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雑記?

おはようございます!書き出す糸口が見つからなかったのでなんとなく書き始めてみる。船橋。朝家を出たあと、5分くらいしてラジオを撮り始めた。ふっと今撮れるな、と気がついてからいやわけわからんしな今ラジオ撮るのとたじろいで少ししてから撮り始めた。4分くらいの、30分も経てば綺麗さっぱり何を言ったか覚えていない番組が完成した。そのまんま大学の友人との交換ノートにでも貼り付けてやろうとしたが、ラインのグループノート機能では音声データを貼り付けられず、わからん上手いことファイルの型式に落とし込めれば可能かもしれないが見栄えが悪い、noteに貼り付けてそれを共有するという常套手段をとろうにも、スマホでは録音しかできず音声ファイルをアップロードできない。じゃあそのまんまほっとくかということでほっといて、電車に乗って、今うとうとしている。少し寝る。

なんかだんだん寒くなってきたな。目を閉じてると足元に流れ込んでくる冷気で電車の外を感じることになるんだけど、それがどんどん冷たくなっている。もう6:24、6時前よりずいぶん冷えたような気がする。まあ千葉駅で停車しているときなんて座ったのは空いているドアの向かい側なったし、もっと暖房もガンガンにたかれていた記憶がある。こちら側のドアがあくと寒く感じるって当たり前のことを言っているだけなのかもしれない。眠い。

さむ!寒いです、小走りで行ってもいいくらい。雨も降ってるし朝からお客さんなんて来るのだろうか、前々から来ることを決めていたとかでなければまず、開店から2時間はほとんど誰もこなさそうだと思ってしまうが、そうでもないのだろう。寒い。今日は湿度が高いから刺すような寒さを免れている、と家から出たときは思ったが、今はグサグサときている。やはり明らかに今の方が寒い。千葉市の方が江東区より暖かいのか、今日は5時半より6時半のが寒いのか。

やー書くか。いくらなんでも、あと15分も休憩は残ってないけど書く。ちょっと外が寒くてですね、いつも通りニット着てコート着て手袋までつけても5分と外には出ていられないだろうと読んで、というかもともと今日はあんまり外に出るつもりがなかったところに偶然、僕が休憩に入るのとほぼ同時に退勤したクニキチくんがいた。はじめなんの話をしていたのか覚えていないが、一番盛り上がったのはラーメン二郎の話だった。お互いにあれってめちゃくちゃ好きなやついますよへ、俺たちはたまにでいいですよね、でもたまに食うと美味いんですよね、という立ち位置をとっていた。今朝ちょうど、クニキチくんではない人とも二郎の話をしたところだったのでちょっと驚いた。どうやら僕たちが働いているこのお店の近くにも、インスパイア系でなくラーメン二郎をどでかく冠したラーメン屋があるらしい。そう聞くとなんだか縁を感じて気になり始める。ついこの間二郎なんてもう食いたくなるとは思えない、誘われてもいかないよ、みたいなことを人に言ったばかりだった気もしたが、勘違いかもしれない。言ったとすればおそらく今朝か、あるいは大学からの友人、ラーメン二郎仙台店をこよなく愛していた彼に反発する意味も込めて、というかそっちがほとんどだが、悪く言ったに違いない。うーん。僕大学生のときは仙台にいたんすけど、そこにもパチモンじゃないラーメン二郎があって、なんでも全国の二郎ランキングでも上位にはいる美味さだか人気を誇るらしいんですよね。と、このへんにある二郎もそんな感じらしいと聞いてから思い出して言った。

書くか。帰ってます、こりゃ今日は家でたらたらめんどくせーめんどくせーとなんとか書き切るルートだわね、まあ16時上がりの日ならではではある。いろいろ読んだ、読みたい気分だった。なんかお腹いっぱいのときってあんまり書きてえと思わないのかもしれねーな。なんかすげーお腹いっぱいだった、今日。昨日めちゃくちゃ焼き鳥食ったからだと思うんだけど、それにしても昼休憩で控え室に置いてあるお菓子食べて、退勤後にもっかいプリンやらパウンドケーキの切れ端やら食べてオレンジジュースとかなんとか飲んで帰るのがルーティンと化してるんだけど、退勤後がもうまったく腹が減ってなかった。たしかに昼休憩が遅かった、退勤時刻の割にはね。それでも12時すぎでしょ食べたのは、4時過ぎにはお菓子のひとつやふたつ、食えてもいいじゃない。全然要らんかったね。胃がもたれてるというか、まだ栄養足りてんだなと思った。最近、食い過ぎた次の日にバランスをとるように腹が減らなくなることが多い、あるいは減ってるには減ってんだけど食わなくても良さそうな予感があって、食わないでみるとやっぱ乗り切れちゃうみたいなことがよくあるんだけど、あれがけっこう嫌いじゃなくなってきている。バランスをとる、というイメージではなく、んー洗濯機の空回しをしているような。洗濯槽を洗うときって何も入れないじゃない、洗濯物。あんな感じでリセットってわけにゃいかないけど、こう残飯にやっつけの飯を重ねて胃の中がヘドロで満たされるのを避けるために、勝手に身体がいったんやめとこ!ちょっとね、ぱっと見ここ食っとかないとまずいよね?ってとこでも食うのやめてみよ!あれだと思って、断食みたいな!そそ!的なメッセージをたしかに腹もそうだし体をめぐるありとあらゆる液体から言われているような気がしてくる。僕はもうここ2年くらいは意識してそういうのを全面的に信じたげることにしてるから、乗っかる。おっけー倒れないのね、やってみるか、まあ倒れたとてwみたいな感じで。すっとね、いけんの。すげーんだよあれ。やってみてくれ。これ食わんでいいなと思ったらマジで食わんでいいのよ。でもたまにあるな、食うタイミング逃して退勤前にフラッフラになってるとき。あれってただ量がどうってよりは栄養価の問題というか、だいたいタンパク質と米たりてないね。炭水化物ってか米だよね、餅でもダメなのよそこは。俺の理想の昼飯がなんたっておにぎりだから、いくつになってもいくら稼いでもおにぎり二つがベスト。まあ、しゃけだよね。おかかもいいんだけどね。てかあれ美味いよ、メーカー忘れちゃったけど、ごぼうそぼろってふりかけ。あれを満遍なく行き渡らせるんじゃなくて、コンビニのパリパリおにぎりの具みたいに、あるいはファミマのしっとりおにぎりの具みたいに中心に集約させる。すると化ける。たかがふりかけおにぎりの次元をあっさり突き抜ける。ガチンコ美味い。多分いうよあなた、うっま、と。あれ美味いねーいいねー美味いおにぎり。あれとまあ、作る余力があるなら味噌汁飲みたいけどね。まあ外に持ってくならいらないね、あえてカップの味噌汁とか、あれ飲んでいいの二日酔いでどうしようもないときだけだから。それか夕飯スーパーで割り勘するタイプの泊まりがけイベントで、しれっと次の日の朝ごはん用に忍ばせておくときね。まあそれにしても贅沢だけどね。この前仙台行ったときはマルコメのお徳用セット見たいのにしたよ、いや違うな、そんないっぱいあっても8人いて半数食べりゃいいほうだなと結局5食入りのあさげとかにした。結局それでも2食余ったしね。というか欲しくね?と発案したムツミと言われてみれば絶対欲しいわとノッた俺しか飲んでないな。朝イチで2人が真っ先に飲むもんだからいやこれたんないかなと心配になって、一杯分のブロックをパキッと半分に割って飲んだんだけど、あれ残り捨てられちゃったよなたぶん。見栄えもわりいし。昨日の夜からああなってたように見えるしな。食っといてよかったなあれは。まあ半分で足りたんだけど、その後コーヒーも飲みたかったしな。あれ不思議なもんで、てか体に必要な水分を考えてみたらなんの不思議もないのかもしれないけど、朝飯のときの飲み食いでいえば味噌汁とコーヒーって体からおんなじもんだと見なされてる気がすんだよね。てか間違いなくそう。味噌汁飲んだらコーヒー飲みたくなくなるし。あんなに入ってるもん違うのに、納得いかないっつーの。惚れてるっつーの。言ってたっけ?言ってないな牧野つくし。惚れてるよ!か。松潤好きなんだよね。かっこいいじゃん松潤。キムタクもかっこいいけど、おじさんではある。松潤が意図してネットと距離とってるかにも寄ってくるけど、わからないよなあ。俺がおっさんになって、そのときはやりの、第一線級とは言わなくても、それこそ今でいうTwitterなんてもう4軍5軍なわけじゃない、アンティークの世界に入ってきちゃってるはずなんだけど、それでもキムタクの世代が使うと残念な感じになるわけでしょ。恐ろしいって、ただまあ追えてるかどうか、日頃から自分の必然性に誘われて使うことになってんのかどうか、なんか本業じゃもうやることないくらい負け知らずだし、こっちもいけるっしょ、で飛び込んできてないか、って違いは大きいんだと思うけどさ、ってか大きいどころかやっていいかやっちゃいけないか、0と100くらいの違いはあるんだろうね。まあ今気にすることでもないんだろうけど、いや、今から気にしてないとダメ、というか気にせずにはいられない、そういうやつが気にせずにはいられないために観察とたまに体張って無理の効いたチャレンジ、少なくとも常に身を晒してそこにはいる、これを続けていった結果ようやくダサいかダサくないかの判断が、あくまで得意なテリトリー内でのみつくようになる、んだろう。

もうなに話してるか分かんなくなっちゃってたようで小刻みに今いる場所を確認できてたつもりなんだけど、読んでてどう?しっちゃかめっちゃかではない?ちゃんと見えてた?ひとつ俺がどう言うことを話したくて、でも言葉にしづらいところはちょっとうやむやにしつつ、また今度ここについては話すからとそのまんまにしとくような感じで。ぶん投げるでもなく、カッコつけすぎることもなく、なんとか思考の出口はいくつも確保しながらぽーんぽーんと言葉のもつ本来の軽やかさを殺さないように、そこだけ必死こいて、というよりは俺がどうこうできるもんだと思わずに泳がせとこうと、俺が俺を泳がせてやる練習というか、これが保坂和志のいうところの小説を書くときの姿勢なのかな、と重心の置き方を探りつつ、足はここにつけたままどこか違うところへ。いかん書きすぎたな、これ以上は蛇足だ。俯瞰というよりらスキップだし、夢見心地というよりは小説を書いているつもりで、身体を介して考える練習っつーかね、今それやってて、はい、やってます。やってんのかな?

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