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劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライトを観ました。

すごかったです、はい。

端的な感想としては「これが2200円(特別映像付きの値段なので)ってアホか??????」です。いやこれ舞台なのでせめて1万はあるでしょ、フツー。

人々、観ましょう。今(7/15時点)ならアニメもYoutubeで全話無料配信中だぞ。

※アニメ一気見からの映画初鑑賞からの勢いで書いた文なので「この描写大切やろ何で抜かすんだ」「そもそもそんな描写あったっけ?」が発生しています。ご了承ください。

1.劇場版を観るに至るまで

スタァライト自体は「名前は聞いたことあるなー」だったんですよ。大学時代のサークルの民がハマってて、コスプレしてたのも知ってたし。とはいえその程度だったのですが。

劇場版が公開されて、TLに「初見でも楽しめたというかすごかった」的なレビュー漫画がいくつも流れてきて。さすがに気になってきたところにアニメをYoutubeで全話配信すると知り。毎週恒例として観る体力はあんまりないけれど、自分のペースで観れるなら、せっかくなら観てみるか、と観てみたら、ここ数日の生き甲斐になりました。

いやほんと推せるものがある熱量っていいよな。ほんと。仕事でしんどい時も、勤務前に観たキラメキや、家に帰れば観られる続きを思い返せば、心は元気でいられますわ! 推せるものがある人生、熱量、キラメキ、さいきょー!!!

──になってしまった。まあこれは映画も観ますわ、調べておくか。お、特別映像付き? しかもほぼ終わりかけてる?? でもなんとか休みに合う映画館がしかも行き慣れた池袋で残ってる??? よく分からんけどどうせ映画観るし、後々「観ておけばよかった…」になるくらいなら、多少無駄になってもここは課金して突っ込んだ方がいい。ポチー

以上。映画予約日に間に合うように勤務前後にアニメを観進めたのでした。

2.アニメ視聴完了時の感想

推しは早々(vsまひるの前には)に星見純那になりました。勉強ばかりの(ちなみに私は勉強を、やりたいことがない時にはとりあえず磨くと「安牌」の、最も基礎的で普遍性と汎用性が高く、だからこそ勉強「だけ」では何の意味も成さない行き先も示さない、そういう武器だと思っている節があります)真面目ちゃんが舞台に魅せられ、これがやりたいと、持って生まれたもの(才能…というより、芸能的なバックボーン?)が足りずとも情熱と努力で邁進する、そのキャラ設定がまず好みだし。聖翔祭やオーディションに賭ける熱量が空回りしたり倒れたりするほど熱くなるのもその、逸らせない向上心と諦められない克己心と折れてはならない闘志からしたらそうだし。それで1回で負けたらそこで試合終了と一人で思い詰めてカリカリしてたらああもなるし。で、怒りとか不満とかを覚えていた華恋とレヴューでぶつかり直して、自分を見つめ直し、また新たに、そして正しく(?)次回のチャンスへと前を向き直し、雨降って地固まる。ど王道じゃん。そこから周りを気遣えるようになって、優しさや笑顔も見えて、それがななに対する励ましに繋がっていく。いやそこからの突然の名言キャラ化には困惑はありはしたのですが……。というかななのループ白状を、そうなのだと受け入れ、そのうえでななのループをする心情を想像し共感を図る姿勢、受け入れ力の極みか???(言われても普通に困るでしょあんなん、まどかですら確か女神になって実際に世界線を目にしてちゃんと受け入れたレベルなのに) 。口上もいいよね。最後の75調を、レヴューの場の口上というより自分の信念として普段から持っているところとか。「己の星は見えずとも」の足りなさと「見上げる私は今日限り」の一回性(恐らくそういう文脈ではないがそう聞こえた)とか。あとvsまひる戦の「常識人」としての戸惑いっぷりとか面白かった。記憶が曖昧で若干間違ってるところがあるやもしれんが。まあそういう。

話全体としては、思ってたより分かりやすいな、と。約束タワーとかアタシ再生産とかそういう画像は前々から知ってたので、あの考察に考察を呼ぶイクニ作品系だと思ってた(そもそもイクニ作品もまともには履修してないので話が難解であるというのも普通に偏見)ため、その心づもりで観たら、思ってたよりストレートに青春してるなあ、というのが感想でした。レヴュースタァライトは舞台作品だ(舞台と並行しての商業展開、という意味ではなく、作品のメタファーや表現として「舞台」である)というのは、そもそもの入りであるTLから知っていたので、超自然的な現象も、そもそものレヴューという設定も、舞台少女達のぶつかり合う熱情を効果的に伝えるための舞台装置なんだな、と受け入れやすかったし。

音楽を軸とする作品はやはりいいですね、というのも感想。二次元オタクとしてのスタート地点であり「実家」が東方Projectなのもあって、自分が「音楽を軸とする作品」に惹かれやすい、というの再発見しました。東方って知らない人に「弾幕シューティング」と説明していたけれど、「神主が作る音楽を主軸とした作品群」と説明した方がいいんじゃないかと思った。そういや初めてBDに手を出した聖剣使いの禁呪詠唱も。メインテーマを中心とした音楽を好きになって、それを手にしたかったから購入したのが大きいし。あんまり地上波でアニメを履修することが少ないのですが、その数少ない1つに、これまた音楽を軸とするヒプマイがあるし。カービィもいいよね。

そもそも演劇が好きだわ、というのも思い出しました。演劇といっても学生演劇ばかりで、プロの作品は劇団四季のオペラ座の怪人くらいしか観に行ったことはないのですが。でも中高の演劇部や英語劇部や放送部の公演はできる限り観に行ったし、大学入ってもサークルの公演はそこそこ観に行ったし、期間限定品に弱いからとも言うけど、何だかんだ観に行ったものだなあ、と。演劇特有の、声を張って台詞を客席へ放つ、あの感じいいよね。……ってか、思い出したという前に、ヒプマイのStellaで思い出してはいたわ、それ。あとは、作り込まれたものを受け取るだけでなく、舞台装置という、現実的には制限のある表現から、また、公演時間という、決して長くはない制限のある中から、作り手が伝えたいものを、受け手が公演中も公演後も思考と解釈を通して「能動的に」受け取らんとする姿勢を求められる、あれが没入感と夢中を高めるところ、あるよなあ……。

何にせよ音楽と映像がリンクする表現が本当にいいな、と。台詞に隠れてあんまり歌詞が聴こえなくとも、決め手の歌詞(登場人物の名前の由来であったり、このレヴューを通して伝えたいテーマであったり)はきっちり間を作って主張してくる作り。しかも音楽の雰囲気や(の変化)に、カメラの映す場所なり舞台装置なり登場人物の動きが合わさり、逆にストーリーに、音楽の雰囲気なり歌う側なり舞台装置なり声優さんの演技なり、登場人物の高低の表現や左右なりが合わさる。調和してる。ほんといい。いいよね……。特にRE:CREATEすき。いい、というか、作品が「上質」です。

レヴューを通してぶつかり合い、ぶつかり合う中で、自分や自分と相手との関係性を見つめ直し、高め合い革新し進化し、そしてその結実として、主人公とヒロイン(この書き方がしっくり来るけど別にそうでもない)が、定められた悲劇さえ運命の約束で覆し、大団円に終わる。名あり登場人物が多いし目指すところも壮大っちゃ壮大で、2クールくらいかかりそうな話を、本当に1クールでまとめきった……いや、ほんと素晴らしい盛り上がりでありまとめだったわ……え、この続き、やるんすか?

その他、感想雑記。作中でがっつり7ヶ月経ったのはびっくりした。でも勉強苦手そうな華恋が、ひかりの置き土産のスタァライトを翻訳することで真実に気が付き、かつてのひかりと同じようにバール(のようなもの)を手にして舞台をこじ開け、新しい物語を自ら作っていくのはすごい…いいなぁ…と感じた。そして確かに「2人でスタァライトする」が走る燃料だった華恋が、ひかりが戻ってくるまでスタァにはなれず、ひかりがいなくなったら演技ができなくなる、ある種危うい華恋が、じゃあスタァライト終わったらどうなるの? 問題は、確かに大団円に隠れて何も解決していなかったのである。

あとラストの、書き換えられたスタァライトのシーン。最初観たときは「あれ、もう直前だから台本が書き換わる訳がないし、ひかりは退学したのに?」となり、次に「この聖翔祭の描写自体は大団円のメタファー(であり実際に起きたことではない)なのでは?」と思い、そして「トップスタァになった華恋が、ひかりと2人でのスタァライトを運命の部隊として望んだことで、数ヶ月前のひかりの退学などなく、台本がハッピーエンドにアップデートされた世界線に、時間が巻き戻りつつ分岐した」という解釈で納得していました。

そんなこんなでなんとか映画鑑賞前日に全話見終わり、ネタバレは避けつつ色々調べながら、映画を楽しみに待っていたのである。ちなみにロンド・ロンド・ロンドのカット追加を知り、映画館の音楽のすごさを思い浮かべるに、また、追加カットも含め、映画館で観たかったなあ総集編、にもなりました。映画館でこそ観るべき作品は音楽で殴る作品ですよ。「天気の子」とか(あれは映画館で浸るグランドエスケープだけでおつりが来る)。あと、没入感がウリのジャンルとか。

3.映画に向けて腹ごしらえ

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#チアーズバーガー のラムバナナバーガー。

池袋で観る時点で飯は決まってました。スタァライトと関係ない…訳でもない(店長がスタァライトのオタクらしい)ですが、1000円超バーガーの中でいちばん多幸感があるバーガー屋なので、食べてください。鉄板で焼かれる具材を見てると五感でわくわくする。あとかなりの頻度で生まれる変わり種バーガーも楽しい。というか今まで変わり種(さくら、馬、クレイジー)しか食べてないな……。

スタバで時間を潰し、いざ映画館へ。

4.グランドシネマサンシャイン

ってすげー。チケット&フード売場、黒を基調とした高級で上品な空間に、金色のモニュメントが輝いている。あとめちゃくちゃ縦積み。フード持ってあんなに上る昇る登ること今までなかったわ。あとエスカレーター昇ってる時の壁や、シアターのエリアに、色々と過去の名作映画、いわば金字塔のポスターパネルが掲げてあるのが、「ああ、映画の殿堂に来たんだな……! これから観る映画もまた、この名作達に肩を並べ名を連ねるものと成りゆくんだな……!」とわくわくしました。もちろん今やっている映画のパネルに囲まれるのも、それはそれで「今ある世界の広さ」を感じて良きなのですが、あの「過去の名作を列に並べて(エスカレーターという一方方向に動くものの壁にあるのでそうなる)並べてその先にこれから観るものがある」の、過去から未来への時間の連なり積もりを感じさせる手法はね、すごいね……。

そして最前列のリクライニングシート。私は使わなかったんですが…最もスクリーンに近いところで寝転んでスクリーンを見上げる……あれ………見やすいのか? サンシャインといえばプラネタリウムの雲シート芝シートも気になりますが、さすがに映画の最前列は、どうなんや……???

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終わった時には20時過ぎ、つまりコロナ禍では食べる場所もなかろうと、高いけど買ったホットドッグセット。後に牙を剥くこととなる。

5.映画の感想

いやぁ…良かったね……終わりながらも終わらない、開かれた終わりだったね………。

いや初手の感想は「これ、特別映像②は、初見で観るもんじゃねえな」だったのですが。エンディングロールが終わって、いやこれは色々お気持ちや自分なりの解釈をふせったーに書いて整理したいわ……となったところで、ふっと三次元が映ったので、現実に引き戻されてしまったというか(舞台は履修してないため……)。いや二次元で終わらせてくれ余韻に浸らせてくれ、になってしまった。確かにあの声優さんたちの感想会が、一人で来た私にとって、ネットサーフィンをして誰かの解釈と「対話」しながら、自分の作品への解釈を言葉にしていく、あの時間にはなったな、と。かなり言ってることは分かるというか、そういうことか! になったし。でもだからこそ、1回目はアニメーションの余韻で終わる、その体験があって。自分なりに考えて言葉にして、他の人の解釈も読んで、自分なりに咀嚼する、その積み重ねがあって。そのうえでもう一度観たあとで、見たいものだったなと。あとだいぶしっかり感想会してて、これ以上の特別映像は三次元方向では考えられなかったんだけど、特別映像①はどういうものだったんだろ? アニメの追加カットとかだったら泣いちゃう。

ということで感想です。特別映像②における、声優さん……というかスタァライト九九組の方々の感想を踏まえます。踏まえざるを得ません。

まず、思ったより華恋の回想シーンが多いな? と。劇場版だしレヴューの映像と音楽と激情で殴ってくるのかと思いきや、そういう方向で殴るわけではないシーンがだいぶ多くてびっくりした。でも確かに、華恋が先に進むストーリーとして、華恋のバックボーンをちゃんと語り、生きている人間としての感情や鍛錬の積み重ねがここまであったことを示すのは、確かに必要だよなと。舞台設定だから忘れやすいのだけれど、聖翔音楽学園は名門かつ難関なので、芸能的なバックボーンが取り立ててないキャラ、レヴューの中で花開いたように見えるキャラにも、当然、聖翔に受かるまでに舞台に向けて人並み以上の鍛錬を重ねていたわけで。舞台の上はハレなんですけど、ハレだけではハレを成せなくて、女の子としての楽しみも青春も燃やして舞台へ向けて(届かないかもしれないのに)鍛錬を積むケがあるからこその、ハレらしいハレになるんですよね。分かります……(ハレの輝きはケの足掻きがあってこそで、ケを舞台のために足掻けない者はハレには「立てない」)。

九九組の方々が「キャラが生きている」という話を再三していたんですけど、そうだよな、と。純那役の方の衣装が、ピッタリ採寸して作ったはずが、背が伸びるにつれ短くなったように、キャラクターとして生み出された彼女たちも、背が伸びる。幼い頃と今(卒業時)と、キャラクターの記号としては髪型が変わらないけれど、生きているので当然、髪型が変わる時くらいある。今は明るい能天気キャラが、昔は引っ込み思案だったりするし。別にネームドキャラだけが全てではなく、モブとも友人だし。ネームドキャラがモブに嫉妬(ひかりが華恋をスタァライトに誘ったのは、そういう幼い独占欲だと思っています)することもあるし。それはそうだよなあ、と。

どうしても自分が生きてると、過去は眩しいんですけど(私にも眩いばかりに楽しかった思い出があります)。前に進むのは挫折ばかりありそうで、過去の夢見てた自分に胸が張れない、諦念を積み重ねて平凡にすらなれないしょぼくれた自分になってそうで、何よりどうしようもなく老いるので、やっぱり怖くて「ここで死のうかな」と思うんですけど(今が辛いから、ではなく、次のステージに進みたくないから死にたい、と涙した時期が私にもあります)。でも、これ書きながらレヴューダイジェスト流してたら、ここに描かれている彼女たちは、この後のレヴューでのぶつかり合い、映画でのぶつかり合い、そしてそれを通しての気付きや成長を経てないし、その点でまだ「未熟だった頃」なんだなと、何だかそれが描かれたものとしてこの場所に定着しているのが変に小っ恥ずかしくなって(キャラクターだけでなく、声優さんとしても、アニメが進むにつれ、そして映画に至るまでで、演技が成長してる感じしません?)。ああ、老いるって、熟することなんだな、と。若さのままで留まるって、成長しない未熟のまま終わらせることなんだな、と。下手な格言ではなく、ややもすれば「老いる」とネガティブに感じがちな時間の経過は、それがあるからこそ「成長した」んだなと、捉えることができました。

これを経てもなお、彼女たちの映画の先を観るのは、想像するだけでやっぱり怖いのですが(解釈違いになってしまうかも、そんなの見たくない聞きたくない知りたくない、になってしまうかもしれません)、この先に如何なる挫折や諦めがあったとしても(彼女たちならそれさえ糧にして立ち上がり、それぞれの立ち位置を得てそこでトップスタァに輝いていそうというかそうであってほしいですが……)、それでも彼女たちの人生は死ぬまで続くのだ、それだけは確かに腑に落ちました。学園、学生、そこで終わるのが彼女たちではない。描かれなくとも、そこに一般ウケするキラメキがなくなったとしても、それでも先へと人生は続く。もちろん、自分も。

ロンド・ロンド・ロンドを経ていない自分にとって、やっぱり皆殺しのレヴューでの、死体描写は怖かったです。観客の自分ですら「まさか…!?」となった空間で、舞台装置だと見抜いて毅然と声を張れる真矢様さすがっすわ。華恋が終盤に死体になるのは、彼女の舞台少女として賭けてきた情熱がスタァライトにあり、それが終わってしまった、その先の進路が何もない、つまり空っぽになった、と素直に呑み込めるんですけど。皆殺しのレヴューのタイミングで、進路が曲りなりともそれぞれ書けていたあのタイミングで、死体になるのはどういうことかと、まだ納得できる解釈は組み立てられてはなかったりします。まあ、進路は進路として書けるけど、まだまだ次のステージより手前、過去のレヴューや、聖翔生としての自分に囚われていて、アニメで描かれた中で構築されたキャラクター性や関係性に甘んじていて、そんな中途半端からは脱しろよ、脱しないと次のステージへは進めんぞここで終わってしまうぞ、というメタファーとして捉えていいのかな。ななが殺すということは「落ちぶれた先が見たくない」なので……。

「強いお酒を飲んだみたい」は分かりません! この台詞があることは知ってたけど、あんなに強調されるし唐突な台詞とは思わんかった。未成年なのにとマジレスした純那が最初に「血を流した」こと、あくまでレヴューは舞台であり舞台の上では舞台少女は台詞を言って演じるものである(vsひかりでのまひるの台詞も「台詞」よな……?)こと、じゃあ何の演劇の舞台かと言うと「華恋がひかりとの関係を再構成し新しい舞台を見つける物語」の舞台だと考えられることから、まあマジレスした純那が「血を流した」のは「ここは華恋の物語の舞台やぞ、自分のは台詞なんだからマジレスすんな、ちゃんと演じた台詞で応じろ」だとは思うんですけど。そしてこれが台詞であることの強調として「お酒」になるんだろうなとも思うんですけど。強いお酒を飲むと、くらくらしたり気持ち悪くなったりするので、……いや、なんだろう……? 次の華恋との会話は素直に、私はあなた達の聖翔での1年間を支え、良きものになるよう満たしてきたのに、あなた達はそれでは飽き足らず先へ進んでしまうのね、でも舞台少女ってそういうものよね、ということだとは思うんですけど。

ワイルドスクリーンバロックは分かりやすい作りだと思うんですよね。何より、「本編の関係性としてちゃんと描かれるべきだった2人のぶつかり合い」がちゃんと描かれていたのが燃えたんですけど、それだけでなく。最後の「ひかりに勝ちたい」という最後の台詞であり、ひかりとの2人のスタァライトを乗り越え前へ進む一歩、その華恋とひかりとの関係性の更新を、最後のシーンだけでなく更に多角的に重層的に描いたのが、それぞれのワイルドスクリーンバロックだと捉えてます。すごく素直に。どうして相談もせず退学したのという嘆きがあり、互いへの怖さがあり、それでも高め合う「ライバル」として繋がり合い、かつ互いに独立した存在として、我儘にまずは別々の信じた道を行く。そういう2人ですよ、そういう2人になりますよ、そういう表現だと思っています。

それはそれとして、相変わらずレヴューを私物化するふたかおであるし。その結実としてちゃんとバイク乗れるようにしている香子は草。レヴューに至るまでの役回りにも草。ホステス(?)として客(?)を問い詰める香子も、問い詰められて目を逸らす双葉も面白い。まひるのレヴューは相変わらず怖いというか、ヤンデレのヤンの方向がひかりの方に向くのはまあ自然よなというか、どこまで演技だったんや? というか。恐怖を通してひかりを揺さぶり本音を出させる役回りで、本人は優しいのは分かったうえで、それはそうとマジで怖かった。あとは華恋に依存せず、自分のなりたいスタァに向かっているんだなというのが分かって尊い。じゅんなななはすげえよ。すごい。ななが物語において語られるにつれ、相方の純那にも焦点が当たるのがまず嬉しいのです。ななが純那の奮闘を、過去形とはいえ眩しいと感じていたこと、描写からして8人の中でもやっぱり特別だと感じていたこと。アニメ版で偉人の名言から純那の口上に繋がったくだりがあったので、偉人の名言連発は否定されるのは当然の流れなのですが。自前の弓が使えなくなっても、それでも明らかに慣れない刀で何度も何度でも食らいつく姿、すげえわ。純那なら何度否定されても立ち上がって、トップスタァを手にするまで努力を重ねて踏ん張り続けられる、という説得力がすごいわ。今の自分は未熟で「己の星は見えずとも」、だからこそ誰よりもより良い先に進まんというパワーのある純那だからこそ、選択を行い先へと進むことへある種臆病になるななを前へ向かせることが出来るんだろうなあ。そして真矢クロである。真矢様は圧倒的な真矢様として、真矢を負かすクロディーヌは見たかったでしょ、うん。それはそうと悪魔のクロディーヌ、似合いすぎイケメンすぎか?????? 白vs黒でしたなあ。この2人、芸能的な生まれがはっきりしてるからこそ、逆にエピソードとしてのバックボーンが語られることがなかったのだけれど。真矢が、「舞台女優」という、何でも演じ映せられる空っぽの器であろうとしたのは、どこまで本当なのかな。真矢の、ラスボスとしての役回り(ひかりvs華恋を真EDに向けた裏ボス戦とするなら、真矢がラスボス枠っぽい)とそれに適うだけの風格を見ると、というかアクトの映像見ちゃうと、説得力があってそんな気がしてきてしまうのだけれど。まあ勿論クロディーヌが指摘するように、空っぽな訳がない、思いを沢山詰め込んだただの少女であるのですが。

まあ総じて、やっぱり。いわゆる赤く光る東京タワーという「過去の約束」が描いた道から脱して、ここからは舞台に、恐怖も引っ括めて本気で「舞台に」向き合い、歪でも自分なりに描いた道を行こう、という話なのでしょう。うむ。

その他の感想。

先生、格好いいよなあ。時に厳しいながらも、生徒の意思を尊重する。愛を感じます。意思を尊重したうえで厳しいのですが、そこに愛がある(ひかりを追って無断外出した華恋、そして2人を庇った全員引っ括めて、朝になって全員帰ってきて大団円になったタイミングで全てを見抜いていたと明かし、扱きという形で落とし前をつける)。純那の名言台詞をちゃんと分かって応対するのもいいし。厳しくとも「諦めたらそこで試合終了ですよ」を、先生側ではなく生徒側から導くような関係性なんだな、双葉と先生。いいな。

気になったのは、スタァライト、舞台だからこそ、アニメ版からして「で、実際どうなったん?」の疑問が湧いてしまうことがあって。映画だと皆殺しのレヴューの時に、9人がまだ見学の場に辿り着いていないという描写が挟まっていて、舞台としては皆殺しのレヴューなんだけど、あれは現実世界では普通に到着が若干遅くなってしまっただけで、あの後ちゃんと見学は出来てますよね?(出来てなかったら可哀想すぎる……)

劇中の「遥かなるエルドラド」好きです。関係性とか。セリフとか。いい。実在……しないんだろうなあ。電車広告がだいぶ凝っていた。これも一つ一つ意味があるのだろうなあ。ワルキューレの騎行はちょうどFGOのオフェリアの漫画(フロムロストベルト)をきっかけに聴いていたのでタイムリーでした。運転中にあれ聞いたら盛り上がりすぎるわ。劇中での意味はまだ分からない。

トマトは、血の色や飛沫と重ね合わせられる(過去の自分を「殺す」ことのメタファーになり得る素材である)と共に、食べられる点で、キリン=トマト=その舞台の観客こそ舞台少女の燃料である、の重ね合わせである、とだけで解釈の処理をしています。

泣いたのは101回聖翔祭決起集会の、雨宮さんが泣き出すシーン。雨宮さん、堅物! という感じだったのが、あそこまで弱々しく泣き出すとは思わなかったし、眞井さんがあそこまで強くフォローするとも思わなかったし、ああ100回を更に超えた本当によい聖翔祭へ向けて、9人以外も奮闘してるんだな、と。アニメから思ってたんですけどモブの描写多いですよね(ななのループのきっかけの1つに名有りとはいえモブがある、ってなかなかすごい)。留まるものは朽ち果てる、そんな台本の後に、モブが演じたいと言いその場で台詞に励む。塔を作り、運び、照らす舞台創造科がいる。9人だけが舞台少女じゃないんですよね。あと雨宮さんの台本のタイミングでようやく「本当に100回はハッピーエンドで終わる台本になってたんだな」とも思いました。その飛躍が99回(というか恐らく代々のスタァライト)から100回で出来たなら、そりゃ101回はなかなか書けないわ。いやだからこそ、最後の聖翔祭という予告だったからこそ、101回聖翔祭がどうなったかは知りたかったなー……。

あとはエンドロール。前述のように「で、結局現実ではどうなったの?」となってしまったりするので、どう考えても話がまるくまとまってるのにてんで「じゃあ皆の進路はどうなったの?」が見えてこないので、これを描くのが特別映像なのかな……? とすら思ってました。そこまで鬼じゃなかった。エンドロールで音楽が流れて、皆が思い思いの進路に進んでいって(双葉、受かって良かったね……!)(純那となな、進路…変わってたよね?)、ああ、卒業しちゃったんだなあ……! と痛感して、込み上げてくるものがありました。でもこれは寂しさもあるけど、寂しいなんて言ったら彼女たちに失礼で、「でもきっと彼女たちなら自分たちの道を切り開いていける」の信頼の見送りでもあるんですよね。これは沼です、沼ですわ

レヴュースタァライトというコンテンツが、どのように展開されているのか、私はちゃんとは知らなくて。いや舞台と並行してますー、ゲームもありますー、というのは知ってるんですけど。99期生の一年生時を描いた物語があったりとか、舞台でどうやら99期生の後輩を描いているらしいのも知ってるのですが。これからレヴュースタァライトという作品が続いていくにあたって、どう描いていくのか気になります。確かにここは沼で、沼にハマったら最後手を出せるコンテンツが広い沼なのも見えてるんですけど、これが「聖翔音楽学園での三年間」を描くコンテンツなのか。99期生のその後をも追いかけるコンテンツなのか、それが気になります。

自分が教育畑、それも「実地で立って教える」タイプの教育畑にいて、それはまさしく、当人たちが望む未来へ向かえるよう、時に厳しく時に意思を尊重しながら愛をもってサポートし、そしてその当人たちがあるタイミングで卒業していき、その先は勿論顔見せに来てくれることもあるけれど、それよりは幾度となく、ある世代の子どもたちの数年間の面倒を見ては、その先の未来のために巣立たせていく職なんですよね。つまりは「未来に向けて巣立つまでの数年間を支え見守る」職。そして、巣立って最初に降り立った先が、当人が望む場であれ一番には望まなかった場であれ、その先はまだまだ続いていくし、最初に降り立った先が望ましかったからといってその先も順風満帆とは限らないし、望ましくなかったからといってそこで終わってしまうとも限らない。それは短い人生ながら知っています。

だからこそ、レヴュースタァライトというコンテンツの見せ場としてレヴューがある以上、そしてそれだけ燃え上がる情熱があるのは、若さがあり何もなさ何者でもなさがある学生のうちが多い(とされる)以上、恐らく中心として描かれるのは学園での時間にはなるだろうとは思うんですけど。でもそれだけに留まらないコンテンツであって欲しいなあ、ここまで「キャラクターが生きている」を描いたのだから。そう思います。

そしてなにより、励まされた私自身、期待を受けて、努力し、どこかから巣立った身だからこそ。そしてキラメキをなくし、「死に」、次の舞台を模索している最中であるからこそ。です。

そして最後の感想。2時間45分を舐めていました。どうせ息を呑んで見守るだろう、瞬き一つ惜しくなるだろうから、さっさとホットドッグは食べていたのですが(値段相応の味ではなかったな……)、まあ息を呑んで見守った結果、如何せんジュースを残していて。しかもストローが刺さった紙コップなんて持ち帰りにくいの権化で、でも残したくないので、特別映像で無理くりに飲んでいたら、思ったより特別映像が長く、めちゃくちゃお手洗いに行きたくなりました。まず初っ端で「三次元に引き戻すな……!」になった後、感想聞きながら「分かる分かるWWO」に落ち着いてきた後、最後の1人1人まとめを述べるところがいやほんと長くって。職場で「会議で求められた感想コメントは、最後に誰が締めるか、その人がちゃんと締めのコメントを言い切るのにどれだけかかるかを考え、そこを限られた会議時間の中でピークの盛り上がりにするために、序盤に当てられた場合はコメントを手短に控えめにしろ」と言われたことがあって、それを思い返しました。自分(コメントまとまらないしここはチャンスと身構えて良いこと言おうとしてまとまらなくなるタイプ)を思い出すわ。長い…長いわ……やべえな………いやでもせっかく課金して特別映像見てる訳だしここでお手洗いに抜け出すのは違うよな……と耐えてました。膀胱破裂しなくてよかった。いやほんと、2時間45分を舐めてました……。映画が濃密だし、進路相談に華恋の回想に決起集会にとレヴュー外も積み重なるし、レヴューを幾つも重ねてその度の前振りも長いし、さらにそのうえで本題の華恋とひかりにようやく入ったし、しかもメタファーとか意味とか考えて細部までできる限り目を凝らして観ていたので、正直映画で2時間40分いってる気がしたんですよ、体感(本当は2時間)。特別映像が30分以上あるとは知らんかった。

6.夜の池袋

この前、チームラボサウナに行ったんですよ。サウナで「ととのって」最高の状態でアートを見る。それと同じ感じになりました。

夜の池袋があんなに美しかったとは、今までの曇っていた目では気が付かなかった。街の白く輝く灯り。カフェのある通りで、円形のベンチに座って語らう男女。文字を象る遠くのネオン。映像に殴られ殴られ這い出た夜の池袋は、フィクションに揺さぶられまっさらになった目で見つめた夜の池袋は、間違いなくとても美しかった。

ふと、この池袋もまた、舞台だよな、と思い出しました。「天気の子」。夜の池袋に燃え上がる、パトカーだったか何かの炎。最初、劇場版予告を見た時、砂漠の向こうに見える(恐らく)星摘みの塔を、豊島清掃工場の塔(「天気の子」に印象的に出てくる)だと感じた自分が居たからこそ、出てきた重ね合わせかもしれないけれど。

私たちは今も、舞台の上。

1度きりの舞台なら、思うように。

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