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最初こそまずはできるヨロコビじゃないかい

こんにちは!ゆっくりスタート14:39。ちょい眠です。カフェインレスのコーヒーを飲みましたが、カフェインが入っているコーヒーを飲んだときと同じように眠いです。眠いというか作ることをしていないからある部分が暇なだけだと思います。これなら寝といたほうがいんじゃね?みたいな。今は書くことを始めたので徐々に眠気がとれてきました。日中ほんとうに昼寝をしなきゃいけないときというのは気がついたら寝ちまいますからね、あえて洗濯してとかスケジュールに入れるまでもないかもしれませんね。

ジャンプを買いました。親父が北海道旅行で派手目に骨折したので、しかも三連休直前だったんで精密検査ができず、5日くらい経ってようやく大きめの病院にいけました。来週の木曜日から入院して、手術とリハビリをしてから1週間ちょっとで退院するみたいです。という診断をもらうために隣町に車で送迎して、受付で事前に書くやつ、カルテはそれとは違うのかな、違いました。診療録のことらしいので、お医者さんが医療関係者さん同士で使うために作るやつみたいですね。問診票か、そんな気がする。そうでした。骨折が利き腕じゃないほうとはいえ、なかなか量もありましたし不便だろうというなという記入まで手伝えたので、今日僕のバイトが休みでよかったと父が言っていました。僕もそう思います。診察を終えたあと、一度家に帰っていたのでもう一度車で病院に向かい、会計が終わるまで少し時間があったので、コンビニみたいなところによりました。中国語みたいな名前を掲げていました。日常という言葉に健康的な2文字の熟語がついた感じの名前だった気がします。なんだったかな。これは調べないでいいか、そんでプライベートブランドのお菓子の感じはローソンっぽいな、ってかローソンと共同でやってる感じなのかなーと店内を半周ほどしたところで、今週の週刊少年ジャンプが目に入りました。カグラバチというカッコいい絵の漫画が新しく始まっているようでした。先週始まった魔々勇々がハンパなかったので動向を追って行きたいなーと思いつつ、いちおう週300円弱は今までになかった出費が発生するわけなんで、どうせ買うにしても慎重に決断しようとしていました。とことん悩むことを最近は良しとしてみています。ただ先週に引き続き表紙のインパクトが強すぎて、まず素通りはできませんでした。あと三連休だったのでてっきり今週は休みだと思っていたので、ジャンプ講読観の低下からブランクを実感するとともに、嬉しかったです。え!読めんじゃんと。ままゆうゆう二話読めんじゃんと。あと表紙の左下、ワンピースがいつものようにデカデカと隅っこに居ましたが、先週は休載だったので、そちらを拝見した際は「ご無沙汰しておりました」という感じでした。しかもルフィvs黄猿白熱!みたいな煽り文だったのでなおさら素通りはできませんでした、というか凝視不可避でした。尾田先生が2ヶ月ほど前に、ワンピースが最終章に入っていくにあたり「こいつとこいつが!?みたいなワチャワチャ感をどんどん作っていきたい」というふうなことを言っていたことが思い起こされました。そんなわけで、まあ決め手はやっぱりままゆーゆーだったのですが、下手したら今週分が店頭からなくなってしまいそうな金曜日くらいまで悩んでいた可能性の幅が、一気に収縮した火曜日でした。やるなら早いほうがいい、とはこれを買った今でも思いません。どっちでも同じだけ面白いと思います。そして明日はこれを読んだかどうかに関わらず、明日楽しいことを探さなくてはなりません。そうでないと暇で、暇というのは大抵の場合僕を焦らせます。それが1日フリーの日の午前中とか昼にかけてとかだったらいいんですが、バイトと家事でヘトヘトの夜に暇を感じてしまうと、もうどうにもならんのにソワソワするという事態が起きてしまいます。そういうときはもうやっぱり何か自分で作るしかありません。読んでも何も頭に入ってきませんし、入ってこないこともまた不安を増長させ、息苦しさを強めますから。そんなわけで今15:05ですが、こんな時間まで書くことを後回しにできたのはフリーの日ならではだといえます。だって4時ごろ起きてTwitterは見てみたけどちょっと頭重かったですし、起きたら起きたで朝飯をゆっくり食べたかったですし、ティアキンを結局はここ1週間できなかったので最低でも1時間半はとって話を進めていきたかったですし、本もちょっと読みたかったしね。図書館で借りてきたやつ。ベストセラー小説の書き方というやつ。坂口さんがハウトゥー本としてめちゃくちゃワクワクするフォーマット。エンタメ小説なんて書けやしないのにめちゃくちゃハマって何度も読んだ、みたいに評していたので直後に図書館で予約したものが、2週間ほどして届きました。なんかこういう期間とか数字はなるべく具体的に書こうと心がけているのですが、やっぱり2とか3が多くなるんだよな。あるいはそのあたりが記憶のキャパシティを表現する数字なのかもしれませんが。1ヶ月前と1ヵ月半前だと途端にどっちでも良くなりますしね。そのくせ4ヶ月前よりは3ヶ月前な気がしてくる。なんでもそうというわけではないのかもしれません、ここ2.3ヶ月、2.3週間が僕にとってエキセントリックなものであるだけなのかもしれません、だけというのも変ですが。2、3時間前だとピンとこないな、その時間は何をしていたというのが分かっちゃうから。いやそもそも何をしていた記憶を思い出そうか決めずに話しちゃってるのでめちゃくちゃなんですが。そりゃピンとはこないだろと。でも2.3分前はピンとくるんですよ。なにいっても2.3分前にそれを思っていた気がしてくる。そのくらい印象深いものなのかもしれません、1分ちょっとおいて、ようやく発酵しはじめたような、独特の香りをはなって鼻を刺す記憶というのは。今パンを焼いているとき、あるいはクッキーを焼いているときのバターの香ばしさを念頭において喋りましたが、口では発酵といいました。さて、4000字達成確定演出といわれている2500字に到達しました。ここからだらだら2600まで達すればなお堅固なものになります。とりあえずおとといだっけ?その前の日だっけ?やっぱり2.3日前だと思っちゃうし本当にそうなんですが、レタスやらスライスチーズやら、普段父が定期的に近くのスーパーで買いためてくれる日用品的な食材を代わりに買ってきたのですが、そちらが尽きてきたのでこれから買い足しにいってきます。今日こそは余計なものも少し買ってやろうと企んでいるのですが、いざスーパーを歩いて値段と左ポケットに入った父のクレジットカードのフォルムを想像すると、まあ頼まれたもんだけ買うかとなります。漬け物とかは買っても良さそうなんだけどね、あ、あとノンアルコールのお酒はいいかもしれない。ノンアルコールとはいえ炭酸は入ってるしな、骨の回復には良くないだろうなと思って父のカード関係ないところでも渋っていたところ、昨日普通にいつものチューハイを飲んでいました。そんなに関係ないのかな、ネットで調べたらいくらでも不安要素は出てきそうだしもともと嗜好品ってそういうもんだし、とくに調べません。あー3000字きた!もうこれはいっちゃいますね、僕もスーパーに行っちゃいますからね。

帰宅。X休憩。冷蔵庫に食材も補充してうまいこと古いのから使っていけるように微調整もして、乾燥機で乾かしたタオルの整頓と、乾いた洗い物の片付けは後に回してきました。17:30に米が炊けるように設定してきたので、とりあえず17時までは書こうと決めてやってみます。bgmは坂口恭平のmusic for the museum。来月熊本行くんで生museum見れたら嬉しいですね。感無量と書こうとして少し変えました、よりシンプルな方に。なんだか書いていて、ちょっとずつ読みやすい文章が書けるようになってきたんじゃないかと思っています。なんというか、下手に難しい言葉を使おうとしなくなったというか、ここは言い切ろう、ここで話戻そう、ここは脱線してでもしゃべりたい、という判断のしかたがちょっと変化してきたような感覚があります。少し前まではメモ、パッと思い浮かんだ今にも消えてしまいそうな灯火を、風下からそっとすくうようにとにかく目の前に見える言葉を打ち込んでいくことを意識していました。その前は狂気というか勢いですかね、流れを止めないこと、その前がちょうどさっき話したような言葉遣い、言葉と文体のチョイス両方ガンガンに意識してやっていた気がします。なるべく被らないように、というか部分的にかぶることは当然のものとして、その傾倒をなるべくはやく揺り戻す意識とでも言いましょうか、昨日のピタゴラスイッチの装置大好きだったけど、まああれにガンガン意識持っていかれるのは仕方ないというかああいうの作りたい!とそもそも始めたんだけれども、それでもそのまんま自分の手元で道のりが再現されるのをみていたいわけではない、俺だけのアイディアなんてまだ捻り出しようもないかもしれないけどとにかくその一本道にだけはのってたまるか、パクリだろうとオマージュだろうとリマスターだろうと、どんどん形を変えて逃げるように進んでやるぞ、とか躍起になっている間に俺が装置を作っているのか装置の中を転がっているのかよくわからなくなってきて、またその視点の変化もまだらに交互という感じで、そうだな赤白の旗揚げゲームみたいな、あるいは元ネタあんまりわかってないと結構な数のだれかにどやされそうな男女男男女男女みたいなリズム感で切り替わっていく視点に半ば陶酔しながら、訳もわからず書いていました。まあ今も大体そんな感じですが。ここまでに書いた〇〇を意識して〜というのは言わずもがな全部継続中です。これをどこまで増やせるか、どう書いてるか、何を意識しているか、レトリックの数だけでなく、もちろんレトリックの数も含めてより多く広く書くというのが僕の目指すところです。買い物に車で向かって道路を挟んだスーパーの専用駐車場で降りてから、20秒ほどの信号待ちを含むわずかな時間の中で似たようなことをたしか思いました。俺はうまい文章を書けるようになりたいのか?そのとき誰の文章も思い浮かびませんでした。俺は小説を読むのが苦手なんだという思い込みの膿をえげつないほど深いところからかきだしてちげえだろ!!ほらここの部分に好きって書いてある!!って叱ってくれた村上春樹先生の小説とか、エッセイとか、千葉雅也先生の上品でシャレの効いている、総括して再び上品な語り口とか、本ってこういうことだよと、文章を仕事にするってこういうことだよと丁寧に全部見せてくれた坂口恭平さんの生き方も、こういうのをやべえ文章っていうんだ、何いってもカウンター食らわされそうだなという山下澄人先生の文章、なんにも頭に思い浮かばなかったんです。それってつまり、自分で作りたいってことでしょう。誰も知らないかは知らないが、誰も作っていない、口には出していない文章を。余談ですが、「言葉にされているかどうか」というのは判断材料にするには危ういところだと感じています。なんというか、何周目の言葉かわからないから。その人が何枚衣を纏っているか、あるいは肌着の下の肌のそのまた下、細胞とか染色体とかもっとうっすらとしか見えない部分まで含めて何枚揺らいだ痕跡としてのかさぶたをもっているか、いまとなっては枚数でははかれないその厚みを観察しないことには、その言葉の持つ意義を図ることはできないのだと思います。ちなみにうまくなりたいのは絵だろ、という言葉は即座に出てきたのですが、ただの反発力というか思考の弾力性からきたものかも知れません。そちらも誰のどんな絵、というイメージは浮かびませんでした。となるとさっき話していたことの立場が危うくなるが、まあいいか。仮説とその根拠、という一本の関係性が壊れるだけですからね、そんな消耗品のひとつくらいくれてやれ、ピタゴラスイッチ制作班なめんな。

今日は千葉雅也先生の君たちはどう生きるか評の「俺の頭の中はこうだ、という映画」というのを目にして、「うわ、先に言われた」と悔しかったので粘って色々言葉にしてみました。ちょっと予感していたことですが、そもそもこれは千葉さんの批評のほんのつま先でしかないのかもしれないし、こういう無数のつま先指先へそごまみたいな感想をすとっくしておいて、なによりそういうのばっかり集めてすげえ量かけるのが凄すぎるというのがあるから、ぶっちゃけ悔しがるだけ損。でもまずは悔しがれる、俺にもなにか考えられるという喜びだろうと思って書いています。猫又監督の「じゃあネットを下げればいい」「最初こそまずはできるヨロコビじゃないかい」という言葉がずっと心に残っていて、それのオマージュを何度も何度も書いています。決まって、千葉さんがいつだかTwitterで村上春樹先生たちを指して言っていた「あがっちゃっている人」のすげえものをみて、俺にもここはできんのかなと、なぜか悔しさや焦燥感の色も帯びたような胸のざわめき、ソワソワを覚えた時にこの言葉を、書き換えては反芻しています。まだなんかあったかな、あるっちゃありそうなんだけどもう5時半なんだよな、思ったより時間も量もかけた。よし、17:29、5500時弱、今日の分完成。提出してきます。飯も作ってきます。油淋鶏です。またユーリーチンと言い間違えました。母が作り置いてくれたやつです。いただいてきます。ありがとうございました。また明日。

らがん

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