モームの「人間の絆」のこと

サマセット・モームの「人間の絆」にこういうエピソードが出てくる。

主人公フィリップ・ケアリは老詩人クロンショーに人生とは何かを問う。
クロンショーは何も言わず、フィリップにペルシャ絨毯の切れ端を渡す。

フィリップはそれからずっとその意味を考えることになる。

フィリップの人生は波瀾万丈だ。
幼少の頃、両親を失い、叔父一家に引き取られ、青年になると画家を目指しパリへ。
志半ばで夢をあきらめ、医療の道へ。
その中でミルドレッドという娼婦に入れ込んだあげく、戦争が勃発。 

閉息した時代の中で彼は全財産を失う。

そんな中で失意の彼に優しく手を差し伸べる者が現れ、彼は少しずつ身を持ち直していく。

日々を必死に生き抜いていく中で彼はやがて絨毯の切れ端の意味に気づく。

人生には意味などない。
幸せや不幸せもその人生を紡いでいく様々な糸のひとつにすぎない。
不幸な出来事も、幸せな出来事も、すべてはその人の、その人なりの人生の絨毯を完成させるための一つの模様にすぎない。
人はそれぞれの絨毯をただ編み上げていくだけだ。

フィリップはこのある種の諦観に救われていく。


歌は?

売れている歌だけが歌なのか。
売れていない人間の歌は聞くに値しないのか。
売れている歌なんてくだらないものなのか。
売れようとしていないから、崇高な歌なのか。

歌は歌だ。
歌でしかない。

夢を叶えた者だけが成功者なのか。
夢をあきらめた者は敗残者なのか。
それでも人生は続いていく。

諦観が救ってくれることは多い。
諦めることとは後ろ向きなことではない。
前向きに諦めることが次の一手につながっていく。

人生に意味はない。
何をしてもいいのだ。

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