清水圭介

少年は、笑った。

カーテンを閉め切った薄暗い部屋のなかで、次第に大声で笑い、踊り、ベッドの上でぴょんぴょんと跳ねて喜んだ。PC画面から発せられる青白い光が、舞い散るホコリをキラキラと浮かび上がらせた。それはまるで神の祝福であるかのようにとてもきれいで、ともすればこの画面に映し出された光景も、当然として神に感謝しなければならないのだと、少年は生まれて初めて神に感謝したのだった。

PC画面の向こうで、監禁されて泣き面を歪ませる“Should I save it?”の新たな犠牲者は、紛れもなく、少年のクラスメイト、清水圭介(14)であり、そしてそれは、紛れもなく少年を不登校に追いやり、自殺をも考えさせた張本人だった。頭のなかから片時も離れることのないその不快極まる清水の顔は、不鮮明な映像にも関わらず瞬時に彼だと理解するには十分過ぎるほど、少年のなかでは鮮明であった。

 少年は、抑えきれない喜びと興奮のなか、再び画面のなかの清水を見つめた。すでに数名の被害者が実際に出ているこの監禁映像配信サイト“Should I save it?”の信憑性は実証済みだった。

この画面の向こうで、清水は確実に死ぬのだ。タイムリミットはあと10時間。解放金額は1300万。まだ1円も入金されていないことに、少年は吹きだして笑った。

「お前に1円の価値もあるもんか」

刻々と進むカウントダウンを見つめながら、少年は今までに清水から受けた数々の屈辱を思い出していた――

 少年の毎日の給食は、清水から渡されていた。カエルの死骸や、泥が入ったスープ、床に落として靴で踏みつけた唐揚げや、尿のかかったサラダ。一見、何の変哲もない料理には、

理科室の薬品が入っていることが多かった。少年に差し出しながら、「今日も特別メニューね」と清水は笑った。

 少年の毎月のお小遣いは、その全額、新しい靴を買うために遣われた。何度も何度も、清水に隠され、捨てられ、再び買っては再び捨てられた。お小遣いが間に合わず、裸足で学校から帰る道中、もはや感覚すらなくなったボロボロの足を見つめながら、少年は心の底から清水を憎んだ。寒い冬のことだった。

 少年は、手首を切って自殺を図った日から学校に行くのをやめた。学級委員長だった清水は、不登校になった少年の家に足繁く通った。「これ、授業のノートです」と少年の母に渡し、さぞ心配しているかのような表情で帰って行く。「清水君、本当にいい子ね、また学校行けるようにがんばんなきゃね」と、清水から受け取ったノートをよこす少年の母は、ノートいっぱいに“死ね”の2文字が並んでいることを知らない――

 清水のタイムリミットはあと8時間と少し。あと8時間、あと8時間で清水が死ぬところを見れる・・・少年は、清水からいじめを受けてきた2年間よりも、この8時間の方が圧倒的に長く、もどかしく感じるのだった。

 と、インターホンが鳴り、少年の母がバタバタと玄関に向かう音が聞こえた。

「あら、清水さん、どうなさったの?」

清水というフレーズに、少年はざわめきを感じながら微かに部屋のドアを開け、訪問者の様子を伺った。

「実は、昨日からうちの子が帰ってなくて。『部活の朝練があるから』って朝早く出たんですけどね、『不登校の子の家に寄って帰るから帰りも遅くなる』って言ってたから、何かご存知ないかと思いまして」

清水の母は、淡々と、心配しているというよりどちらかというと冷静とも取れる口調で話した。

「まあ、それは大変。昨日は私、ずっと家にいましたけど来ませんでしたよ?警察にはもう?」

「いえ、警察に言ってどこかで遊んでましたなんてことだったら恥ずかしいでしょ?だから、まずは思い当たるところに。ごめんなさいね、お忙しいところ」

 少年は、PCを振り返った。清水があと8時間後に死ぬことを、家族は知らない。これだけ世間で、ネット上で騒がれているにも関わらず、当の家族は知らないのだ。

「でも、やっぱり心配でしょう。何もなかったらなかったで良いんですから、警察には行った方が良いんじゃないかしら。学校からは何か?」

「それが、あの子昨日も学校行ってないみたいで。学校からも無断欠席になってるって連絡があったものですから。事を大きくしたくなくて、風邪で休んでますってことにしてますの。ほら、あの子学級委員だし、家にも帰らず遊んでる不良みたいな子だなんて思われても、ねえ?」

「そうかしら…。それにしても心配ねぇ」

「まあ、今日ゆっくり主人と話してみて、明日まで戻らなかったら警察に行ってみます。まだ1日ですし、ひょっこり今日にでも帰ってくるかもしれませんし。ごめんなさい急に」

そこまで聞いて、少年はゆっくりと気づかれないようにドアを閉めた。

(ひょっこりなんて帰ってくるわけない)

少年は言わなかった。

むしろ、そう心のなかで嘲笑った。

ぎぃぃと鈍い音を立てるドアが、少年の心の片隅に残っていた、ほんの少しのちっぽけな後ろめたさを、いとも簡単にすり潰した。

 少年は、届かない助けを必死に叫ぶ清水の姿を見ながら、マンガを読み、ゲームをし、お菓子を頬張った。清水が死ぬまでの「暇つぶし」は、何を講じても楽しかった。あと4時間後、彼がこの世を去ったあとの世界は、きっと、何をするにも楽しいに違いない。また学校に行くのもいいだろう。

そうだ、最近の学校はどんな感じだろうか?少年は、画面を埋め尽くす監禁被害者たちのウインドウを最小に、清水の悲痛な顔のみを残し、隣に新たにウィンドウを開き、自らの中学校のホームページを開いた。様々な行事、活動写真が掲載されているなかに、数枚、清水の姿もあった。カメラに向かって楽しそうに笑う清水の顔と、その隣のウインドウの中でもがき苦しむ清水の顔が並んで、少年は再び声をあげて笑った。

「世の中は理不尽なんだ」

そう言って少年を痛めつけた清水の言葉は間違っていなかったと、少年は笑わずにはいられなかった。

少年は、ふと生徒たちが書き込む掲示板を開いた。

と、ほんの数分前の書き込みに思わず息を呑んだ。

“『Should I save it?に出てるの、圭介じゃね?』PM3:28名前なし”

少年は、無意識のうちにキーボードを叩いていた。

“『違うと思うよ。圭介くんじゃないよ』PM3:34名前なし”

少年の書き込みが反映されるや否や、一気にたくさんの書き込みが流れていく。

“『え、これほんとに清水じゃん?あいつ学校来てないし』”

“『やばいって絶対清水くんだよ。誰か先生に言った?』”

“『言ったら授業中にケータイいじってたのバレるだろ。清水って決めつけてるけど、違ったら怒られ損。あいつの親が風邪って言ってたらしいよ?』”

“『そんなこと言ってる場合か?これほんとに清水だぜ』”

“『じゃお前が言えバーカ』”

「やめろよ・・・先生に言ったらバレるだろう・・・清水は死ぬんだよ・・・あいつは死ぬんだよ!余計なことするなぁぁ!くっそぉぉぉぉぉぉ!」

清水はあと3時間とちょっとで死ぬ。あと3時間。少年は真っ暗な部屋のなかで狂ったように叫んだ。

“『昨日、街中で清水くん見かけたよ。これ別人!』”

“『映像不鮮明だから似てるように見えるだけじゃない?』”

“『ケータイ没収されるリスク考えると、黙ってた方が賢い』”

少年は必死にキーボードを叩いた。清水は死ぬんだ。死ななきゃいけない人間なんだ。神様が罰を与えてくれたんだ。死んで当然の人間なんだ――

しかし、少年の静かなる叫びは、無情にも届かなかった。

“『今、先生に言ったら先生ダッシュでどっか行った。2年4組自習決定。みんな俺の勇気を称えろ』”

“『もうすぐ授業終わりじゃん。どうせなら朝イチ見つけとけよ役立たず(笑)』”

“『すぐに家と警察に連絡入るでしょ。あいつん家金持ちだから1300万くらいすぐだよ』”

“『よかったあ♡清水くん早く戻ってくるといいなあ』

“『けど、1300万って大金じゃん。すぐ用意できんの?』”

“『大丈夫でしょあいつん家なら。今頃、もう母親がソッコーで入金してるとこじゃない?』”

少年は走り出していた。

最後に家から出たのは、いつだろう。

最後に走ったのは、いつだろう。

疾走する少年の手の中で、包丁が、鈍く鈍く、真っ赤な夕陽を受けて光った。

いつかの冬、ボロボロに傷ついた裸足で歩いた通学路を、少年はがむしゃらに走った。

少年は、また、裸足だった。


清水圭介 解放額1300万 最終金額0円 焼死により死亡。

同日17:30頃、清水夫婦殺害容疑にて神野豊現行犯逮捕。

神野豊という名の少年は、その日、ある意味での“Should I save it?”の被害者として、世間から少年Sと呼ばれることとなった。


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