おぎやはぎ

おはようございます。あの突然なんですけど、おぎやはぎの内輪ネタって何であんなにも人の心を癒す効果があるのでしょうか?年代が違うとだんだん妬みの感情が薄まるとか、あるいはあれだけ力を認められている方々だから、内輪話を聞く時にありがちな「ここはウチの方が絶対おもろい(血眼)」的な感情が排されるから?


…え?

本当は一旦仮説を立ててスタイリッシュに朝から議論を深めようと思ったのですが、いかんせんおぎやはぎのことになると簡単に結論を出したくなくなる感覚があるので、従おうと思います。今日は、この感覚を「小木」と呼ぶことにしましょう。

小木は、何でも疑問に思います。それでいて長い時間をかけて、それを全部口に出して良いという特権を勝ち取ったのです。あ、これは芸人の小木の話です。おぎやはぎのラジオで「これってなんでなんだろうね?」という疑問を深めていくのは大体小木です。
例えば、昨日聴いたラジオでは
「アクスタってここ2年くらいで出てきたものじゃないの?」
「近所の友達と遊ぶときインターホンじゃなくて窓に小石をぶつける文化っていつ無くなったの?」
とか、絶妙に気持ちのいい問いを展開してくれた。ここでいう気持ちの良さの正体とは一体何なのだろう?感覚としての小木が素通りさせてはくれない。

両者(小木と矢作ではない)通じて言えるのは、純粋なお題としては「ジェネレーションギャップをきっかけに、過去に思いを馳せる」という、割とオーソドックスな内輪ネタであることだ。じゃあ何でなんですか?小木の疑問はいい意味で普通で、誰しも心の片隅にあったりギリなかったり、なかったとしても突飛なものではない。そもそもこれが気持ちよさの要因か?なんか違う気がする。違わないけど、もっと深めてくれている何かの存在を感じる。っていうかさっきから誰に投げかけてるんだい?そう、矢作である。

実は、日常に潜む問いー中でも誰かに共有するほどでもないようなものーは、全部矢作に聞いてもらっているのだ。これは小木だけではない。心に感覚としての小木を無意識に住まわせている我々は、皆矢作に疑問を投げかけている。つまり自問自答とは、「おぎやはぎの問答」でもあるということになる。

小木
「だからね、なんで自問自答が気持ちのいいものに昇華するのかってことが聞きたいわけよ」

ほら、こうしている間にも小木はどんどん世界について知ろうとしている。

矢作
「…?」

ご覧いただけただろうか。一市民の心に潜む矢作のクオリティなんてこんなもんである。問題解決はおろか、議論に持ち込ませてすらもらえない。

ルフィ「俺の矢作は!!!!弱いっ!!!!」

サトシ「弱い矢作なんていらない」

こうやって、我々は矢作を洗練する努力から逃げているのだ。弱いルフィや弱いサトシ(厳密にはリザードン)を無意識に心の拠り所にしてしまっている。
一時的にはそれで楽になることもある。私はよく「でも俺の心より60巻のルフィの方が弱いしな…」という魔剤を脳に注入することも少なくない。同時にこれは私だけじゃないんだろうなという予感もしていて、それすら安心材料にしてしまうこともある。息苦しい社会から「逃避する」のがますます今日のトレンドになっている印象だ。でもそれだけでは何も変わらないと、心の小木は知っている。知っているけど一人じゃどうにもできない。周りに聞いてくれそうな人もいない。聞いたとして誰が責任をとってくれるというのだろう?一時楽にしてくれる人やモノは世に溢れているが、肝心なところでは自己責任。すでに強い人はいい。では弱い我々は
どうしたらいいのか?強くなるまで、どう生き延びればいいというのか?

矢作
「強くなるって、あれホント何なんだろうね〜」

!?!?

なんだ、簡単なことではないか。小木が問いかけ続ければ、矢作は絶対に答えてくれるのだ。大事なのは、我々が社会から逃げてもいいから、矢作からは逃げないことだ。心に生じた小木の疑問に、耳を傾け、ゆるやかに広げていく。矢作はツッコまない。話を聞いて、一緒に考えてくれる。小木の元には必ず駆けつけてくれる、矢作の存在を感じ取ることができれば、そこでもう「木曜JUNK おぎやはぎのメガネびいき」は始まってくれる。あとはもうラジオを聴くように、身を任せるだけだ。

しかしこのラジオが本家と違うのは、先ほど述べた矢作のクオリティだけではない。小木が、実際に声を上げているかどうかである。気持ちよさの正体について、ここまで散々矢作面での要因ばかり述べてきた。これではただの「やはぎびいき」である。もっとメガネ全体に目を向ける必要がある。小木はすごいのだ。小木が疑問を言葉にして、顕現させるから本家の矢作が答えてくれるし、我々の元に二人の声が届くのだ。そして今こうして、一人の小木の言葉を、私はここで文字として形にしている。これこそが矢作を呼び出し、気持ちよさを生み出す唯一の方法だと私は捉えている。

小木が疑問を形にし、矢作が対話を始める。これを意識するために「木曜JUNK おぎやはぎのメガネびいき」を聴く。この一連の流れが、答えがないとわかっている未来に、それでも自分なりの答えを探して生きていくための鍵になってくれると、私は信じている。以上、番宣でした。

2月18日 朝のバイト前




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