葉山涼

親父が大嫌いだ。頑固者で、子供なんて自分の言うことを聞いて当たり前だと思っている親父が。

家には母親が居なかった。俺が小学生に上がる頃死んでしまった。俺と、生まれたばかりの妹の咲を抱きかかえて四人で撮った家族写真が母の最期の写真だった。父は仕事ばかりの人で、休みの日ですら家に居なかった。母の医療費で借金が嵩んだらしく、仕事ばかりの割に家は貧しかった。

高校に上がると、俺はバイトに明け暮れた。高校は家から一番近い商業高校で、高校卒業後は直ぐに働くつもりでいた。五つ年下の妹には貧しい思いをさせたくなかったし、大学にも行って欲しかったからだ。中学に上がると制服やら何やら金がかかる。男の俺のお下がりではあまりにも可哀想だ。

「涼、ちょっとこっちに来なさい」

 ある日のバイト帰り、どっかりと腰を据えた親父が俺を呼んだ。無視しても面倒くさいので仕方なく近くに座る。

「何?」

「高校から連絡がきた。お前、高校行ってないのか」

「たまに行ってる」

「たまにってどういうことだ。お前、誰が授業料払ってると思ってるんだ?」

「……じゃあ高校辞めるよ。働く」

「お前何を言ってるんだ」

「うち金無いんだろ? じゃあ良いよ。俺高校辞める。今やってるバイト先社員募集してるんだ。頼めば多分雇ってくれる」

「ふざけるな! そんなんで今の世の中やっていけると思っているのか!」

「じゃあどうしろって言うんだよ! 知ってるか? 咲今小学校で虐められてんだぞ! いつも同じ服ばっかり、それも俺のお下がりばっかり着てるから!」

ドンっと机を叩きながら怒鳴る。咲の話が出てくると思わなかったのか、親父は急に態度を変えて、隣の部屋からこちらを窺っていた咲に顔を向けた。

「本当か? 咲」

「いいの、咲平気だよ。意地悪な子も何人かいるけど、友達はもっといっぱいいるよ。今はお兄ちゃんが沢山お洋服買ってくれて、友達にも『可愛い』って言って貰えるの。だからね、お兄ちゃんももう良いんだよ?」

一番年下の咲に気を使われて、俺も親父も黙り込む。みっともない。図体のデカい男二人が小学生に気を使わせるなんて。

「……とにかく、高校には行きなさい。咲のことは俺がどうにかする。来週末、久しぶりに皆で買い物にでも行こうか」

親父がそう言うと、咲は満面の笑みを浮かべてピョンピョンとジャンプした。三人で出掛けるなんて、ここ二・三年していなかったかもしれない。咲の笑顔を見ていたら俺もさっきまでの怒り何てどっかに行ってしまって、フッと笑みが零れた。

「じゃあ今日はもう寝なさい。お前もだ」

咲の頭を撫でながら親父が言う。咲が寝室に戻っていくのを確認して親父は席を立った。きっと、和室にある母さんの仏壇に行くんだ。親父は何かあると必ず母さんの仏壇の前に行った。この家も、母さんの持ってた衣装やアクセサリーも、母さんに関わる物を親父は一つも手放そうとはしなかった。

「ごめんな、咲。やっぱ買い物いけそうにない」

 翌週、親父はそう言いだした。咲は一瞬泣きそうな顔をしたがすぐ貼り付けたような笑顔を作り「いいの。また今度行こうね」と言った。もう限界だった。自分の中で何かの線が切れ、親父の胸倉を掴み上げる。

「いつもそうだな! 家族のことほったらかしで、どの面下げて親父面してんだよ! お前!」

「お前に何が分かる! 子供のくせに、大人の苦労も知らないで一丁前な口を利くな!」

ガンっと頬に鋭い痛みが走った。殴られたのだ。口の中が切れ、血の味が滲む。咲の泣き声が聞こえた。

「……お前なんて死んじまえ! クソ親父!」

溢れそうになる涙を堪えながらその場を駆け出し部屋に戻る。一人になると、ジワーッと涙が溢れてきた。気晴らしにスマホを開く。ここの所どのニュースサイトでも「Should I save it?」のことで大騒ぎだった。人を見境なく攫って監禁し、その人の年収と同じ額が集まらなければ容赦なく殺す犯罪集団……。

「親父がこいつらに捕まればな……」

何気ない一言が現実となるのは三日後のことだった。

「涼君、電話だよ。小学校の先生だって」

「……? はい、ありがとうございます」

バイト先にかかってきたのは妹の担任の先生からの電話だった。家庭訪問なんかでも俺が話していたから面識はある。妹に何かあったのかと緊張しながら受話器を取ると、予想外の言葉が告げられる。

「涼君今『Should I save it?』のページ見れる? 新しい被害者が、涼君のお父さんそっくりなの」

緊張してやや震えた先生の声が冗談では無いことを感じさせた。スマホで『Should I save it?』のページを開く。そこに映っていたのは……。

「親父……」

間違いなかった。すぐに店長に事情を伝えバイトを上がらせて貰い、警察に連絡する。既に被害者が出ているためか、警察は真摯に対応してくれた。話を聞きたいと言われたので、妹の小学校を指定して妹を迎えに行った。職員室に駆け込むと、緊迫した空気が俺を迎えた。在学生の親族が誘拐された、つまり犯人が近辺に居たという事実を重く受け止め、今日は急遽午後休暇・集団下校となったらしい。咲は担任の先生のすぐ側で、目を腫らして眠っていた。

「映像は見せていないんだけど、咲ちゃん賢い子だから……色々分かっちゃったみたいで」

「すみません、ありがとうございます。あと勝手に警察の人とここ待ち合わせにしちゃって、すみません」

「良いのよ。貴方達を二人で家に帰す方が危ないもの。とりあえず、暫くはここに居て」

先生のパソコンでは今も親父が写されていた。殆ど明りの無い密室。親父意外に人影も無い。画面に示された時間は……あと20時間。振り込まなければならない金額は、ざっくり800万だ。

「必ず助けましょう。今連絡網で全校生徒の親に事態を説明しているわ。もちろん私も協力する。大丈夫よ。この小学校だけで、何百人の生徒とその家族がいるんだから」

先生に励まされながら、俺はどこかボーっとその画面を見つめていた。俺は、助けたいのか? この親父を? ずっと死んで欲しいと思っていたじゃないか。むしろ、こいつらに捕まれば良いとすら思ってた。それが現実になったんだぞ。喜ぶくらいじゃないのか?

「先生、ちょっと咲のことお願いして良い?」

「えっ、涼君? ちょっと待って、どこに行くの!?」

無我夢中で走って家まで帰った。玄関に靴を脱ぎ捨てて、まっすぐに母さんの仏壇へと向かう。親父と喧嘩するようになってから、何となくこの部屋を避けていた。母さんのこの優しい笑顔を見るのが辛くて。

「……母さん、俺、どうすれば良いのかな」

いつの間にかボロボロと涙が零れていた。声を上げて咽び泣く。頭がボーっとして、涙が出なくなるまで泣いた。ふと、埃ひとつない仏壇に目が留まる。親父か咲か、毎日綺麗にしているのだろう。何気なく備え付けの引き出しを開けた。ここに何が入っているのか、全く知らなかったから。

「……なんだよ、これ」

そこに入っていたのは溢れるほどの咲と俺の写真だった。最近の写真もある。咲の運動会や、応援する俺の写真。裏面には親父の字で日付と簡単な説明が書かれていた。

「来てたんだ、親父……」

枯れたと思った涙がまた溢れてくる。一枚一枚出していくと、底に二つの通帳が入っていた。俺と咲の名前の通帳だ。それぞれ300万円ずつ入っている。『二十歳になった子供たちへ』と母さんのメッセージもあった。

「母さん……」

いつの間にか迷いは消えていて、通帳を持って立ち上がる。そこでようやく、先生から絶え間なく着信が来ていたことに気付いた。

『涼君!? どこにいるの!? 警察の方が見えたわよ!!』

「……先生」

『……なぁに?』

「俺のバイト代合わせても、お金、足りなくて……100万円貸して貰えませんか……?」

『……うん、大丈夫。それ位の貯金はあるわ』

「ありがとう、ありがとうございます……」

『良いのよ。さぁ、早く帰ってきて。お礼の言葉は、お父さんを助けてからでも遅くないでしょう?』

学校に行くと、先生はすでに振り込みを済ませてくれていた。示された金額は600万。残り時間は15時間……。ネットで口座内の金を全て電子マネーに変えて、指定のアドレスに入金する。

振り込みを済ませるとやや時間をおいて現在の金額が更新された。

解放額800万 現在800万

「手続きが完了した! 被害者がどこかで解放されるはずだ! 至急保護せよ! 犯人の足取りも見落とすな!」

解放額を満たしても親父の映像にはまったく変化がなくカウントダウンは何事もなくただただ進む。

800万じゃだめなのか?それ以上払わなきゃいけないのか?これじゃダメなのか?何か間違っているのか?タイムリミットまでの残り時間、俺たちは解放されることを願ってただ待つことしかできなかった。

父親を無事保護したと伝えられたのはタイムリミットを過ぎた翌日のことだった。親父は目立った外傷は無く意識もはっきりしていたが、念のため病院に搬送されていた。警察に送って貰い病院に行くと、親父は一日で大分やつれたようだった。暫く沈黙が続いた後、親父は「迷惑かけたなぁ」と一言呟いた。また涙が零れてきて、俺は母が死んで以来、父にしがみついて泣いた。親父も、俺と咲を抱きしめながら泣いていた。

「俺やっぱ高校は卒業するよ。先生に怒られた。利子はいらないから、言うこと聞けだってさ」

「そうかぁ。何から何までお世話になりっぱなしだなぁ」

「うん。あのさ、親父ももっと休めよ。お金はどうにかなるよ、多分」

「そうだな……そうしよう」

退院して帰り道、眠っている咲を背負いながら帰る親父とそんな話をした。お金は失ったが、もしかしたらもっと大切なものが手に入ったのかもしれない。

葉山涼 解放額800万 最終金額800万 解放

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