンチリタイア主義で体調管理、という見出しの章があるのですが、そこで下半身を温めるのを意識している、血の巡りが良くなり、体からのサインを感じやすくなる。結果思わぬ疲れに気づけたりして適切に休息を取ることができる(意訳)とかいてあって、具体策としては靴下の重ねばきとなんだっけ、半身浴だ。実家に居させてもらえているので湯船にはつかれていますが、根気強く継続していくと、とあるのでそういえるほどには暖められていないかもしれません。とりあえず履いてすらいなかった靴下は履いて、トランクスの爽快感に浸ったままのむき出しの下半身は高校時代の赤いジャージに包みました。お湯に浸せよって感じですよね。坂口さんもそうですが、体のケア、生きることを目的としたケアとしてはとにかく温めることが大事みたいです。大して冷やすこと、これはアスリートの瞬間的な馬力を実現するためのものなのかもしれません。Twitterにいるきーすさんという街クラブの指導者をやっている方は「一番キマるのは水シャワー」と言っていました。サウナと違って金もかからないしいいかも、とそれをみたときは終わりの見えない猛暑の中だったので試してみたら、最初ヒュッとなる以外はとても気持ちがよかったです。でも冷水って程の冷たさでやってませんね僕は。つめためのお湯みたいな、常温ちょい上くらいの温度で浴びていました。無理せずにイキれるのでおすすめです。娯楽としては馬鹿にできるもんでもないなと、一時期アンチをしていたサウナをみて思っています。3ヶ月に1回気心の知れた友人と行く程度でいいけど。それも会話メインで、あんましサウナに関心を振った行事はもういいな。あと一周でいい。あと出たら500ミリのアクエリを絶対に飲みたい。

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コーヒー


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