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標語とセッティング

模写 第1号

おはようございます!模写からスタート。この漫画のこのカットが好き過ぎて、ちょっと第1号なんで影山が下手すぎるんですが、この表情をよく僕も真似しています。書くことで真似ているのは右の日向ですが、自分の顔で真似しているのは影山です。相手にいいプレーが出たときに、悔しがりながらも喜びを抑えきれないときにする表情です。日向のほうはうひょー!とたまらん自分の根源的な喜びを表現したいときにかきます。というかこの日向の表情が書いてて気持ち良すぎるのでよく描きます。模写かはわかりませんが、また描きたいと思います。

ただこれ斜めからとったほうがよく見える。と思ったが実物をみるとそうってだけかもしれない。写真にすると正面からのほうがいいな。いいというのは商品っぽいということだろうか、いや、僕はより日向翔陽がそこにいる感触を得られるものをよくかけていると感じるようだ。影山を描きたくてこの模写を始めたのだが、難しい。この顔の角度は。影山の顔の構造をいまいち理解できていない僕にはより、描き写すのが困難だ。あと、うす墨と墨色が出る筆ペンでネタを入れたのだが、スクリーントーンが貼られている部分をうす墨で塗ると濃すぎるな。目とか、めちゃくちゃ近くで見ると悪くないけど遠目で見ると塗ってないほうが綺麗。ちょっとずつ道具を仕入れていこう。今の僕は何でもかんでも買わないが、4月の頭になったらわからない。3月頭はほんと、物欲が凄かった。

9:15がやってまいりました。10時半からタケトの結婚式ムービーに取り掛かりたいので書くのはいったん10時までとする。今日はなるべく早め、昼飯より先に動画編集に取りかかる設定にする。腹減った。甘いもんが食いたいが、ここでコーヒーを入れ始めると長くなる。冷凍庫には妹が先日コストコで買ってきた特大マフィンがあるが、いま温めても他に食べる人がいない、今日中に食べるのならまあ冷まして冷蔵庫にでもまた入れておけばいいのか。図書館にもいけないしな、暇っちゃ暇だな。近くのイオンにボウリング場が残っていればよかったのに。一人で練習しても楽しいものなんだろうか、一人で練習するのが僕は好きだと思っているが、バスケのシュート練はそうでもなかったようだった。あれは指が鈍ってしまうとシュートが入らなくて楽しくなくなる、毎日打ってると結構な頻度で入るようになる、2年間繰り返してたら公式の試合の土壇場でも決められるようになった。でもなんで続けられてたかというと、というか楽しいとさえ思えていたかというと公式戦で得点を量産できたのはあまりに偶然性の高い出来事だし継続した先にあったご褒美のような出来事だった、その後はそれもモチベーションに取り込まれていったのだが、なぜ僕はその前に練習を早朝から続けられていたのかというとやっぱり友達がいたから。友達と、アサトとオーツカとタツヤと、反対のコートで黙々とシュートを打ってるマコとかナミとか、そのへんがいたから、静寂はもともとなくて、だから俺は別に黙っててもいいんだという安心できる状況があって、おれはそこであえておちゃらけることができた。なにも、やらされていなかった。おちゃらけていて気持ちがよかった、いつやめてもよかった。やっていると、みんなは褒めてくれた。お前は雰囲気をよくすると顧問のコシカワ先生は言った。僕達の代全体に向けた言葉だったはずだが、ぼくはもちろん、ほとんど僕に向けての言葉だと捉えていた。いつでも、唐突に声を出し始めるのは僕だったからだ。最初に声を出す奴はそれがわかる、だって急に声を出し始めるんだから鮮烈な出来事でしかない。腹が減らなくなってきた。父は午前中、稲毛のフォルクスワーゲンに行ってくるらしい。妹はこの時間に家を出たということは、たぶん春休み中だし昼過ぎには終わるバイトだろう。つまり僕は昼過ぎに、父がすでに帰ってきていればだが、駅まで妹を迎えに行かなくてはならない。それは今のところいやなことではない。でもだいたい、そのときにはちょっと、いやかなり嫌なことになっている。いいところでいつも連絡をよこすし、着くのが数分後とかだからすぐに家を出なくてはならない。僕はこの数分をかき集めたら膨大な時間になるよね、という考え方が嫌いなので、例えばこの今日のぶんの日記が残っていれば気軽に数百時書き進めることもできるが、そうでなければ家事をすすめることくらいしかやれることとして思いつかなくて、だったら先に家を出てゆっくり安全運転で駅に向かって、停車した場所でゆっくりしていたほうが良いとも思えるのだが、路駐かロータリーで待つことになるわけで、僕はそこでの待ち時間が1分、2分伸びることにかなり緊張を覚えるので、それも正直向こうについて周りを気にしないようにしよう、バックミラーをチラチラ見過ぎないようにしようと心がければなんてことはないともいえるが、向かう前に、耐えられないほどの緊張に襲われるので、僕は結局妹を待たせてでもぎりぎりに着くように向かう。だから家ではすぐでなくてはならないとはいえ5分10分余白が生まれて、いつも僕は困っている。

さあ、先に安心しとこう。今日の夜、例の結婚式ムービーの先行上映会が予定されている。が、今日も予定としては2時間以上編集に取り組むつもりはない。締め切りが伸びたら嬉しいが、1日につき2時間ずつしかやらないだろう。まあ明日の2時間もあったら大きい。バスの中では厳しいかな、一応WiFiとかあるんだろうか、そういえば参列独立シートのバスにしたから、それさえあればなんとかなるかも。それよりプロジェクターだ。有料オプションらしいから事前に管理会社に言っとかないといけないのだが、タケトの名義で借りているはずだから僕から直接電話をかけてもめんどくさいことになりそうだ。ヒナタを経由して新婦のマイさんに用意してもらう必要があるな。動画編集だけやればいいようで俺の仕事のウエイト重すぎないかと文句を垂れようとしたが、実質的には、というか普通にここでの仕事は動画を完成させて、その前に今、ヒナタに連絡を頼むことだけだ。とりあえずプロトタイプを作って、特に裏切りとかは必要ないだろう、たとえば、僕が明後日までに完成させなくてはならないのは真面目なメッセージが羅列される動画のはずだが、それとは別個で、各々ふざけた動画も作ってオムニバス形式の番組を作ろうとそれぞれに募ったのだが、そこにあてて送られてきたタケダの「はるゆき」があまりにいいのでどうしても現地で上映したくなってしまい、となると真面目なメッセージと唐突のボケが入り乱れるような格好になるわけだが、別に今日は真面目なメッセージ動画のテイで一つ完成させておいて、サプライズとして当日ふざけた動画とブレンドする、というやり方を、とらなくてもいいなと思い直した。やることが多すぎて混乱する。とりかかる気力が削がれる、続かない。とにかく完成を目指してやっている。今日、2時間でできる範囲で動画を完成させる。上映会は夜のはずだから午前の作業時間以降に追加でなにか手を加えたいと思えば、やる。要は第一次的な意欲、みたいなものでのみ作り上げたいのだ。なるべく、絶対に、でないところがポイントだが、無理はしたくない。頼まれごとである時点で無理はしている。もうこの手の仕事を引き受けるのはやめようと思っている。しかし手元には残念ながらというか、みんなに見せたい素材がある。いつもこんな感じで、やらされている。絶妙にやってしまう、程よく無理のある、やらされ仕事。とはいえ僕はこれをベストだとは思っていない、から、どうするか。まずは今日こそ1日かけて動画編集に勤しむぞ、という姿勢を崩すことにした。2時間しかできないことにした。午前中はとことん俺のやりたい、というか体を楽にする仕事しかするつもりがないのだが、あえてこの時間帯に編集を差し込むことにした。午後になるとめんどくさくなって、2時間すら取り組めなくなる、作業の時間を設定したところまではよかったが一向に取りかかれず、2時間のうち最後の10分だけ取り組んで、はじまったらはじまったでやりたいことは生まれるからそのあと1時間くらい追加で作業をしていた。これの何が嫌かって、家事がめんどくさくなる。食事がやっつけになる。この日は偶然母が朝夕飯のおかずを用意していってくれたので、その気になれば僕はレンジとIHのスイッチを押せば空腹に困ることはなかった。でも俺は夕飯をもうちょっと、創作の時間にしたいのだ。息抜きの創作、大学受験期に僕が、ツイートや友達とのLINEをやめなかったのはそれが俺にとって、広い目で見て必要なことだったからだ。それさえ続けていれば、僕は嫌になったりせず、むしろどんどん嫌になって惰眠を貪り始める周囲の人間を全面的に原動力にして、ノリノリで勉強できたのだ。あれもやらされ仕事だったが、楽しいっちゃ、クソ楽しかった。結果的に上手くいったからそういえるのがすべてだが、その過程の楽しかった記憶がすべてあとづけの、第一志望合格によって焼き直されたものだとは全く思えない。あの時間、俺はとんでもない純度のやらされ仕事をしていた。ここがポイントなのだと思う。やらされ仕事の中にいるとき、これを思い出す。あの時もうまくいった、と思い出すのではなく、同じように、なんならこの動画編集はぶん投げて間に合いませんでした!としても良いのだし、「やらされ」の濃度でいえば比にならないくらいあのときの受験勉強は、放課後の部活は、やらされていたのだ。あまりに濃すぎて俺は別のことをしてもいいのだと気づくことができなかった。それはそれとして、参考になる体験がそこに落ちている。参考にする。セッティングをしていた、とにかく、その場ではいうことを聞いて、楯突いたりせず手足を動かしていた。それ以外の場で、あるいは時間的に見ればまったく重なるような場でも、ツイッターをしたり友達と倉庫に爪を切りに行って最後のシュート練をサボったり、でも早朝のシュート練は欠かさなかったので試合ではシュートが入ったしコシカワ先生もそれをしっていたからか文句を言われたことはない、それどころか俺は叱ってもしょうがなくて褒めると信じされない活躍をするときがあって、そうでなくても気分がいいとひたすらおちゃらけた声出しで練習や試合前のアップを強豪校みたいに(して遊ぶことが)できる。セッティング、という意識ではないようだ。僕が頭に置くべきは、まあやりたいことはやって、いうこと聞いているふりをして、何より俺が気持ちよくいることだと認識しておいて、バランスが崩れても笑っている、そのために、一度笑えなくなった僕がもう一度いつでも笑っていられるように、最近学んだ技術が定量的にみる、時間で区切ってみる、つまりそれは俺がその場その場でまず気持ちよくいられるようにセッティングしておくという言い方もできるわけだが、それだと前もって、足を止めて、という印象をもってしまうので標語としては適切ではない気がする。僕は標語を気にしすぎてしまうから、でもそういうのが好きなので、持つのならばセッティングではないほうがいい。でも僕はそれを日々実行しているのだとときどき確認して、にやっとすることができる。

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