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無為に生きる 1日目

おとんす!無為に生きる・1日目。なんとなく5日くらいのサイクルで文章を書いていくのかなと予想している。一万字とゼロ生活も、スラダンの映画も4回目くらいでうーんもういいかも、5回目でもういいかも、できるかも、6回目ができなかった。というかやらなくてよくなった。次やることをすぐに探すのも疲れてしまうので無為に日々を過ごしてみることにした。こちらはあんまりさっさと済ませようとしないほうが良さそうなのと、あとはシンプルにいつまでこうしていられたら嬉しいかと考えて、6月までやることになった。多分四日後くらいから新しくやりたいシリーズの連載がはじまるけど、そこはもう並行でいいわけで、勝手にブレンドされることもあり得るというか、二つの違って見える流れも、同時に起こっていると分けてどうこう、とかなくなる。だからとりあえず、今は一番アガる形で、6月まで派手に時間無駄にしてこうぜとガチで言ってみて、本気でサボってみる。これはもう描くだけならしんどくもなんともないんで、あえてしんどい時間に書こうとしなければね、書き続けるんだと思うけど。あ、絵描いたんだった。模写。

写したもとの漫画と並べて撮るのはやめにした。こうやって置いとくとこれを、俺が描いたのか?となれるし、ひょっとしたら次描くときに、もっと写す意識から自由になって、結果的にもっとそのまんま描き写せるようになるかもしれない。そんな気がする。それにしても元の絵がいい。ハイキュー43巻おすすめです。今度音駒戦のとこも買いたい。あのへんから絵に自信がつきはじめたってそんなことを古舘先生も言っていたけど、大学生のときにサンピアの湯で一気読みした限りでは最高の絵だった。鴎台もブラジル編もプロ編もどんどん絵が鮮明に、体を描くことから逃げない画風になっていくけど、この流れが始まったのはやっぱり音駒戦だった。半分後づけだけど。あんなに面白く、因縁の対決だと読者に待望されている割には地味な展開になることが間違いない試合を描けるんだ、と影山のオープン!をみて驚愕したものだ。ドンジャンプは漫画のほうが動いてた。バカ!まだボール落ちてない!の演出はほんと映画粋だったね。Blu-ray買うよ。音の良い映画館でもう一度みるのもいいけど、そのお金でねこまんとこのコミックスを揃えるのもいい。俺が好きでたまらないのは、結局のところそっちだから。となると、青葉城西戦とか白鳥沢戦はどうなるんだろう。擦り切れるくらいラストのラリーはアニメで見返したけど。白鳥沢戦はとくに、アニメの方が縁が深いからな。俺は俺が思ってる以上にさっさとジャンプを買わなくなってしまって、ハイキューを切り抜いて束ねていたアラシって友達に運よくタダで読ませてもらえたから今こうやって、俺はもうあのころからリアルタイムで追っててよ、って顔ができるだけ。まあ出だしのころを追ってたのは間違いない。でもやっちゃんが出てきたころにはもうジャンプ買ってないからな。結構早いよな。中2は買ってないってこと?そのへんはアリイが毎週買ってて、その時期の打ち切り漫画のタイトルだけはアリイから聞いたり2ちゃんねるでみたものを覚えてるから、未だにそれをぽろっというとアリイはめちゃくちゃ喜ぶ。三ツ首コンドルとハイファイクラスタが一番ウケる。あとタカマガハラ。そん時は俺も買ってたな。15時半になったら夕飯つくる。父になにかつくっとく?と聞いたら、Twitterで料理研究家がレシピを140字に収めるために開発したようなフォーマットで準備の段取りが送られてきた。その通りに作ろうと思う。しかし無為に生きてるからな今。まあうん、自分から離れるという意味ではよし、ってのと、なんでもよし、ってのとでなんでもよし。

洗濯物干してくる。

マキさんのラジオ聴く。普通に女子トークに聞き耳立てられるの嬉しすぎるだろ。女子トークでもないか。まあぱっと見のワクワク感と、実情に焦点をあてたとき得られる充足感は両立するのでね。もう、元気になってきてる。しかし俺はここで暗いまま居続ける、という実験の中にいる。暗いままでいい。

シンヤさんに福岡の催事の情報もらう。最初に全然給料のこととか旅費の補助のこととか聞いてなかったし、なんか根拠はあるっちゃあるけど(「普段働いてる感じだとここは当然のように出してくれるだろ」)そのまま当日まで突き進むのは無謀だと、母にそう言われたわけではないけどそう思わされたので、いい機会だしシンヤさんにLINEできいてみた。そういえばもう21時とかだったけど気にするのを忘れてた。で、すまんけど3ラリーくらいして不安はある程度解消された。あざますシンヤさん。

さすがにラジオ聴きながらこれ書くの難しいな。まだ音が出てるのがパソコンで書いてるのがスマホとかだったらいいのかもしれない。スマホとスマホだともうごちゃごちゃ。嫌でもないけど。本のある1ページのある1文字を見たままぼーってしてたことにきがついて、今度は少し自覚的にそれに取り組んでみる、って時間も嫌いじゃない。少ししたら嫌になる。やっぱ俺読むのおせーなと。あとは頭の中でそっちの流れが派生してって循環を始めてしまうので、ただそのときの認識としては、本読むの飽きたな、として読むのをやめる。

レミちゃんのバースデーディナーの店を決めた。めちゃくちゃ良いと思う。俺の方が楽しみにしてる。それはみんなそうか。誕生日プレゼントとか、あげてからよほど時間が経たないうちはあげた側のほうが気に入ってんじゃないかな。思い入れが違うよね。まあそれも、このプレゼントを俺のものだと思ってるからなのかもしれない。でもこのイタリアンの店はさ、池袋のGRIPっていうんだけど、たまたま、なんで気がついたんだったかな、ホテルが高田馬場からバスでいったところで、周辺の飯屋を適当に検索したんだったか、でも池袋のまわりを探してた気がすんだよな、あのへんは頻繁にいくので特別な動作ではない、しかしたまたまGoogleマップで見つけたお店なんだ。Googleマップでいい感じの飯屋と居酒屋を探し、見つけることに関しては一家言持ちの私である。じゃんじゃん頼ってくれたまえ。あれはね、やはり写真をみるといい。星は、そうだねどうせポチッと店の詳細を開くときに見えてしまうので気にしないとかないんだけど、4.0はのっていてほしいよね。でもそれ以上は望まなくていいかな。大事なのは写真。いい店にはいい写真を撮るお客さんが集まるのかな、いい写真を撮らせたい感じの店もみたらわかる。それはなんというか、いい感じじゃないからわかる。食べ物にかぎらず、サンプルを見ている気分になる。このへんは坂口さんが立ち寄る店の写真とか自分で作った飯とかあげるんだけど、それがもう百発百中でよくて、なにがいいかってやっぱり写真としてまずいい、その空間がいいのかは彼の言葉を通してしか僕は知れないけど、その写真がいいかどうかは今この場で判断がつくから、練習しやすいということなのかもしれない。彼と出会ってからこの技術は飛躍的に洗練された、というかここについて不思議なことに、彼が粋な店の写真だったりをあげているのをおーめっちゃあげてるな今日も、とTwitter大好きだからほとんど欠かさず見る日々が始まる前、どうやってやってたか思い出せない。多分粋な店とか探そうともしてなかったと思う。それっぽいところを探すので精一杯だった。やったろうなんて思ってなかった。今も彼の目を借りているだけといえばそうなのかもしれないが、そうでもない。とGoogleマップでの店探しについてだけならそう言える。珍しいことだよ。ま、熊本行ったら迷わず彼のおすすめに全乗っかりだけどね。ピッツェリアダロッコまじで美味いのでいったほうがいいよ。橙書店は、俺の体がでかすぎたのと未だに車幅を捉えきれてないところが重なって箒かなんかを倒してしまって、苦い思い出としての記憶が残っている。どちらかというと。あそこでレミちゃんが、幸福人フーの表紙が可愛いから読みたいといってくれて、俺は心配性の彼女に読んでほしいと思ってたんだけど、なんか俺が、奥さんについての本を彼女に読ませるのは彼女に足りないものをリストにして目の前に突き出しているようで気が引けて、あれを言ってもらえなかったらおすすめできないまま死んでいただろうから助かった。今度はセンスの哲学を読んでほしい。俺もまだ読んでないけど、あれはみんなが読めるように書いてあるらしいから、読んでもないけど俺もいろんな人におすすめしてみようと思う。そのころには読んでると思う。

さて、なんだかんだで文量が最後に膨らんでくれまして、安定期に入りました。ここにきてようやく僕は皆さんに報告できるんです、自分にこのペースだとまずいぞ、って発破かけるために文量の話をすることもありましたが、今はそういうきかんではないので。もう別に書ききれなくてもいいんです、どうせ書き切れるだろ、ってだけで。これは驕りでしょうか、どちらでもいいんです今は。もうなんでもいい、ってわけではないですが、生産性、もっと先へ、もっと上へ、は要らないんです。今の僕には。多分ですけどあと4日でこの気分も変わります。もしかすると、というかおそらく、これと真逆ともいえる方向に転換されていくのだと思います。あのときの無為は、その先にある、この、真の創造をするためのものだったんだ!と僕は気づくことになるでしょう。今の僕からしたらそんなもん勘違いでしかないんですが、まあほんとなんでしょうな。これもまた勘違いであり、あと、時間はやっぱりありますから。今の僕と、そのときの僕との間には。生きてその時を迎えられればの話ですけど、生きた時間がすでに違いますから。無為にとか創造的にとか、チンケな差です。

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