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認知症介護小説「その人の世界」vol.5『なんで私が』

どうしてこんなこと、やらなきゃいけないんだろう。

若い頃からデパートで婦人服の売り子をしてきた私は、家にいても家事なんかほとんどしたことがなかった。料理は嫌いだったから外食産業のお世話になりっぱなしで、家で食べる時は地下階のお惣菜を買って帰った。洗濯はいつも夜だった。部屋干しをして、たたんだりしない。着る時はハンガーから外して身につけるのが私の生活スタイルだった。

「ほら、ぼおっとしてないで、さっさと手を動かしなさいよ」

隣に座ってるオバサンはいちいちうるさい。ボスという言葉がぴったりで、平等に働かないことを許してくれなかった。

そもそも、私はどうしてここで生活しているんだろう。家族でもない人たちと、料理だとか洗濯だとかをして毎日が過ぎる。カラオケや散歩に誘われることもあるけれど、そういうのって一緒にいて楽しい人とすることで意味が生まれるのではないかと私は思う。そうでないなら一人の方がましだ。

「あと少しね」

棒倒しのごとく洗濯物の山は削り取られ、代わりにタオルのビルディングが幾棟も建った。やれやれ、今日も終わった。

「あらちょっと、あなた。まだ終わっていないでしょ」

立ち上がった私をボスが見上げた。

「何が終わっていないの」

私が静かに鼻で息を吐くと、ただいまー、という若い女性の声が聞こえた。

「ほら、買い物組が帰ってきたわよ。これから夕食の支度なんだから」

ボスの言葉に私はうなだれた。また今日もみんなで料理。そしておそらく明日も、あさっても。

「お食事の支度をしましょう」

レジ袋から取り出した食材をテーブルに広げながら、若い女性は私と視線を合わせた。

「私、本当は料理なんかしたくないのよ。悪いけど、今日は休んでもいいかしら」

「みんなでやれば楽しいよ。人間ってね、最期まで人の役に立ちたいものなんですって。役割があるって幸せよね」

「役割?」

「そう、役割。家事は生活の役割でしょ」

それはいったいどこから持ってきた常識なのだろう。私は食材に視線を落とした。

「ちょっといいですか」

肩を叩かれて振り返ると、中年の女性が立っていた。

「何でしょう」

「あの、そのシャツ、とても素敵ですね」

女性はうっとりと私のシャツを眺めていた。服にはこだわりがある。私は心の鍵盤がひとつ、ピンとはじかれたような気分になった。

「分かる? これ、銀座のテーラーに仕立ててもらったのよ」

女性は口元で両手を合わせ、わぁ、と笑みをこぼした。

「どうりで。襟と袖の形がとってもおしゃれだと思いました」

「そうでしょ。寸法にもすごくこだわったのよ。私ね、シャツだけはテーラーにつくってもらうの。他のものはドレスメーカーだけど」

「わぁ、すごいなぁ。私なんて、この年になっても自分に似合う服が未だに分からないんです」

女性は苦笑しながら自身の袖口をつまんだ。私はたまらず言った。

「選んであげましょうか」

「本当ですかっ」

女性は声を弾ませた。

「本当よ。若い頃からずっと、それが私の役割だったの」

「わぁ、嬉しい。それじゃあ明日、買い物に付き合って頂けますか」

「もちろん」

私たちは笑顔で頷き合った。女性が言った。

「ああ、明日が楽しみ。夕飯づくりをさっさと済ませて、食べたら早く寝ようっと」

「手伝うわよ」

気がつけば、私はシャツの袖をまくっていた。

※この物語は、主にグループホームを舞台として書かれたフィクションです。

【あとがき】
このショートストーリーでは、認知症の原因疾患を特定しないことにしました。役割があることはとても大事ですが、時に提供側の自己満足にすぎない場合があります。私は、自分の一番得意なことで人の役に立つ時、そして「役に立ちたい」と思える誰かがいることが、心身の活性化につながると考えています。「やらされ感」や「劣等感」を与えないようにする配慮は、私にとって重要なテーマです。それは何よりも私自身が、やりがいのない仕事や楽しくない仕事に自発性を失うからです。

悲しみや苦しみ、切なさ、喜び、そしてきらめきは誰もが持ち合わせ、それは認知症であってもなくても同じです。より深い理解を得るために、物語の力を私は知っています。

※この物語は、2015年11月に書かれたフィクションです。

私の作品と出逢ってくださった方が、自分の世界をより愛しく感じられますように。