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【偶然日記#10】初めて抽象アートを面白いと体感できた時の話

週末の二日間は瞬速で過ぎていく。これが三日間だと少ししっかりと休んだ感がある。だいたい二日間だと家に籠もって終わってしまう。

朝10時くらいに起きてシャワーを浴びる。メニエールの薬を飲むために何かを軽く食べつつ、ちょっと王様のブランチをつけると、あっという間に1時近く。昼飯を食べるにも、さっき薬を飲んでから2時間くらいしか経っていない。

「あーどうしよう、今食べるべきか、もうちょっと待つべきか」と悩んでいるだけで2時を過ぎ、とりあえず昼食だけとる。薬は4時になったら飲もう。

とりあえず本を読む。候補は2つ。
・「デイヴィッド・コパフィールド(四)」チャールズ・ディケンズ著(岩波文庫)
・「なぜ脳はアートがわかるのかー現代美術史から学ぶ脳科学入門ー」エリック・R・カンデル著(青土社)

ここでも迷うが、昨日Amazonで届いたばかりの「なぜ脳はアートがわかるのかー現代美術史から学ぶ脳科学入門ー」を手に取る。

原題は、"Reductionism in Art and Brain Science: Bridging the Two Cultures"で、直訳は「アートと脳科学の中の還元主義ー2つの文化の距離を埋めるものー」と言ったところだろうか。

還元主義(Reductionism)とは複雑な概念や仕組みを、超単純化して考えたり説明したりする方法・主義で、しばしば批判的に使われる。→英語学習に最適な英英辞書「Longman Dictionary」と「Cambridge Dictionary」による(この2つの辞書は噛み砕いた説明が得意なので、ニュアンスの違いを知りたいときに便利)

※さらに、Wikipedia(英語)も見てみると、還元主義は哲学用語で、「最も使用され、そして乱用されている哲学用語の内の一つ」らしい。さらに悪い面だけでなく、良い面もあるらしい。

僕は、すぐ再編集(”自分勝手な思い込み”→全てが悪いわけじゃなく、身を守るためだったり、より楽しい印象にするためだったりに必要なこともある)をしてしまうので、ファクト系はこんなとこでやめときます。

この本は、確かAmazonのオススメで出てきたか何かで出会った。この本には、僕の大好きな、それはもうゾクゾクする抽象芸術について、なぜこんなに興奮を覚えるのか?を脳科学的なアプローチで解説してくれているらしい。僕はにとって、抽象芸術を見るのは、全く大自然に対峙したときと同じ感覚なのだ。

「この感覚をもっと言語化できるかもしれない!」ということで、ポチッとした。

ところで、僕が抽象的なアートを見てゾクゾクする感覚を始めて覚えたのは、2008年の冬にロンドンのテート・モダンでマーク・ロスコの回顧展を見に行った時だった。デカくて薄暗い部屋に入り、ロスコの絵を眺めた時、山頂まで登ったら視界が開けて、突如現れた壮大な景色に息を飲むような、心臓が「スゥーッ」とするような感覚があった。

その2年後、帰国直前の2010年秋、当時住んでいたニューカッスルにあるBALTIC Centre for Contemporary Artという現代アートギャラリー(東京の国立新美術館のようにコレクションを持たないギャラリー)で、アンセルム・キーファーの巨大な作品を見たときも同じような感覚があった。

帰国した後、前回出てきた岩本町のギャラリーMotus Fortのアメリカ人オーナーのジェフリーに言われて読んだカントの「判断力批判(上)」(岩波文庫)で、

崇高とは、そのものを考え得るということだけでもすでに感官[感覚器官。]のいかなる尺度をも超過するような心的能力の存することを証示[demonstration]するところのものである。(p.155)
我々は荒天、嵐、地震等の天変地異のなかに、怒りとなって示現[仏・菩薩が人々を救うために種々の姿に身を変えてこの世に現れること。]しながら、しかいまた同時に崇高性を具えた神を目の当りに見る思いをするのが常である。(p.177)

こんなことが書いてあり、難しくてハッキリは分からないものの、同時に「確かにこの感じだ。」という腹落ち感があった。(最初の第一と第二は読んでないどころか、入門書も読まず、大学の図書館で借りた英訳版を片手に何とか自分なりに解釈しただけなので、アカデミックな意味は知らない。)

僕が砂漠で皆既日食を見た時に抱いた、まさに自然の崇高さと、ロスコやキーファーの作品を見た時に抱いた感覚は、とても似ていた。そして、このカントの文章から僕は「自然は崇高なもので、その崇高な自然に対峙するときと同じ心の状態になったときに、崇高さを感じる作品こそアートだ。」という勝手に考えた。

これを今回の読書で、感覚を掴んでいきたいと思ったのだった。で、この本のテーマは、

科学者とアーティストが用いている還元主義的アプローチは、目的こそ互いに異なっていても(科学者は複雑な問題を解くために、また、アーティストは鑑賞者に新たな知覚的、情動的反応を喚起するために還元主義を用いる)、その方法は似通っている。(p.14)

そして、「科学的分析は感覚経験の解釈の方法の一つとして芸術作品の知覚を探究することで、脳が芸術作品をいかに知覚しそれに反応するのかを原理的に説明」(p.15)する。「この新たな心の生物学は、脳科学から芸術やその他の知の領域に至る架け橋を築くことで、人間自身に関する理解を深めることを目指している。この試みが成功すれば、芸術作品に対する私たちの反応や、おそらくは芸術作品がいかに創造されるのかについて、よりよく理解できるようになるだろう。」(p.15)

これは、これは。ホッホッホ。そして「はじめに」の最後にマティスを引用し、

私たちは、思考と具象的要素を単純化することで喜びに満ちた平穏へと近づくことができる。思考を単純化して喜びの表現を獲得すること、それこそが、私たちが行っている唯一の営為なのだ(p.16)

なんか判断力批判とリンクしている。フッフッフ。

ということで、大分横道に逸れましたが、読書自体も脇に逸れ、AbemaTVで宮迫・亮の会見を見ていたら、あっという間に日曜も終わってしまいました。チャンチャン。

(おわり)

雄手舟瑞の過去の話をベースにしたフィクション「雄手舟瑞物語」と雄手舟瑞の今を書くエッセー「偶然日記」を毎日交互に更新しています。よろしければご覧ください


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