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【エッセイ】パソコンの先生か、オタクなのか、クリエイターか、アーティストか

僕は、自分のことをクリエイターだと思っている。
レベルの高低や他人から見たときにどう思われるかはさておき、僕はCGクリエイターであり、映像クリエイターであり、時にはデザイナーであり、カメラマンであり、ギタリストである。
いわゆる商業クリエイターでもあるので、仕事ではお客様のリクエストに可能な限りお答えした製作を心がけており、自分の作風や得意な表現を最大限活かすこともあれば、最大限殺すこともある。

自分の作品を作る際にはアーティストでもある。その時に自分の考えたこと、感じたこと、何かしらのきっかけから何かを作ることが多い。それは時にはただの練習であったり研究であったりもするし、時には何かに突き動かされたように勢いで作ることもある。じっくりと考え込んできたコンセプトの先に作ったものもあれば、情熱に突き動かされてダッシュで作ることもある。

自分の持っている知識や技術を誰かに共有すること、あるいは伝授することもある。そんなとき、僕は先生である。自分の作ってきたものについて知りたいと思ってもらえることは嬉しいし、僕もまたそれを伝えることで、もしかしたら新しい視点を得ることができるかもしれないし、同時に新しい視点を与えているかもしれないという、何かプラスのサイクルが生まれる感じがとても好きだ。

作品を作るための環境を構築している時、あるいは自分の好きなコンテンツをただただ享受している時、僕はオタクであると感じる。
パソコンの構成や機材の選定・ギターのエフェクターやマンガ・アニメ・映画・音楽etc・・・こういった好きなものに触れているときは僕は一人のオタクとして、好きなものや欲しい物や気になっているものにどっぷりと浸かっている。

要するに、自分は
クリエイターであり、アーティストであり、先生であり、オタクなのだ。
というか、言い方を変えるなら
僕を構成している大きなカテゴリがその4つだ、と言えるのかもしれない。

ただ反面、時々このカテゴリが自分の中で喧嘩を起こす。
「何がクリエイターだ。ソフトが使えるから言われたものを作ってるだけじゃないか。」
「何がアーティストだ。ただ自分がぱっとひらめいたものを作ってるだけで、別にアート分野で何かをしているわけじゃないだろう」
「何が先生だ。研究成果を発表するような大それたことをしているわけでもないだろう。」
「何がオタクだ。皆が見ているあの作品も見ていないし、知識量だって大したことないじゃないか。」
とまあこんな具合に自分の中で喧嘩が起きてしまい結局自分は一体なんなのだろう・・・と考え込んで落ち込んでしまうことが時々ある。

一応、自分の中で明確な優先順位があって
僕は
クリエイター>アーティスト>オタク>先生
なのだ。
なので、その比率配分がうまくいってないな・・・と感じるときに自分の中のカテゴリ喧嘩が起きている。

誤解の無いように伝えておくと、決して
クリエイターがアーティストより偉いとかすごいとか
オタクのほうが先生よりもすごいとか
そういうことではなく、あくまでも僕の中での僕の立ち位置の順序の希望がそうなっている、というだけなのだ。
我ながら面倒くさいことを考えているというか、面倒くさい性格だなと思うのだけど、やっぱり対外的に僕を見たときにそうであってほしいといつも思っている。
その配分がズレていたり間違っているときに、あるいは自分の認識と外から見たときの認識がズレているときに、結構苦しいな、と思う。
同時に、なぜズレてしまうんだろう?と思ったので少しそのあたりを考えてみた。

僕に限らず、色々なことをしていると
周りから見た時にこういう感じで見られていると思う。

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要するに、ある人にとっての僕はクリエイターで、ある人にとってはアーティストで、ある人にとっては先生で、ある人にとってはオタクで、かつさらにその中で細かいカテゴライズがされている、円形の見え方だと思う。

しかし、何かタイミング的なものでどこかに偏ってしまった時に
自分の意識している優先順位に見えなくなってしまうことがある。

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この時、僕の視点からはすごく直線的というか、自分の気持ちの認知としてこういうふうに見えてしまう。

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こう考えるととても苦しい、違うのに!と声を上げても完全に直線的な構図が僕の中で出来上がってしまっているのである。
さて、こうなってくると最悪である、誰も思っていないというか
勝手に僕の中ではこんな漢字の最悪のパターンに陥ってるわけだ。

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で、どうしてこういうことになってしまうのかと色々考えてみたのだけど
結局のところ原因、というかなんというか
この悩みは「これまで積み上げてきたものが伸びてきてグラグラしてる」状態なのかもなと思った。
これまで経験してきた様々なこと、クリエイター部分もアーティスト部分も先生部分もオタク部分も他の様々な部分も全部ひっくるめて、積み木のようにブロックとして積み重なってきて
まだ低いうちは安定していたものが、年々高く高く積まれてきてしまって今グラグラとしている状態なのだろうなと考えた。

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経験は年々いずれのジャンルでも大きなものが増えていき、大きなものは上には向かっていけるけど、安定させるのが難しいものも増えていく、といったような
そういうイメージになってくるのかなと思った。

その結果、グラグラ揺れてる足元の上で、さて自分は一体なんなのだろう、これからどうしていくのだろう、自分はどう見られたいのだろう、とバランスを取りながら悩んでいる状態に陥ってるのかもなと思ったのだ。

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時代はどんどん変わっていくので、いわゆる安定型の土台を作り上げることだけが正解ではないと思うし、色々な見られ方があってもいいと思う、反面、世代の教育もあって、自分はこうでありたい!と強く感じている部分もある。
そのバランスを取るのが難しい世代に差し掛かっているんだなと思うようになってきた。
ただ、僕はこれらの土台を一度全部ブチ壊してまっさらなところからはじめたい、とまで思わないし
かといってこの土台を引き続きグラグラさせたままにしておきたくもない。

もしできることなら土台の脆いところ、弱いところを補強しつつ、あたらしい土台をさらに上に組んでいけるようにして
いつでも多角的な見られ方をされている人間でいたいなと思った。

あまりオチのないエッセイというか、とりとめもないシリーズだけど
最近の悩みを僕なりに整理するつもりで書いたので、ここまで読んでいただけた方がいたら、僕という人間を構成するものが何なのかが伝わればうれしいなと思うし、同時に今思い悩んでいる部分を温かい目で見守っていただければ幸いだと思う。


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