スロウトレインカミング

「君たちのような逸材を待っていたんだ!」
たまたま居合わせたレコード会社のお偉方が言う。
当たり前だ。若い才能は必ず誰かの目にとまる。
そして、メジャーデビュー。
トントン拍子で売れちゃったりして。
なんだ。簡単じゃん。

彼はそんな瞬間をずっと待っていた。
そんな瞬間がいつか来ると信じていた。
ただ漠然と。
レコード会社のお偉方どころか、バイト先の友人ですらごく稀にしか来てくれない、お客さんの数よりも出演バンドの方が多い場末のライブハウスで。

「はい。じゃあ¥2000×20で¥40000ね。」
サポートドラムを除く3人で分割し、1人¥13333。
お客さんが呼べないことの免罪符¥13333。
リーダーの彼は¥13334払う。
この余分な1円にひどく腹が立つし、そもそも最初からお金を払う前提でライブを決めている情けない自分にも本当に腹が立つ。
精算後は、そう歳も変わらないスタッフからのありがたいアドバイスの時間。
「君たちさぁ、お客さんとの間に見えない大きい大きい壁ができちゃっているわけ。そんなんじゃお客さん、置いてけぼりだよ!」
「そもそも置いてけぼりにするお客さん自体がいねぇよ。」
と腹の中で毒づきながらも、
「はい!すいません!次は頑張ります!」
なんて受け答えした挙句、次のライブを決めさせられてしまう。
オールジャンルといえば聞こえはいいが、ようは寄せ集めのブッキングライブ。
ライブハウスはその日その日の日程を埋めることだけに精を出す。
不毛だ。

ここは荒野。

いつかこういう経験をひとまとめにして、「下積み」なんて名前をつけて大笑いできる日がきっとくる。
彼がそんなことを思いながら負け越しているうちにバンドは解散した。

「続けていれば、きっといいことあるよ!」
「本当か?」
「ここでやめてしまえば、もっといいことあるんじゃないのか?」
自問自答を繰り返しながら、彼は独りで歌い続ける。
やがて「続けていれば、辞めてしまえば。」なんて自問自答さえ無意味なほど時間は経っていて、もはや辞めるという選択肢自体がなくなっている。
意地でも続けていかなければ、今まで費やしてきたものが全て無駄になる。
怖い。怖い。怖い。
彼は自分の人生を自分で否定することなど勿論できない。
長い時間が流れたのだ。
かつて一緒だったあの人も、あいつも、あの娘もいつのまにか何処かへ行ってしまった。

ここは荒野。

見上げる夜空に星はきらきら綺麗だが、他には雑草の生い茂った線路とちっぽけな駅舎があるだけだ。
そこに彼はいる。
いつかきっと来るはずの列車を待っている。
気を抜くわけにはいかない。
放っておけばギターの弦はすぐに錆びてしまうし、いざ列車が来たときにボーっとしていたら違う誰かに先を越されてしまう。
彼は磨き続けなければならない。
列車が来たときにいつでもすぐ乗り込めるよう。

彼は待つ。
漠然とした不安はこんなにも存在感を持って迫ってくるのに、漠然とした自信はなんでこんなにも心許ないのだろう。

彼は待つ。
荒野の彼方からやってくる列車を。
やがて彼にも聞こえる日が来るだろうか。
遠くから響く汽笛の音が。

「スロウトレインカミングだよ。」
「ほら あなたの番が来るよ。」

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