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人間国宝

いま、あなたの心の中には、どの様な音楽が流れていますか。
 
ワタシは以前の投稿でも、演芸が好きで、特に落語には思い入れがあるとお伝えしました。
落語界には”人間国宝“と言われる方が過去に3人いらっしゃいます。
ワタシの記憶しているところでは、1995年に柳家小さん師匠が、1996年に桂米朝師匠が人間国宝になられています。
小さん師匠は、2002年に亡くなられ、そのお弟子さんの柳家小三治師匠が2014年に人間国宝になられます。
米朝師匠は、2015年に89歳で亡くなりました。小三治師匠も2021年10月に81歳で亡くなられています。
それ以降、落語家の人間国宝はいなくなってしまいました。
ただ、今年7月に文化審議会が重要無形文化財の保持者(いわゆる「人間国宝」)に、五街道雲助師匠を含む12名を認定するよう永岡桂子文部科学大臣に答申したことにより、落語界の人間国宝が復活しました。

ちなみに人間国宝とは、日本の文化財保護法第71条第2項に基づき同国の文部科学大臣が指定した重要無形文化財の保持者として各個認定された人物のことを言うそうです。法律には「人間国宝」という言葉はないそうです。いわゆる、通称というものです。

さて、人間国宝の五街道雲助師匠ですが、先の3人の人間国宝とは違い<亭号>が珍しいものとなっています。
ここで、雲助師匠の経歴をお伝えすることは憚られますので、この五街道という亭号について調べてみました。
まず、人間国宝の五街道雲助師匠は、六代目となります。ちなみに雲助師匠は、1968年に十代目金原亭馬生に入門し、その際に「駒七」という前座名を名乗ります。1972年に二ツ目に昇進し、五街道雲助となります。さらに1981年に真打に昇進されます。以来、ず~っと五街道雲助を名乗られています。
で、この<五街道>です。
まぁ五街道といえば、江戸時代の日本橋を起点に、東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道のことを指しますね。これを亭号としたのは面白いですが、さらに<雲助>ですが、不思議な名前ですね。雲助は、江戸時代に、宿場や街道において荷物運搬や川渡し、駕籠かきに携わった人足のことを指すそうです。蜘蛛助と書くこともあるそうです。

落語の噺のなかに「蜘蛛籠」というのがあります。
その内容は、街道で客待ちをしている雲助(駕籠かき)、相方が新米で気が利かないため、この駕籠だけが客が捕まらない。夕暮れ時になり、ようやく上客を乗せることに成功するのですが、実は客は二人で乗っていて、やたらと重いのですが、客の二人が相撲の話しを始め、終いには駕籠の中で取っ組み合いを始めてしまい、駕籠の底が抜けてしまいます。腹を立てた雲助の二人が文句を言うと客の二人が自分たちも担いで歩くので宿場までやってくれと言いだし、四人で担ぐという不思議な駕籠が街道を行くことになり、これを見た供が「おとっつぁん、へんな駕籠が来たよ!駕籠屋の足が四本、かごの中から足が四本。あの駕籠なに?」と訊くと、「あれが本当のクモ駕籠だ」とサゲになります。
 
この噺があってなのか、五街道雲助があっての「蜘蛛籠」なのか分かりませんが、五街道を亭号にした、落語家はこの方だけになります。ちなみに雲助師匠のお弟子さんには、三代目桃月庵白酒師匠、四代目隅田川馬石師匠、三代目蜃気楼龍玉師匠など、亭号では師弟関係が分からない方が多いですね。
 
本日の1曲は、スティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)の「I Just Called to Say I Love You」です。
言わずと知れた名曲なんですが、邦題があったんですね「心の愛」だそうです。

本日は、ここまで。お付き合いいただき、有難うございました。

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