白かったとき、スマホ気持ちー!って思ってた

おはようございます!あと1時間半後の電車に乗りたいので40分後くらいには動き始めたい。その前にLINEを返したい。これは10分後くらいにはやりたいがはあ、という感じなので、今はやりたくないからやりたいことを探して、ピザラ人狼をみてそろそろ書くかあとnoteを開いたら魚住さんという人が久しぶりに投稿していた。

持ってく荷物は、とくにない。特別なものはいらない。肌着が一着欲しい。服は同じでいいよな。図書館の本はちょっと受け取りたいけど重いかなー、家からは本を持って行かなくていい日な気がする。いったん返しとくか、LINE。藤岡拓太郎の、かしこまりましたスタンプで可愛くまとめる。了解、ってスタンプの中ではこれがいちばん好きだ。ガングロたまごちゃんのOK!ってやつもいいし、サマーウォーズの主人公のアバターのYES!ってのもいいね。だいたいその3つを使い回しているね。髪も整えたし、あとはちょっとオイルをつければ良くて、北九州へ飛ぶ前に一度家には帰ってくるから髭も剃らんでよし。なるべく剃る回数を減らす。帰ってきてからはあまりゆとりがないだろうから、時間的にも体力的にも、だから先に長く伸びて、剃りづらい位置にあるものくらいはそっといてもいい。やるか。そっといてもいいけど、まあいいや、と書こうとしたんだけどやる気になった。句点にゃ良さもある。

1000まで書いたら準備しよーかな。準備っつっても大したもんはない。図書館で本、受け取って戻ってきてまたおんなじ方角の駅に向かうのもアホらしいので、おでかけにもっていくのもあれだが受け取ってそのままいこう。とにかく受け取りたい。3万円で家を建てるやつと建設現場を借りた。昨日土になるを買えなかったもんだからちょっとした足りなさ、焦りがあるのかもしれない。朝見たドキュメンタリーはめちゃくちゃ痛かった。後悔しそうになった。2話と5話、それから6話はあったかくてよかったよ。やっぱ一人語りをさせると鋭いことをいう男。でも見ちゃうね。垂れ流しじゃ足りない、そんな、片手間のために割いたキャパシティじゃ到底、視線を逸らしながらだってよーって口を尖らせながらでさえ、受け止めきれない。受け止めたいからそうしている。なるべくこぼさないように、今は痛がる、この痛みは必要な痛みで、僕にとってあった方がいいものだから痛いけど少しも取りこぼしたくない、みたいに思ってみていた。途中で痛すぎたのか、痛い時間が長すぎたのか、飽きたのか、両者は同じなのか、まだわからないがみるのをやめた、というか寝っ転がった。日が出てきた。俺の活動開始を祝うかのようだ。昨日は寝たのが遅かったのに起きるのは早かった。あとで、あとで、眠くなるかもしれない。

11:17。電車。日曜、鬱。帰りたいがどこに帰りたいのかわからないから帰ればいいということでもないのだろう、しかしどこか気の休まるところへいきたい。お出かけの予定だったが、とりあえず会って、近所でのんびり過ごすことにした。いま、鬱なんだよねと言葉にしたことはない。今日もそうは言わなかったが、さかなやさんのごはんっていう美味しい飯やで飯を食えることになった。家で横になってもいいが、それだけで気は休まらない、らしい。でも多分そう。とりあえずはこの身体に、ひとの言葉を映し出してみる。俺は俺やろ、は僕が鬱から抜け出すのに使う言葉、というと好きなときに抜け出せるかのような言いようだがもちろんそうではなくて、ふっ、と、そのタイミングはわからないが必ずくる、別にいつでもいい、5月は暇にしておいた。6月も。2ヶ月で15万くらい貯まったらアツい。アツいよな。それだけで28万近くまで達するわけだから、俺は気づいたんだが30万貯金なんてさっさと達成しちゃった方がいいのだ。それであれか、7月はまたTWICEの大阪ライブがあったりするのでカツカツ予定で、その月は別に2万貯金でもいいよとできるのか、6月末で28万貯まっていた場合。まあそのリズムで続けてくのが間違いないんだが、いつなんどきも、かもねメモは開かれている。

ゆるやかなんだよ俺の鬱は。足枷を無駄に感じまくっているせいで躁も飛び抜けたものにならないし、両親も人としての気難しさ、めんどくささはあるけど俺に優しいし、落ちていきようがないのかもしれない、のだがそう言ってしまうともう1段階落ち込んでしまうから、これは「中流」に属する人特有の「贅沢な絶望」なのかな、でもキツイんだから仕方がないよね。間違いなくいえるのは、いや、そんなものはないな。

新小岩を出る。東京へ向かう。充電は80%を切って、76%くらいにみえる。レミちゃんは前の座席で寝ている。今日は一人でスマホを見ているほうが楽だ。話したほうが楽な日もある。今日はもう、ほっといてくれ!とりあえず昼飯を食うか。今日に限っては腹が減ってるわけじゃないんだよな。でも、断食ぎみの飯を食ってはいた。朝はトーストにトッピングなし。バターもマーガリンもなし。時々こうやって食べたくなる。小麦の香りが僕は好きなようだ。昼は冷凍ご飯がなかったので米を炊いた。冷蔵庫にはバイト先でもらってきたパウンドケーキの切れ端や、消費期限が4日ほど切れたクッキーがあったが、それと厨房にはバナナもあって魅力的だった、けど小麦小麦になっちゃうからやめた。こんなんだがグルテンフリー生活中なのだ。俺はレスとはいわない。フリーに向かって、いやフリーなのだ。完全には無理やろ、って、できる限り、というか今までよりぐっとそれを減らすことができたらもうフリーやろ、という見方で新たな生活を始めて、体の変化を観察する。のが趣味です。趣味は人間観察ではなく、俺の体調観察です。管理、というのもそれはそれでわくわくしますが、今はこの瞬間は、体調観察って言葉のほうが好きです。今読みたい本は、日常的な延命。やっぱこれだね。イトマイいきたい。ときわ台に行くには電車賃がかかる。赤羽で乗り換えたら簡単なのかな。

ご機嫌になってきた。車内が明るい。白い。またちょっと暗くなってきた。白かったとき、スマホ気持ちー!って思ってた。外スマホ気持ちー!って。外に出てスマホいじってるだけでも違うのかな、彼女の弟は公園でデュエマをやってたけど、健全な感じするもんな。いいねもっとやれと手放しに鼓舞できる。中でやるデュエマは、いったん褒めてー、みたいなことを考えちゃう。いやまだ、やらせといて、好きにやったほうが、でも最終的には、みたいな。アホー。

Canonの広告。ぱぱっと撮る。文字多いギャグだが鬱陶しくみえる。さっきののんある酒場の広告は気分とあっていた。この前満員電車でみたときら腹がたった気がする。前に見たのはテレビCMでだったかな、そのときはなんてしょうもない広告なんだと思ったものだが、車内広告の額縁に入るとなかなか良い。おっさん3人の切り抜き方が馬鹿馬鹿しくてウケる。

2800字、きてます。上野を出る。もったいないなー、上野好きだからここを出発するとき毎回あー、降りてもよかったなーって思う。 STORY STORYブックストアだったかな、ジュンク堂か有隣堂の系列なんだけどたしか、あそこもいい本屋で、いい本屋だと思っていたところに山下陽光さんのフェアが開催されててもうしばらくここは僕の中でいい本屋確定、安心してひっついていられるのだけれど、ここになら日常的な延命ありそうだよね。というか日常的な延命って、著者の小川さんとなんでしたっけ、出版社の、カタカナのお名前ちょっと忘れてしまいましたけれども、そちらの担当編集の方々のぞいて僕がいちばん言ってんじゃないのかな。買うまでいうからね。言ったところで、いや、この本欲しいと声に出すことによって欲求が強まる弱まるなんて単純な図式ではこれを示すことはできないが、結果的にそういう変化が毎回起こるから面白い。細かいところをみていこうとしているわけでもない、ただ、ほしいからしゃーなしに欲しいと言ってみたら、欲しくなったり欲しく無くなったり、他の全然関係ない家事とバイトと父と母と妹の迎えと混じりあって、なのかもわからないが、他のことをしている隙に、というだけなのかもしれないが、明らかにそれは変容する。形が変わる。あるいはもちろん、変わり続けているけどスケッチをとれていないだけ、でもあるのだろう。

赤羽着いちゃうねー。ずいぶん思考は上向きになってきたよ。1日の中であるからね、大きな1ヶ月ほどの波のなかで、また躁と鬱とその間がある。間の間って、そんなに不安なことありますかっていうね。鬱が1ヶ月単位なのは、1ヶ月単位でお金の管理をみているからだろう。この月はカツカツ、この月は暇、どんだけ本買ってもびくともしない、5.6月をそう過ごそうと決めたらはちゃめちゃに楽になっ、ては今のところあんまりないけど、楽になれそうだしね。どうなんだろうね。これから先にある暇にはすっごくワクワクするんだけどね。いざ過ごしてみると、今の暇を、それだけじゃいかんな、とはずっと思うことになる。

ぼちぼち書き切るか。思った以上に終わりかけ。ゆうてんじを出た。どこなんだ、学芸大学に次は着く。カタクラんちに向かっている。明日の朝4時からエル・クラシコがあるから観戦会を決行する。僕の参加は初めてだ。無論、雨天決行。レミちゃんちから横浜へ向かう電車賃がすでに高くて、今回のために3000円用意した予算は交通費だけで7割はいかれることになりそうだ。行きは30分の短縮をとって150円高い電車に乗るか迷ったが、こちらにした。もともとはこちらが迷いの枝の先にあった葉なのだが。池袋から湘南新宿ラインにのったら、えげつないうるささの大学生ズが乗ってきて、いつも僕の属していない集団をみるときの目つきでそれをみた。うるさいにはうるさいし、面白くないには面白くない、それは明らかにそうなのだが、彼らに対する怒りというよりは、僕の身近にいる人たちの、そういう部分に対して怒りたくなる。しかし彼らのおかげでこの150円安い電車に乗り込むための踏ん切りがついたのだ。カタクラにはなんやかんやで23:13着になると言ってある。

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