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友だち不要論

僕に友だちは不要だ。
強がっている訳ではない。
ただ、僕の人生において友だちの重要性が極めて低いのだ。

まず、現在の趣味に他者を必要とするものはない。
一人で楽しめる自己完結型のものが多い。
読書にゲーム、ピアノ、ガーデニング、散歩、勉強…
これらに他者が侵入してきて、僕の心地よい世界が崩されていくことは避けたい。自分の歩むリズムがある。誰かに何か言われたくはないのだ。

また、コスパが悪いし、維持費がかかる。
かつてはノリで食事や遊びに出かけていたが、出費は嵩むし気疲れする。
もともとグループで遊ぶことも、夜遅くまで外出することも僕に向いてないのだ。
当時の僕は、自分に自信がなくて、置いていかれたり、「一人でいる」と周りの人に見られたりするのが怖かったんだと思う。だから、とりあえずその場の流れに上手く波乗りしていればいいと思っていたし、そこで自分はユニークだよ!とアピールすることにも注力していた。

でもそれを続けて、疲れ切ってしまった。ある時、別に今ここにいる友だちに認められなくていいし、そもそもあと数年で卒業すれば会わなくなるだろうなという冷めきった考えが浮かんできた。今友だちなのって、たまたまクラスが同じだったから…だけなのかもしれない。それを機に、全部面倒くさくなった。

もちろん、なにもかもが全く楽しくなかったということでもない。行けば行ったで楽しいこともあった。新しい経験をしたり、また新しい出会いがあったり。
でも、それは僕の人生を大きく変えるような素晴らしいものでもなかった。
なければないで、いいのだ。

「友だちだから」、と考えると、その関係を維持しなくてはならないと思う。だから、お付き合いとしてどうしても不本意のことにも参加する必要があるし、そのために時間もお金も費やされる。
うーん。そこまでして、友だちって要らないな、と思ってしまうのである。

一方で、そもそも人間関係を流動的なもので、「友だち」なんて捉えなければ気遣いも維持コストも不要だ。
今、目の前にある好ましい人間関係を楽しむ。でも、永続的なものではないと理解しているから、上手くいかなくても馬が合わなくても気負わなくていい。
意見が異なっても、「そうなんですね」と言える。
行きたくない集まりは断ればいいし、それで関係が悪くなればまた、
「あら、そうなんですね」という態度を取ればいい。
良い顔を作り続ける必要はないし、維持しようと構えなくても良い。
もっと気楽で暫定的な好ましい関係。
自然体になれるし、僕はその方が本当に気の合う人に出会えるのではないかと思う。
もちろん、出会えたその人だって、あくまで暫定的な良い関係であるが、長くそれが続けば相互に幸せだと思う。

長年使ってきたソーシャルメディアのアカウントを削除したり、フレンド整理を行ったりという変化があったからか、最近はよく友だちや人間関係一般について考えることが多い。
でも考えてみると、「友だち」って別に不要なのだという結論に至った。

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