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蚊にとってそれは赤

おはようございます!5:28、眠い、蒸し暑い、ちょっとだけ頭が重く感じます。昨日は23時過ぎに寝て、4:38くらいに目が覚めました。少しそのまま目を閉じてから、音楽を流して15分くらい待機しました。坂口恭平の10年後という歌を聴きたいとタオとるのわからないまま思っていたらしいのだが、収められているアルバムはなんとなくわかった。ネバーエンディングツアーのどれかで、オープニングの曲は表紙を見たらわかるので、そこから一筆書きで向かえそうなのはどれか考えた10年後に、でひとまずVol.2を流したらこれだと思った、その後5分くらいして10年後も流れ始めた。実をいうと1曲目を聞いた時点で何を聴きたかったか途端に朧げになってしまったのがあっていざ流れてきてもわかるか曖昧な感じだったのだが、流れてきたらやはりわかった。なんだろう、やっぱりひとつづきの感じがあるからかな、一つのライブで一つの気分とイメージ状の設計図?と捉えた方が僕は楽しいのだが多分違ってイメージそのもの、見えている風景の中で湖をかく、少し顔の向きを変えて雑草を見る、それをかき分けてウシガエルを見る、ように歌っているのだとしたら見分けがつかないように見えても不思議ではない、ネバーエンディングに一筆書きの意味が付与された感覚のあった早朝だった。オードリーヘプバーンの写真集を買った。アルバイト先の商業施設にある、TSUTAYABOOKSTOREのエンターテイメントコーナーに置いてあった。あの辺を歩くときはエッセイとか画集的なものを探しているのだが、パッとこれが目に入って彼女にプレゼントしようと思った。2800円ちょっとするので来月になってから買おうかなと思ったが、その場でクレジットの利用明細を見たらまだ58000円くらいだったので余裕がありそうだと、それでも少し足取りに迷いはありながらも奮い立たせながらレジのお姉さんに渡した。そのままで大丈夫ですか、と言われたので袋だけもらっていいすかと応えた、カバーで保護して欲しかったが多分サイズがないのだろう、紙袋をイメージしていたがビニールの袋に入れてくれたので、ありがとうございますとお会計をiDで支払って、その場を後にした、というかまだ昼休憩中だったのでちょっと施設の一階から外に出たところの日陰のベンチ、いつも昼休憩の後半はそこで文章を書き進める、そこで昨日は写真集をパラパラめくりながら、今プレゼントを発表するか迷っていた。今週は日曜日に会う約束をしている。そこでサプライズをしてもいいのだが、肝心の僕が我慢できない、今見つけて、渡したいと思ったのだから、それくらいは今歌えたいと思った。伝えたいとうとうとした。打とうとした。6:00、1100字ちょっと3枚弱、6時半までに立ち上がりの2500字ほどを書き上げたいなーとなんとなく目指しながら書いている。今のところはいいペース、少しだけゆっくりだが、今日の僕がどう書きたいのかだんだん掴めてきた。静かに書きたい、かからずに、怒らずに、ただあったことを書きたい。昨日の日記はすごくパッショナリーだった。言葉が存在するかは知らない。ただリズムだけ気にして書きたい、見た目はそうだが、キーボードを打つ手もそう、というかそっちがメインで。お腹が空いた、何を食べるかは決まっている。何を食べるか決まっている、の方がいいか。トーストにチーズをのせてちょっと30秒だけ焼く、あたためているだけかも、その後ハムをのせて、2分ちょっと焼く。一気に焼き上げた方が良さそうだが、焼き足りないことが多いからいつも30秒追加で焼く。ブラックペッパーを切らしてしまったからかけられない。父が買ってきてくれるのを待とうと思っているが、そんなに高いものでもない、200円もしなそうだし買ってきてもいいな。コーヒーの紙フィルターと一緒に。これは早めに買いたい。アルバイトスタッフは毎週豆を100gもらえるので、ここ三週間はガンガンもらっている。使い切らなくてももらっている。それより前は違った、あと一回コールドブリューボトルで使ったらなくなる量になってからもらっていた。使う分だけ、というのが染み付いていた。たとえば醤油、みりん、サラダ油。古い調味料は見ていて気分が上がらないし、コンパクトな見た目だとどこにでも持っていけそうで可愛い。どちらかといえばそちらかもしれない。フォルムの可愛さで小さい方を選んでいた。ではコーヒー豆の話には影響がなさそうだ、100g固定だし。200gも選択肢にあったら100にしてたかもね。数字だけ全角やだな。次からやめます。6:14、時刻を書くときは英数キーを押して半角で打っている。もっと気楽に切り替える方法はあるのかな。直感的に操作したい。そういう意味ではiPhoneはストレスフリーに近い。あるのか知らないがショートカットのタブをもっと作れたら楽しいと思う。でもそんなに不便はない。ここが好まれるんだろうな、目立った不便がない。だから去年のこの時期?もう1ヶ月前くらいかiPhone13proを動画撮影用に買って、それが家に届いた瞬間2年ちょっと使っていたGalaxy S10+が壊れた。液晶が真っ暗にしかならないだけだが。ウイイレに傾倒していて、むしろ嫌々だがそれしかないくらい楽しみの見つけ方が下手だったので、よくスマホをぶん投げていた。大体はソファーとかカーペットに投げるが、一度自分へのパフォーマンス、こんなに切れているぞ、むかついているぞと確か強く床に投げた。下4分の1くらいが映らなくなって、テレビがジャックされたみたいな紫か赤か黄色か、貧相で直線的な虹みたいなものがまばらな太さで3.4本、かろうじて写る部分にもかかった。熱もよく篭るようになった。それでもしばらく使っていた、案外やれるものだと思った。ウイイレもできた、前後半どちらかはペナルティエリアの様子が見えなくて、ゴールしたかどうかわからない。友達と対戦するときは、その反応を見て反応していた。申し訳ないことをしたな、と思ったのは完全につかなくなってからだった。iPhoneが届いてからつかなくなってくれた途端にここまで耐えてくれたと思った。使っている間も特に怒りを感じなかった、不便があると僕の行いにはキレていた。iPhoneにしてからウイイレは少しやったが、操作感も変わってしまうしゲームも大幅に変わったのでちょうどいいやとやめた。時間ができた。誰のおかげかわからない、勝手にそうなった。iPhoneを使い始めて1年経つのか、ほんとか?もっと短いような気がする。その証拠にと言ってはなんだが、いまだにiPhoneを使っている人が好きではない。Androidを使っていたからではなかったらしい。なんかキモい。なんでこれ以外を使うの?みたいなスタンスがキモい。悪いところがAirPodsのデザインくらいしかないのがいいところじゃないのか。あんまり今日はかかりたくない、控えめに。んだこいつら、と思った。Android少数派いじりは本当に面白くない、バカを晒している。話に付き合っている時間は僕もバカなので控えめに。ほっとくのが一番。でもほっといてくれないiPhoneユーザーはマジで殺した方がいい。なんとかして半年ROMらせろ。しかしそんなことに体力を使ってはいけない。離れていくしかない、何も言っていないのと同じだと耳を遠くする。遠くどこかへいく、耳になってどこかへいく。喧騒から離れるのではない。ときに聞かない、あるのは知っておく。知らないのはバカで、恥じないのはもっとバカで、ほんとどっかいけと思うがいうわけにもいかない。喧嘩をしたくない、声を荒げてやり取りしたくない。それは会話ではない、会話がしたい。だから人に何も求めない。求められてやるようなことは役に立つだけだ。肝心なところで助けてくれない。助けてくれないから、怒りさえ、憎悪さえ湧いてくる。いらないやり取りだ。勝手にそうなるまで放っておく、ならないなら、もう聞かない。何も言っていない。そうやって味方を探していくほかない。休憩。休憩終わり、昼休みです。眠い。左肘の先端を蚊に刺された、サッカーで難しいゴールに対してここしかないというところに決めましたね、という定型があるがまさにそれ。ここより右にずれれば骨張りすぎていて、左だとなんだ?左は別にいいかもしれない、しかしベストポジションである感覚は依然ある。ベストポジションとはそういうことなのか、ここと比べてどう、ではあそこより良いのかという話ではないのかもしれない。ただここが今はいいという話、その話以外はお断りなのである。うむ、実にかゆい、これは天晴れ。不快ではある、従来の感じ方としてはそうだ、かゆいものはかゆいほど嫌なものである、しかし蚊がここを選んだのだ、恐れず死角を見抜いて飛び込んでくる、まずはそれを想像する。度胸がある。彼らには遺伝子レベルで常に決死の作戦がインストールされているのか、ここきたらそりゃ死ぬぜというやつもゴロゴロいて、しかしバレない奴は本当に何度でも、同じ蚊に何度も刺されたことがあるような気もするし、覚悟の違う奴らである。サッカーである一瞬、自分を象徴するような巧さで、あるいは強さ、あるいは速さで空間と時間を支配する選手がいる。まさにそれ、と言えるかは怪しいがフワッと、蚊が決死の飛行で、ケチな人間なら飛んでいるだけで殺したりもする、そんな博打の中で1日何食分の視線を乗り越えているのか、右手前に斜め後ろを見上げながら、体を捻ってハンドルを切り返す蚊、これから何かに気づこうという人間、殺され行く仲間、しかし同志ではない、その関係性まで想像が至らない、何故かみんなして単独行動していそうな気がする。正々堂々などと言っていられない、そんな言葉はもともとない、僕達にももともとない。幻影も現実も、彼らにとって平等に赤い。僕らにとってそれは赤とは限らない。赤と言い切ってほしいと思うが、そうではないとあちらこちらで聞こえて腹が立つ。蚊はいいな、というにはあまりに愛が足りない、しかし蚊を語るのが夏。夏は終わる、蚊はどうだ、蚊は終わらない。そうしようと努める、僕らはそれにどう見合うか。組み合うのか、舌打ちをするのか、何も思わず、記憶にも残さないのが当たり前なのか。僕は知らない、蚊は知っているかもしれない、誰も知らないかもしれない。かゆみもおさまってきたことだし、休憩から戻ろう、今一匹のバカが顔の周りを飛んでいる。そら、そら死ぬよ、お前。

無題

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