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危険体験の限界

子供の時って、好奇心旺盛ですから、なんにでも興味を持って「触る」「なめる」「突っ込む」行動をしてしまいます。見守る親は、ハラハラのし通しという緊張の時間を過ごすわけですが、そういった時間を過ごすことによって、注意を受けて「これはやっちゃダメ」「これはダイジョブ」と体験を増やしていくわけですが、体験で済まないで一発アウトとなるとことは重大です。

熱湯は危険ですが多少熱いくらいは問題はありません。例えば、やかんは見た目は熱いの冷たいのか見た目ではわかりません。親が平気でやかんに水を入れているのに、湯気が立っていると注意しているなんて、子供には分かりません。

同じように、目に見ないものはどうやって経験して危険かどうかを覚えていったか、そのシーンを記憶してらっしゃいますか。特に電気なんて、結構、危険を教えるのは難しいとは思いませんか。

自分の場合は、コンセントからプラグを抜いていた時、まだ非力な頃だったので、少しプラグが抜けてコンセントとの間に隙間ができていたところに、指をねじ込んでプラグを強く握った瞬間、ビリッと来たわけです。

まだ、指が細かったので感電してしまったわけですが、大人になってしまった現在は、その隙間に指を突っ込もうにもプラグの金属部分に触れる前に、プラグは抜けてしまいます。

大人になってしまうと、こういったことは自然に経験してきたことさえ覚えていません。
中学の工作の時間にラジオを作っていた時のこと、配線をしている最中に誤って電源に触れてしまって、結構痛い目に遭った生徒がいました。
ところが、もう一人がその友達の痛がっているの見ていて、あろうことかラジオペンチの先をコンセントに突っ込んだんです。

結果はえらいことに、なりました。彼は、ラジオペンチを持っていない方の左手で、組立途中のラジオのシャシーに手を置いていたのです。
学校での工作ですから、安全に配慮して、シャシーにはアース線が付けられていました。この場合はそれが仇になって、もろに電流が右手から左手に流れてしまったわけです。

教諭は真っ蒼になって駆け寄りましたが、幸い何事もなく、ペンチも瞬間的に放り上げたので、結果的には極めて短時間の通電で済んだので、大事には至りませんでした。

後で、生徒に教諭が問いただすと、今まで感電した経験はなくて、感電して痛がった友人を見て好奇心だけで行動してしまったとのこと。

後日譚:その時のラジオペンチは、彼がショックからの馬鹿時から放り上げたものですから、どこに行ってしまったのか、見つかりませんでしたが、ある時、工作室の高い天井の照明を取り換えることになって、業者が天井裏に張り付いてみたら、そこにラジオペンチが突き刺さっていたのです。

この話を聞いてぞっとしました。もし、天井ではなく、周りにいた生徒の誰かに当たってしまっていたら………。
きっと、教諭もほっと胸を撫で下りたことでしょう。


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