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感想文:物語 北欧の歴史―モデル国家の生成

 この本は武田龍夫氏によって執筆され、中公新書から出版された。著者である武田氏はストックホルム大学留学し、在スウェーデン大使館、外務省北欧担当官、在デンマーク大使館、北欧文化協会理事長と北欧における外交のプロフェッショナルと伺える。

 今回、この本を手にした理由は、端的に言えば日本の外交戦略において北欧が大きなモデルの一つになるのではないかと考えたからである。北欧といえば、汎スカンディナヴィア主義と社会主義、コーポラティズムが混ざり合った社会システムで有名である。

 一時期、日本のリベラル陣営が北欧をユートピアのごとく持て囃したことがあった。ここに大いに違和感がある。現世にユートピアなど存在しないという宗教観はもとより、第一にその国民国家の特異な形態は一夜にして成り立つわけではない。地理的環境から戦争の血と自然環境がもたらす涙、人々の営みの中の蓄積があったが故に到達したものである。

 本書に戻ろう。本書では、北欧がバイキングをしていた頃から遡っていく。バイキングの特徴的点は、少数精鋭と遊牧民的性格である。著者はこのバイキングの性格に北欧民主主義の源流を見出している。

彼は訪ねる。「首領はどこにいる?」するとバイキングの一人は答える。「首領?そんなものはいない。おれたちはみんな同じだ!」この回答の中に実は北欧民主主義の核である平等意識の源流がある。実際彼らには代表者あるいは同僚中の第一人者はいたが、支配権者としての首領は厳密にはまだ現れていなかった。もちろんやがて文字通り首領という概念が確立するのだが、それは内閣の原型において大臣はみな平等であり、首相は同僚大臣中の第一人者(プライムミニスター)であったのだが、のちに強大な権限をもって他大臣を支配するに至ったのと同じ意味である。P7

 些か、こじつけでは?という気もなくはないが、実際に定住及び稲作を行った場合、階級を持った集団になる傾向がある。理由としては足が遅い者、動体視力が低い者、子供といった狩猟社会に適応できない当時の弱者は、多くが淘汰されたのに対し、農耕社会では分業の名の下に生命を保証されるからだ。狩猟社会は個人主義とも呼べる。自立した、ここではあくまで自分で自分の安全を確保できるという意味であるが、自立した個人のチームワークで獲物を狩るのであり、着てる服の何かまで問うことのない、一個の自由主義的発想に基づいている。

 バイキングの狩猟社会を破壊すべく、大陸側が打った手は実にスマートだった。キリスト教化である。このバイキングのキリスト教化を通して、大陸は手をつけられなかった無法者を定住化とコントロールを行ったのだった。例えば、バイキングの独自宗教時代は長のような村落共同体の指導者がいたが、先に引用したとおり、あくまで個人の連合体の為、彼らとの交渉ごとや彼らの攻撃の手を止めるできない。キリスト教化をすれば、地域に一つの教会が役場的機能を果たし、なおかつ、ローマを中心とした階級構造に組み込めるのだ。

 大陸目論見通り、この定住化以降のバイキングの末裔はデンマークとスウェーデンの内戦に時間を費やした。途中の宗教改革では大陸進出も果たしかけたが、構造的に進出の足は遅くなった。

 1800年以降のトピックはやはりながら、ロシアとドイツである。この二カ国によって、ノルディックプランや北欧理事会といった汎スカンディナビア主義の達成と独自の安全保障を確立したと言って良いだろう。この時のフィンランドは北欧に一括りされるが、スウェーデンやデンマークで話される東スカンディナヴィア語群とフィンランドで話されるフィン語は体系的に異なる。

 フィンランドに焦点を当ててみると悲惨である。フィンランド人は苦労の末に国家を手に入れた。本書で特にフィンランドにピントを絞った時代は、ロシア帝国の植民地時代だった。教育の分野でのロシア語導入、一時的に手にした関税自主権の剥奪など、ロシア化の一歩手前と呼んでもいいだろう。日本における朝鮮半島への植民地政策に類似している。そんな時、ロシア革命が発生したのだ。ここで武田氏は明石大佐が活躍したと指摘する。ボリシェビキに武器や資金の横流しをフィンランドを通じて行ったのは、明石大佐だったというのだ。フィンランドはもちろん、この革命の際に独立を果たそうとするわけだが、赤軍からも攻撃に晒されるのである。

 なんとか、現代に登場する国家群が揃った1936年、ノルウェー、デンマーク、スウェーデンは共同中立宣言、軍事協力を検討していた。フィンランドもスウェーデンとオーランド諸島武装化を検討している。前者は交渉途中で破綻し、後者はソ連の抗議で断念した。現代は、これが過ちであったと学んだのだろう。

 その後、ソ連の大軍がフィンランドに押し寄せ、ナチスはデンマークに電撃作戦を展開、頼みの英国はノルウェーにどうにか艦隊を送るに留まった。北欧の心臓であるスウェーデンは、デンマークの亡命者たちの軍事訓練に勤しんだ。フィンランドは、ソ連を払い除けるためにナチスとの協力関係を構築するが、ソ連がいなくなったがナチスとの関係を清算できないでいる。

 この中堅国家群は大国への恐怖を身を以て知った。そして、生み出されたのが北欧理事会だった。

 ここからは私自身が調べたことであるが、北欧理事会には食料・資源の緊急事態法があり、理事会加盟国は様々なものを供給しあえる関係にある。またスウェーデンは独自の武器開発を行っている。また、北欧主義の源であるスウェーデン社会民主労働党は、ドイツ社会主義労働者党のゴータ綱領に影響を受けているのも興味深い点である。北欧はかなりマルクス主義にアレルギーがある。理由はいうまでもないがソビエトである。そこで、ラッサールなどのコーポラティズムと社会主義の理論を北欧に持ち込んだと私は考えている。英国の資本主義でもなく、ロシアの全体主義的社会主義でもない方向性を探した結果、そしてバイキングの個人主義が合わさった形が現代の北欧民主主義ではないかと思える。余談であるが、ノルディック・モデルにおける親米派のノルウェー、親ソ派のフィンランドという区分けも、北欧が団結を前提としているならば、とてもよくできた中立政策であり情報戦略でもある。

 上記の点を日本に持ち込むならば、日本は琉球、朝鮮半島、台湾との団結は不可避である。2000年の獅子・中国と世界の警察・米国、ユーラシア主義・露国に食い散らかされない為に、共同政策を模索すべきでなかろうか。日本は大きすぎるのであれば、北海道を独立させ、連邦の親露派の国としての情報政策に務めていくものありである。

 以上が感想とまた、今後の思考への資料である。

数年前にトルコに渡航していました。現在はオルタナティブ系スペースを運営しています。夢はお腹いっぱいになることです。