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街角女子図鑑#2ハンサムな彼女

―鏡に映る自分チェックで体型をインプット―

先程のあの4人、アウターに着られていたなぁ。

しみじみ思い出しつつ、自分の姿を鏡に映す。

ナルシスト程ではないけど、かなりの頻度で私は鏡を見ている。

体型のチェックや雰囲気の変化、髪のアレンジ具合。

メイクをしていれば、手直しする箇所はどこか。

昔、やたらショーウィンドウに映る姿を見ては、髪型を直してばかりいる人がいた時には不思議に思ったが、今や私がそうなっているのだ。

そう、私はあの頃とは違う。

―過去との対面、そして、今―

20代が終わりかけていた頃、一緒にいた人。

友人達、恋人、どれも過去だが、私の日常一部でもある。

賢く潔く生きていくのに、性別は関係ない。

それに気づきながらも、あの頃は、周囲の視線を気にして、自分らしさを封印していた。

だが、歳を取るごとに、世間が求める姿に自分を合わすことに、私はそれ程、興味を持てなくなっていった。

ガーリーでも、フェミニンでもない私は、それとは逆の女性的な雰囲気の服装を纏うことで、そんな本当の自分を必死に守っていたのだろう。

だが、ある時、もう自分で自分に蓋をすることを辞めた。

私はハンサムな人と呼ばれた方が気楽なのだ。

―ハンサムな人になると決めた時、動き出したもの―

昔、「ハンサムな彼女」というマンガがあって、主人公に一目惚れした監督志望の青年が主人公の知られざる魅力を開花させていく話だったのを覚えている。

私にとって、そんな人が入れば、すぐにでも話にしようか迷うところだ。

だが、これといって断定できるような人は、残念ながらいない。

心の中で意識し始めたタイミングとしては、この仕事を始めるにあたって、今後、どう生きたいか自問自答したことがきっかけになった。

昔から「綺麗」や「かわいい」より「かっこいい」と言われる方が、何だか嬉しい人なのだ。

死語である「ハンサム」は、この感覚に近い。

粋で洒脱な人。

そんな意味合いで私はハンサムという言葉を定義している。

それでいえば、先程の4人は、どう見ても、粋でも、洒脱でもない。

―お気に入りのアウターを羽織ると…―

服選びにも、その感覚が生きている。

流行りや他人が着てほしいと思う服をそのまま着るのではなく、今の自分に似合うものを着こなす。

今年はアウターもかなり、こだわった。

ちなみにイラストは今日の服装をスケッチしてみた。 

紺のトレンチコートに着心地の良くて、暖かいパンツを合わせた少しキレイめな格好を黒のスリッポンて引き締める。

小物にはダークグリーンを取り入れ、私らしさも入れつつ、肩が凝らないコーディネートでまとめた。

そういえば、このストライプシャツはもう10年近く着ているのだった。

10年前の私にはまだ早すぎて出番が少なかった服が今では丁度よく似合う雰囲気にまでなっている。

着こなし方は変わったけれど、好きな物はそれほど変わっていない。

さっき買ってきたプルーンは小学生の時からの習慣で、1日1回は必ず食べている。

飽きない服、飽きない味。

本質をよく知りながら、魅力を引き立ててくれるのって、そういう物だったりする。

ルーティンもここまで続くのは、どうかとも思うが、それが私の魅力に繋がるなら良しとしよう。

それも含めての、ハンサムな人なのだから。





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穂波せら(Serra Honami) 画家・俳優・映画コンシェルジュ・ライター。 自由と猫を愛するスナフキン似の人。座右の銘は「押してダメなら引いてみよ」