御子柴輝彦

「そういう訳でねぇ、テルさん。どうにか20万工面してもらえんだろうか」

「水臭いこと言うんじゃないよ。こういう時は助け合いだ。明日までに用意しておくからまた来なさい」

「テルさん、またパチンコに負けてしまってねぇ。米を少し分けて貰えんかい」

「もういい加減パチンコは止めなさい。家族も心配するだろう。ほら、米と採ったばかりのじゃがいもだ」

「テルさん、こないだ借りた金だがねぇ、もう少し待ってもらえんか?」

「な~に、そんなもんはいつでも良い。気にするな」

「うちの犬がまた子供を産んでしまってねェ。一匹でも良い、貰ってくれないかい?」

「勿論だ。家にはもう何匹もペットが居るからね。一匹増えた所で何も変わらないよ」

 妻に先立たれ、独り身となった私の元にはよくこういう相談が舞い込んだ。子供に恵まれなかった私達は仕事にあけくれ、金だけは少し贅沢しても困らない額があった。親切で「そんな簡単にお金を貸しちゃダメだよ」「ああいう奴らは返してこないよ」と言ってくれる人も居たが、別に何か恩返しして貰おうとか思っている訳じゃあ無い。むしろこんなのは半分以上返ってこないだろう。返ってきたらもうけもの。その程度で良いのだ。この行為によって、誰かが助かっているのだから。

「しかし私ももう八十か……この子達のことを考えておかんとなぁ」

部屋を見渡すと人から託されたペット達が目につく。犬や猫から、鑑賞魚や亀まで居る。避妊・去勢手術は終えた子達ばかりだが、貰い手には当てが無い。この年齢ではいつ自分がどうにかなってもおかしくない。そろそろ本格的に、譲り先を考えなくてはならなかった。

「さて、散歩でも行くか」

犬三匹を連れ、外に出る。今日は良い天気だ。いつもの公園にも人の姿が多い。

「おや?」

ふと、泣き腫らした顔でベンチに座る中学生くらいの男の子に目が留まった。その脇には大型の老犬が佇んでいる。

「どうしたんだい。そんな顔をして」

性分で声をかけると、男の子はこちらを一瞥してから悲しそうな顔をし、老犬に視線を落とした。

「引っ越すことになって、マンション暮らしになるからこいつは連れていけないって言うんです。老犬だから貰ってくれる人も居なくて。このままじゃ……」

ジワリと男の子の目に涙が浮かんだ。「くぅん」と寂しげな声で鳴きながら、老犬が男の子の足に頭を擦りつける。お互いがお互いを本気で想い合っているのが伝わってきた。

「……よし、その子は私が預かろう」

そう提案すると、男の子は勢いよく立ち上がって目を見開いて私を見てきた。

「ほ、本当ですか?」

「あぁ、老い先短い人生だから子犬だと躊躇われるがな。老犬なら、お互いの余生を支え合いながら生きて行けるだろう。幸い金にも困ってないのでな」

「ありがとうございます、ありがとうございます……!」

いよいよ大粒の涙を流しながら、彼は私の手を取った。何時間ここでこうしていたのか、冷たく冷え切った手だった。

「一度私の家に来ると良い。その方が君も安心だろう」

そう言って家に招いた彼は、うちのペット達を見て安堵したのか表情を和らげた。

「凄いや。友達が沢山出来るな」

男の子に撫でられると、老犬は嬉しそうにパタパタと尻尾を振った。

「この子『ジロー』って言うんです。家にあるこの子の持ち物は後で送らせて貰います。本当に、ありがとうございます」

男の子は最後にキッチリと頭を下げて帰って行った。ジローは彼を追いかけようとせず、彼の背中が見えなくなるまでずっと座っていた。

「お前は賢い子だな、ジロー」

それから半年程過ぎた頃、家には私とジロー二人だけになった。他のペットは幸い皆貰い手が見つかったが、ジローだけはやはりどうにもならなかった。

「お前と二人の余生も、静かで良いものだな。最近テレビでは物騒な事件ばかりで嫌になってしまうよ」

「くぅん」

ジローはそれから三年も生きた。冷たくなったジローを見送って男の子にその旨を伝える手紙を出した時、「そろそろ私も、良いかな」とそんな言葉が口からもれた。

 ふと目を覚ますと、真っ暗な密室の中に一人でいた。起き上がろうとして拘束されていることに気付く。思い当たる節はあった。最近ニュースで良く見る犯罪集団……。老若男女構わず監禁し、その人間の年収が寄付されないと殺すという……。そうか、私のような老い先短い人間ですらその対象になるのか。年収、というと私の場合年金になるのだろう。そんな高額ではないし、今まで工面した金が返ってくればどうにでもなる金額だが、ほっといても近いうちに死ぬ人間にその額を払う人は……まずいないだろう。むしろ返す必要が無くなって喜ばれるかもしれない。

「帰っても、一人ぼっちだしなぁ……」

一人さびしくあの家で生きていくのも飽きた、もう良いじゃないか。頭に浮かぶのはそんな言葉ばかりだった。

「ここは寒いなぁ……」

暫くして、自分が入れられているのは冷凍庫だということに気付いた。それも、どんどん温度が下がっている気がする。このままここに居ては、誰に手を下されずともやがて死ぬだろう。なるほど、こういうやり方なのか。体がガクガクと震え、意識が朦朧として来る。体の芯まで凍てつくようだ。一体どうしてこんな酷いことが出来るんだろう。あとどれ位の時間があるのか知らないが、死の恐怖と隣り合わせ、助かったとしても一生トラウマになるようなこんな酷いことを……。もう良い、と思っていたはずなのに、いざ直面する死はどうしようもなく恐ろしい物だった。もしかしたら誰か助けてくれるんじゃないか。今まで何人も、何十人も助けて来たじゃないか。誰か、何人か位恩を返してくれるのでは……。淡い期待を抱いたまま、途方もない時間が過ぎた。寒さのせいか、余計時間が長く感じるようだ。

「眠いなぁ、ジロー……」

そう呟いて目を閉じた。次目が覚める時には、またジローに会えるかもしれない。

 目を覚ましたのは真っ白な部屋だった。だが所謂”天国”でないのは一瞬で分かった。腕に刺さった点滴、脈を計測するテレビのような機械、そしてカーテン。

「病院……?」

私は、助かったのか?手元にあったナースコールを押すと、すぐに何人かの看護婦と警察官が部屋に入ってきた。まず看護婦に容体の確認をされ、警察に幾つか質問をされる。何が起こったのかは覚えていたが、そこに至るまでの過程、犯人の特徴など、有益な情報は何も与えられなかった。看護婦には後何日か入院して容体を見ましょうと言われ、警察はまた来ますと出て行った。

「貴方は助けられた。日ごろの行いが良かったのですね」

警察に言われた言葉だ。そうだ、私は誰かに助けられたのだ。誰かが私を助けてくれた。一体、誰だろう。

 数日後、無事退院出来ることになった私は家に帰った。家には次々に知人が押しかけてきて、「心配した」「体調はどうか」と声をかけてくれた。しかし「振り込んでくれたのか?」と聞くと、皆歯切れの悪い答えしかしなかった。悶々とした日々が続いた。

 ある日、匿名の手紙が届いた。手紙には『あの日の出会いに感謝しています』とだけ書かれていた。差出人が誰なのか、明確に特定することは出来ないが「どこかの誰かに助けられた」。その事実だけで十分な気がした。

 人を助けても返って来るとは限らない。いやむしろ、八割は返ってこないだろう。それでも私達は誰かに助けられて生きている。私はそれに感謝しながら、死ぬまで誰かを助けて生きて行こうと思うのだ……。


御子柴輝彦 解放額192万 最終金額200万 解放。

購入&サポート頂いた費用はコミュニティ運営費用となります。