偶然SCRAP#41: 写真家Anthony Hernandezは豊かなLos Angelesのイメージを破壊する

(追記:2020年1月1日)
Anthony Hernandez。ロバート・フランクを見て、現代の写真家が見たくなった。ロイ・リキテンスタインのようなポップなドットの写真が載ってる記事に目が行った。

アンソニー・ヘルナンデスも十分ベテランなんだが、同じように疎外をテーマにしているらしい。LAに住むラテン系住民。ドットにみえるのは、ルートの整備が不十分なバス路線のバス停の穴があいたメッシュのフェンスを通して撮られたかららしい。

写真から直接的に疎外感は感じられなかったが、撮られたストリート。ポップ。大量生産。ポップ。その彩度に目が行った私。結局、マスなものや不自然に彩度の高いものに慣れてしまって、その奥に映るリアルな人には焦点が合わない。

その慣れに慣れたくないなら、フェンスを越えて見なきゃだなぁ。

(初投稿:2019年9月26日)
イギリスのアート・マガジン『Frieze』からロサンゼルスで8月30日まで開催していた写真家Anthony Hernandezの展覧会『Screened Pictures』のレビュー記事を引用紹介します。

写真家Anthony Hernandezは豊かなLos Angelesのイメージを破壊する
BY JENNIFER PIEJKO
11 SEP 2019

Hernandezは、網目のように拡がるLos Angelesの地域の高速道路とスプロール現象の接続点のみならず、街を形作る道路や交差点をカタログ化する

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Susan Sontagの1973年のエッセイ『Freak Show』で、彼女はWalt Whitmanの詩集『Leaves of Grass (草の葉)』(1855)から、もしも、「アメリカの実際の経験―事実、包摂、生命力」を彼らが抱擁するならば、「美醜に悩まされる人はいないだろう」という言葉を苦労して集めてきたと述べた。現実の記録―特に乗り物に乗っているとき―には、アメリカらしい特徴は見当たらない。当然だろう。しかし、アメリカの道路はこの写真家の目を延々と惹きつける。それらは私たちにRobert Frankの『The Americans』(1958)から、デンマーク生まれの写真家Joakim Eskildsenの写真集『American Realities』(2016)―オリジナル制作はTime magazine―までの全てを与えてくれる。それは、貧困水準を下回る市民の今の生活を記録することによって、豊かさと快適さをもたらす神話的な能力に関するアメリカ国家のプライドをこき下ろした。写真家Anthony Hernandezは、網目のように拡がるLos Angelesの高速道路とスプロール現象の接続点のみならず、街を実際に形作っている道路や交差点の表面にある物語をカタログ化するのだ。

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Anthony Hernandez, Screened Pictures #22 , 2017–18, inkjet print, 1.1 × 1.1 m. Courtesy: the artist and Kayne Griffin Corcoran, Los Angeles

Hernandezは、1950年代の間、East Los Angelesに隣接するBoyle Heightsで人格形成期を過ごした。彼がカメラを手にしたとき、水平線を最適化することよりも、彼の故郷で出会う厳しい現実と関わることに興味を持った。1969年、Vietnam Warの恐怖から帰還してすぐ、彼は、Garry Winograndのようなストリート・フォトグラファーに影響を受けたスタイル―疎外と不均衡の独特な感覚は除いて―を発展させるために、手持ちの35mmのNikonを使い始めた。彼の「Rodeo Drive」(1984)シリーズの明らかな例外は除いて、Hernandezは、壮大な大通りとテントが出る歩行者天国といったLAの広大さの中に溢れる貧困な労働者階級の歩行者にレンズのフォーカスを当てた。Hernandezは、the Chicano art collective Asco (メキシコ系アメリカ人のアート集団Asco) ―1970年代から80年代にかけて彼らの政治的なパフォーマンス作品は、アートと映像でラテンアメリカ系住民の欠如に人々の関心を向けた―と並行しつつも、それからは独立した形で制作を行った。彼の写真は、LAのマイノリティーでありつつも、多くの人口を抱えるラテンアメリカ系住人、さらに広く見れば低所得者コミュニティーが、依然として疎外されている真実を巧妙に強調した。


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Anthony Hernandez, Screened Pictures #32 , 2017–18, inkjet print, 1.1 × 1.1 m. Courtesy: the artist and Kayne Griffin Corcoran, Los Angeles

Hernandezの最新シリーズ『Screened Pictures』(2017-18)は、見慣れたランドマーク―約1,300万人の都市人口に、悲惨なほど不十分に提供されるLADOT Transitバス[LAのバス路線]のピックアップポイント―を捉えている。これらの写真は、このアーティストの初期の『Public Transit Areas [公共交通エリア]』(1979-80) ―詳細を高画質で捉える13x18cmの大判カメラで撮影されたバス停でのポートレートのシリーズ―の視覚言語による定義をぴったり繰り返している。ただHernandezは、『Screened Pictures』では、LAのリデザインされたバス停の横に立てられた黒くパウダーコートされたメッシュのアルミ製パネルを通して撮影した。それは、これらの写真にRoy Lichtensteinの作品の外観のようなBen-Day Dots (ベンデイドット)を与えた。しかし、Hernandezは、「Screened pictures #23 」ではギャラリー常連客、「#37」では金色に縁取った時計盤、あるいは「#17」にはそびえ立つ新しい複合施設といったポップアーティストの野心的で商業的なモチーフを借りたかもしれないが、「#7」「#22」「#16」「#32」で描かれた、かつて色鮮やかだった小さなありふれた店のファサード―今や経年劣化が明らかに分かる―は、ポップアートの魅力的な輝きを意図的に避けている。

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Anthony Hernandez, Screened Pictures #23 , 2017–18, inkjet print, 1.4 × 1.4 m. Courtesy: the artist and Kayne Griffin Corcoran, Los Angeles

『Automotive Landscape [自動車の風景]』(1978-79)と並べて『Public Transit Areas』を考えると、Hernandezの鍵となる焦点は交通モードである、という印象―運転と運転が与える自治権に夢中になった都市で育ったアーティストにとって気まぐれとは言えない思い―を与えるだろう。しかしながら、彼の50年のキャリアにおけるこのアーティストの真のテーマは、『Rodeo Drive [ロデオ運転]』『Public Transit Areas』『Public Use Areas [公共利用エリア]』(1980)などのシリーズで最もはっきりと明示されている。それらでは、群衆の一部であるにも関わらず疎外された人々がどれだけ周りから離れているかを描写する。Hernandezは、大衆の解放と同時に、どのように個人がこの都市の中で一斉に孤立していくのか、という近代的な状況を暴いて見せる。『Screened Pictures』は、バスの乗客や歩行者の通勤―都会の匿名性そのものの人、道と道のテクスチャ―の中にいる人、通常はフルスピードで走るLAの車の見慣れたフロントガラスからしか捉えられない人―を示している。

Anthony Hernandez, ‘Screened Pictures’ was at Kayne Griffin Corcoran, Los Angeles, USA, 13 July – 30 August.

Main image: Anthony Hernandez, Screened Pictures #19 (detail), 2017–18, inkjet print, 1.4 × 1.4 m. Courtesy: the artist and Kayne Griffin Corcoran, Los Angeles

文:JENNIFER PIEJKO: a writer and editor living in Los Angeles.
訳:雄手舟瑞


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