稽留流産の手術をして、得たものを考える。

元号が変わる、奇跡の10連休といわれたこのGW直前に、私は手術をしました。
稽留流産でした。

今でも自分のお腹が空っぽであることは悲しいし、平成のうちに妊娠することができなかったことも悲しい。令和元年ベビーを授かれる可能性もほとんどなくなった。平成最後の日は泣いた。
でも今日は、前向きに、手術をして得たものについて考えたいと思う。

【手術をして得たもの】
①分かつことができる痛み
私はしんどい経験をした時、いつも「同じ経験をした人の気持ちを少し理解できるようになった」と思うようにしている。
私は人の悩みを聞く機会が多い人生ですが、その人に寄り添うことはできても聞くことしか基本的にはできない。それをもどかしいとも思わないが、同じ経験をしているということは大きな違いになる。
今回、すごくしんどい思いをしたけれど、今後自分の周りに同じ悲しみを持つ人がいたら、同じ気持ちで一緒に泣ける。もちろんないことが1番だけど、きっとこの痛みは誰かの役に立つ。

②感謝の気持ち
これは担当してくださったお医者さんへの感謝です。
当日は本当にしんどくて意識を失って倒れたり、痛すぎて怖かったり、嫌な気持ちでいっぱいでしたが、手術を終えて時間が経つごとに強く感謝するようになりました。
人間って不思議なもので、その日は痛みや苦しみで「もう絶対やだ!無理!嫌い!」って思っても、段々楽になってくると「手術してよかったな」って思うようになるんだな、という経験です。
稽留流産って、自然排出か手術か選べるのですが、自然排出だといつ大量出血や激痛が起こるかわからないんですね。人によっては生理痛よりもちょっと痛い、とかで終わるそうですが私は突然の激痛に耐えられる自信がなかったので(さらにGWだと病院もやってない場合が多いので)手術にしました。
手術を終えるまでは、「手術やめておけばよかった…」と絶望してましたが、今は感謝の気持ちでいっぱいです。先生、ありがとうございます。

③旦那の家事スキル
メンタル的な部分ではなくて、現実世界で今後確実に助かるもの。
基本いつも食器洗いは私の仕事だったけど、手術してからずっと旦那がやってくれていた。
今までもやってくれることはもちろんあったけれど、食器の乾燥棚に並べる順番が(私から見たら)クチャクチャで「これだと乾き遅いだろうな〜」と思うことが多々あった。でもこの数日間で彼の洗い物スキルはメキメキと上がり、今では「小さいお皿→大きいお皿」の順で綺麗に並んでいる。

さらに、今朝は私が目をさましたら、洗濯物が干し終わっていた。初めてかもしれない。びっくり。洗濯機のゴミフィルターまで外して干してあった。まさかのゴミは捨てずにゴミごと干すスタイルだったが、いつも私がやっていることを見てくれているんだな〜、とも思って微笑ましかった。
笑いながら2人でゴミ捨ててから干し直しました。笑

妻として「自分がやらなきゃ」という気持ちが強いので、平日の洗濯や料理などは基本自分でやるのだが、手術をして安静が必要になったことで主人がすごく心配してくれて、色々率先してくれている。
今はGW期間で主人も余裕があるからかもしれないけど、今後も頼っていきたいな。やってもらうって、大事。
ちなみに、スキルに特化した話をして彼の思いやりをメインにしなかったのは、いつも優しくて思いやりに溢れてると思うから。本当にありがとう。


もちろん命の尊さや儚さも知ることができたけど、それはまた別の話かな。もっと消化できてから、丁寧に整理したい。

今回手術をしなければ、このタイミングで得ることはなかった。
ないものばかりを見ずに、あるもの、得たものを自分の人生に落とし込んで、令和の時代を進んでいきたいな。と思う。

でもやっぱりもう絶対手術はしたくないし、悲しい思いもしたくないです。
神様そこのところ、どうぞよろしくお願いします。

おわり。


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