日記(雑記)

詩を書きたいとき、詩は書けない。詩がやってくるのを待つ他ない。

詩作できないとき、代わりに別のものを書く。たとえば本の要約、抜書き、感想など。

詩と要約は、どちらも執筆に分類されるが、全く別の作業である。詩は、内面的なものの発露であったり、或いは、自己と外的なものとの一致であるが、要約は、情報をまとめる作業に過ぎない。要約は知的な単純作業である。

要約すべきでない本がある。それは、その本自体が、一つの有機体として完成されているために、要約することで、それ全体としての意義が失われてしまう(色褪せてしまう)類の本である。たとえば、宗教の聖典や偉大な文学作品などが、それに当たる。そのような本に対しては、要約という失礼を働かずに、抜書きと感想を書くにとどめるのが良い。(但し、筋書きや背景知識の要約に関してはその限りではない。)

詩は精神の要約であってはならない。

例えば、愛を詩によって表現することはできるが、愛を要約することはできない。愛を言葉によって端的に表現する場合、それは、詩であって、愛についての要約ではない。要約は、外的な知識を取りまとめるに過ぎず、内面的な実感から物される詩とは、かけ離れたものである。

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「いまさら」という言葉は、かなしい。希望がない。大事なことは、「いま」にしかないのに。

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前後左右に目はない。目は前しか見えない。心もそれに倣って、前を向く。後ろを振り返ることなく、同じ過ちを、過ちとも気付かずに繰り返す。せめて、左右を見る程度の余裕が有れば良いのに。

空間は、厄介なことに、方向性を決める主観性に左右される。全方位的な視点は、人間のものではない。

どの方を向くか、視点の置き場を定めることが、決断である。どうしてもその方を向いてしまうのが、運命である。

全方位に通じるところに、視点を一点に定めることで、人の視点は全方位に導かれていく。

人間による一点集中は、全方位を内包する。

散漫になることで、人は何も見えなくなる。一点を見つめることで、人は全方位を見る。一ところを見つめることは、全てを見つめることである。

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謎は謎のままで良い。全てをわからなくても良い。大海の一滴を味わう。一つを愛して理解する。広範な好奇心は、散漫な心を産む。

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身寄りのない心を、群青に繋ぐ。
透明に消える全身を火葬して、
お前と痛みを分かち合う。


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