ピンポン、十七歳。

十七歳の彼は、社会へのメッセージを歌に託していた。

欲ボケ、豆鉄砲、日本の唄。
たとえばこんなタイトルの歌だ。

「あっ鳩が豆鉄砲食らったような顔をしてぇ〜♫」
「あっ欲ボケし過ぎた人たちよぅ〜♩」

そのどれもが彼なりに知恵を振り絞り考えたメッセージだったが、やはりそこは高校二年生。
薄っぺらいのだった。
家族に守られ、社会の仕組みもわからず、家と高校の往復だけが世界の全てだった彼がそれなりに必死の思いで綴った歌たち。

彼は戦争を憎み、政治家の不祥事を憎み、騒がしいだけの街宣車を憎んだ。

一方で、お笑いを愛し、アイドルを愛し、何よりフォークソングを愛した。

ナイーヴで捌け口のないカオスを抱えるしかなかった十七歳は少しだけ弾くことができるギターに自分の思いの丈をぶつけるしかなかったのである。

それはとてもとんちんかんで、超低空飛行。

そして目的地は、

わからなかった。

私はそれでも彼の純粋を、誠実を、切実を、笑うことはできない。
彼を否定することは今の自分を否定することだ。
自分を否定することはすべてを否定することと同義である。
私にはできない。

当時の彼の創作ノートを開く。
そこに書かれた夥しい数の恥ずかしい歌詞の羅列。
大切な時間を棒に振ったような気がする。
一方で、
大切な時間を育んだような気もする。
だから私は彼を徹底的に憎み、そして徹底的に愛するしかない。
いつか彼と会うときがあったら、頭をこづき回しながら、こういってやろうと思う。

「大丈夫。そのまま行けよ。
お前、今もまだ同じようなことやってんぞ。」

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