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『ヒズミ』考察―BUCK-TICK『BUCK-TICK TOUR 2023 異空 -IZORA-』

はじめに


こんにちは、せつなです。
先日、BUCK-TICKがニューアルバムを引っ提げて行っていたツアー、『BUCK-TICK TOUR 2023 異空-IZORA-』が千秋楽を迎えました。
筆者は4月の宇都宮公演から7月22日・23日のファイナルまで計8公演に参加させていただきました。

今回はニューアルバムの楽曲を主体としたコンサートということもあり、公演を重ねていく度に楽曲の新たな一面を感じられる瞬間があったり、表現が進化していって世界観がより深まっていく場面に立ち会えたりと、とても素晴らしい体験をさせていただきました。

その中でも、聴く度に強烈な印象を残したのが『ヒズミ』という楽曲でした。

この記事では、その『ヒズミ』に関して、ツアーを経て感じた筆者なりの解釈を書いていこうと思います。


音源を聴いた印象


まずニューアルバムが発売される前の事前情報として、「女性の心を持った男性が主人公」「団地、公園、踏切など昭和の雰囲気を感じる舞台設定」というものがありました。
そして雑誌などのインタビューであっちゃん(ボーカルの櫻井敦司さん)がしきりに「お気に入り」「好きな曲です」と仰っていて、これは覚悟して聴かないといけない曲だ…と薄々感じてました(あっちゃんのお気に入り曲=重めの曲という謎の先入観…でもあながち間違ってもいない)

そして一聴した感想は、やはり重かった…これに尽きます。
まず曲全体のアレンジやメロディーはどことなく閉鎖的な湿り気を含んだ印象で。
また歌詞に関してもかなり直接的な言葉を使っていて、背筋がゾクリとするような表現もありました。


コンサートでの表現


ここからは、実際にツアーが始まった後各地でどのような表現がされていたか、そこからどのようなストーリー解釈が可能なのかといったことについて書いていきます。

セリフパート

まずは曲が始まる前のセリフについて。
(あくまでもニュアンスです。記憶違いなどで実際言っていたものとは少し異なるかもしれません。)

・4月 宇都宮
「私の名前はヒズミ、ヒズミといいます。よろしくお願いします。」
ツアー序盤ということもあり、あっさりめの自己紹介からスタート。
声もか細くて線の細い印象だった。

・5月 京都・神戸
「私の名前はヒズミです。いい名前でしょう?」

・6月 金沢・大阪2日間
「私の名前はヒズミ、ヒズミといいます。
好きな服を着て、好きなお化粧をしているだけなのに、皆が私を笑います。
私はただ、生きているだけなのに…。

このあたりからセリフのメッセージ性が強くなりだしたように感じました。

金沢ではセリフ前に「もうぐちゃぐちゃ…」みたいなことも言ってて(おそらくステージの後ろの方に小道具が散らかっていたのを見ての発言?)客席内にもちょっと笑いが起きたんだけど、その直後に「皆が私を笑う」って言われて背筋が凍ったよね。
ごめんねヒズミちゃん…あなたのことを笑ったわけじゃないのよ…。
このことがあってからヒズミちゃんのセリフパートの前は何があっても笑わないと心に決めた。

大阪初日は、ヒズミちゃんの声がとても震えていて。
歌いだすまでは悲しくて辛くて泣きそうなのかと思っていましたが、歌が思いの外エネルギッシュだったので、これは怒りで声が震えていたのかな…と感じました。

大阪2日目のヒズミちゃんは最初から完全に嗚咽してた。息遣いも完全に泣いている時のそれ。
また、セリフの最後に「お父さん、お母さん…愛してる」という一節が加わりました。

・7月 東京初日
「あら、静かね…。
私の名前はヒズミです。好きな服を着て、綺麗なお化粧をしているだけなのに、皆が私を笑うんです。私はただ、生きているだけなのに…。
お父さん、お母さん、愛してる、愛してる…さよなら
この日のヒズミちゃんはとても哀しかった。
セリフに関しても、ぽつぽつと語っているような感じで、あまり生気を感じられなかった印象です。

・東京2日目(ツアーファイナル)
「今日も静かなのね…。
私の名前はヒズミ、ヒズミといいます。
今日も…好きな服を着て、綺麗なお化粧をしているだけなのに、皆が私を笑うんです。顔の見えない人が笑うんです。私はただ、生きているだけなのに…。でも、いいの。
お父さん、お母さん、愛してる、愛してる…ありがとう、さよなら」
ファイナルということもあり(?)いつもより饒舌だったヒズミちゃん。
顔の見えない人=SNSなど匿名での誹謗中傷?
やはりタイムリーな部分も少なからず影響しているのだな…と思わせる言葉選びでした。
ただ、その後の「でも、いいの。」という言葉にヒズミちゃんの覚悟を感じた。
自分らしく生きるために何かを割り切ったようにも、逆に何もかもをあきらめてしまったようにも受け取れるニュアンスですが、筆者的には前者のような、それでも生きていくんだという思いきりの良さを感じました。


歌詞についての考察

ここからは、歌詞について気になった部分の考察をまとめていこうと思います。

・両親像について
「お母さんの夢を?夢を犯しました」
「お父さんの夢を?夢も殺しました」

全体としても言えることですが、この部分は特に直接的な表現を使っている印象。
音源を聴いている時は少なからずあっちゃんの主観が入った表現のように感じていました。

ただ、公演を重ねていくうちに少し違った解釈ができることに気づきました。
というのも、コンサートでは完全に「ヒズミちゃん」という人物がそこに存在していて。
そこにあっちゃんの影を全く感じなかったというか。

この曲が演奏されている間、完全にヒズミちゃんの生きる世界が眼前に広がっていて、物語に深く没入できる感覚がありました。
そして、曲中に出てくる「お父さん/お母さん」についても、”ヒズミちゃんのご両親”というとらえ方ができるようになりました。

「夢を犯した/殺した」という表現は本来両親がなってほしかった姿とは違った育ち方をしてしまった自責の念なのかな?と思ったり。
筆者の解釈の中では、ヒズミちゃんのご両親は厳格だったように感じていて。自分らしく生きることを受け入れてもらえなかったのかな。
隠れてお化粧しているところを見つかってしまったんでしょうかね…。
そのことで両親からは失望されてしまい、居場所もなくなってしまった…。
そんなイメージが浮かんできました。

だからもう家には帰れない。お別れするしかない。
そういった心情が「お父さん お母さん 忘れないでね とっても 愛してる」「グッドバイ サヨナ..ラ」という部分にこもっているのかな…。
自分らしく生きたいけれど、そのためには大切なものを捨てなければいけない。このフレーズからはそういった葛藤を感じました。

・ヒズミちゃんの内面
「こんな はずじゃ.. 優しくなりたい」
ある公演でこのフレーズを歌いながら、ヒズミちゃんが自分の拳を太ももの辺りにたたきつけるような仕草をしていて。
その姿がとても健気で哀しかった。

ヒズミちゃんは優しくなりたいと言っているけれど、実際はちゃんと人に手を差し伸べられる優しい子なんだと思います。
だからそんなに追い詰められないで…。

ただ、自分が良かれと思ってした行動が相手に受け入れてもらえない瞬間はどうしてもあって。
曲中だと、赤信号を渡ろうとしている老人に「手を繋ぎましょう」と声をかけた時に「構うな!放っといて 頂戴..」と言われてしまう…みたいな。
(正直この部分に関しては筆者の中でもまだ考察が固まっていない状態ではあります…「構うな」って言ってるのはヒズミちゃんなのかそうじゃないのか…。ただ、ヒズミちゃんが人を傷つけるような言動をする子にはどうしても思えなくて。)

・「電車」というキーワード
「次の電車が 狂.. う」
この曲の結末を考察するときに出てくるのが「電車」というキーワード。
(結末の解釈に関しては後述したいと思います。)
個人的に、電車=レールに沿って進む乗り物→どれだけ自分らしく生きようとしたところで、社会規範やジェンダーバイアスからは逃れられないという比喩が含まれているのかな…と考えたり。

哀しいけど、現代もヒズミちゃんが生きていくにはまだまだ苦しい世の中だよね…。
ヒズミちゃんに限らず、誰でもそういった生き辛さ、息苦しさみたいなものを感じているんじゃないかな。
周りの目を気にすることなく、誰もが自分らしく生きられる社会になればいいのにな…と思います。


結末について

ここからは、『ヒズミ』の結末について考察していきたいと思います。

・電車に乗ってどこかへ行くエンド
アウトロで椅子に座ってリズムに合わせて頭を前後に激しく振っていた姿から、電車の揺れを想像しました。

ヒズミちゃんは日常的に電車に乗る機会があるのかな?(電車でどこかへ通ってる?)
結局は、心を殺して日常を繰り返すしかないのかな…。

もしくは、電車→知らない場所に連れて行ってくれる乗り物?(線路が続く限りは何処まででも乗って行くことができる)
生活圏を離れてできるだけ遠くへ行きたい心情を表している?ヒズミちゃんは死に場所を探すために電車に乗った?

・飛び込みエンド
音源を聴いた時、最初に感じたのがこの終わり方で。
ヒズミちゃんが電車に飛び込んで自ら命を絶ってしまったのかな…という結末です。

個人的には、大阪2日目のヒズミちゃんがこの結末を迎えちゃったのかな…と思ってます。
その日は曲が始まった瞬間からずっと狂ったように笑っていて。
完全に心が壊れちゃったんだと思います。観てて痛々しかった。
「次の電車が 狂.. う」で下手の方を指さしていたんですが、向こうから電車が来ている、どんどん近づいてきているのが見えました。
そして、アウトロはステージ中央に立ちすくんでいて。
ああ、ヒズミちゃんはあっちに逝ってしまったんだな…と感じました。

・お化粧エンド
アウトロで椅子に座ってお粉をはたいたり小指で唇に紅を塗ったりと、お化粧をしているエンド。
でも、その目は虚無を見つめていて。
好きな服を着て、好きなお化粧をしているはずなのに、その目には何も映していない。ヒズミちゃんの絶望を感じる…。
自分らしく生きるためにどれだけたくさんのものを捨ててきたんだろう。
その過程で、自分の心すら犠牲にしてしまったのかな。

そして、ファイナル2日間だけは「次の電車が 狂.. う」の「狂う」の部分を歌わず、その代わりに「あぁぁぁぁ…」と叫んでいたのがとても印象的で。
生きることに絶望して死のうとしたけど、結局死ねなかった絶望の慟哭?
もしくは、次の電車が来てしまったら愛するものと別れなければいけないという悲痛の叫び?
ただ、どちらにせよこのヒズミちゃんは生きていくことを選択したのかなと思わせる結末でした。


おわりに


今回は『ヒズミ』という楽曲について、筆者なりの解釈を書きました。

ツアー各地で表現が磨かれ、深化していった圧巻の物語。
一旦ツアーとしてはファイナルを迎えましたが、今後振替公演や群馬音楽センターでの追加公演、スタンディングツアーなど、まだまだヒズミちゃんの物語は終わらないのではないかと思います。

それを目の当たりにしたとき、きっとまた新しい解釈が生まれてくるのではないでしょうか。
その瞬間を心待ちにしていたいと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました。


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