赤松弘大

 目が覚めるとそこは見知らぬ部屋だった。

 いや、部屋というには少し無機質すぎるかもしれない。厚いコンクリートで囲まれた無骨な壁。この壁には窓は無く、天井から吊られた裸電球の明かりでかろうじて周囲を見渡すことができる程度だった。目に付くものは簡素なパイプ椅子と小汚いベッド。出入り口らしき扉は鉄製のようだが、見たところドアノブが付いていない。少し重たい体を無理やり起こし私は扉へ近づいてみることにした。

 扉のドアノブは元々の構造からして付いていないようだった。内側からでは開けられないようになっているのだろう。それはつまり人を閉じ込める為に作られた場所だということになる。

 いったい私の身に何が起きたというのか……。 

 自分の体に触れてみるがどうやら怪我はしていないようだ。着ているスーツは所々汚れてはいるが、破けたりといった感じもなくいつも仕事をしている格好のままだった。

 一旦落ち着こうと大きく深呼吸をしてみた。ひどく息苦しい。まとわりつく空気には湿度を強く感じる。ここは地下室なのかもしれない。私は誘拐されたのだろうか?……こんなことを落ち着いて考えているのもおかしな話だが、意外な程に頭の中は冷静だった。

 改めて辺りを見渡してみる。裸電球で照らされたこの監禁室はオレンジと影で彩られたセピアに染まり、まるで夢の中のようだと私には思えた。もしこれが夢だとしたら随分と趣味の悪い悪夢なのだが。

 「そういえば……」ふと、携帯電話を持っていたことを思い出し、背広の内ポケットから取り出すが圏外だった。だがそれも納得できた。こんな状況におかれているくらいなのだから圏外でもなければ携帯をそのままにしておいてくれるわけもない。それでも時間は確認することができた。

 現在の時刻は1月14日の午前9時。

 昨晩の事を思い出してみる。仕事始めから今までずっと業務に追われていた私は22時に仕事を終えた。普段はあまり飲みにいかないのだが、年始からの過酷な業務がひと段落した達成感も相まって、一緒に残って仕事をしていた後輩の三島を誘いひさしぶりに飲みに出た。会社の愚痴をつらつらと並び立てたり、昔は良かったと中年特有の懐古話をするだけの下らないものだったがそれなりに楽しかった。後輩も私もかなり飲んだのだが、日付が変わると共に店を後にした。

「そういえば今日はジェイソンデーっすね」

「なんだそれは?」

「知らないんすか?今日は13日の金曜日だからジェイソンデーなんですよ」

顔を真っ赤にした三島がくだらないうんちくを得意げに話したのを覚えている。

しばらくして手近なタクシーを捕まえると二人で乗り込こんだ。三島を先に家に送り届けたあと、今度はタクシーを私の住むマンションへと向かわせ帰った――筈だった。だが、ここで私の記憶は途絶えた。私はタクシーで寝てしまったのだろうか?……タクシーは降りたようなきもするが確信が持てない……。

 何にせよ日付が変わるまでは飲んでいたのだから、ここに連れてこられてからは半日も経っていないということになる。

 スーツは着たままだし、携帯電話も内ポケットに入れっぱなしなということはマンションに帰っていないように思えた。しかしもし誰かが私をここに監禁したのだとしたら、相手は誰でも良かったということなのだろうか?珍しく仕事帰りに後輩と飲みに行き、帰ったつもりが誘拐されているとは、今年の運気も相当に悪いのかもしれない。いや、良いのだろうか?

 そんな意味のない疑問を頭に浮かべつつ中央に置かれたパイプ椅子へと腰を落とした。 

 暫くその場であれこれ考えていたが、この状況を打破するような名案は浮かびそうにもなかった。それにしても、暗闇でこそないものの裸電球の光だけで照らされただけの部屋というのも不気味だ。特に天井の隅などは闇が濃く何か出てくるのではないかという錯覚に陥る。なるべく見ないようにしようと強く意識すればするほど、そんな気持ちとは裏腹に視線はそちらに向かっていく。嫌だと見たくないと思いつつとうとう視線が天井の隅へと移った。

「うっ」思わず喉がひくついた。天井の隅の暗闇に視線を移すとぼんやりと赤い光があることに気付いたのだ。一瞬、何か化物のようなものを想像したが、赤い光はとても小さく、そして一点から動くことなくジッとそこで光を放つだけだった。私はパイプ椅子から立ち上がると赤い光へと近付く。

 赤い光の正体は監視カメラだった。この監視カメラで私を監視しているとでもいうのだろうか。いったい何の目的で私はここに閉じ込められているというのか。考えれば考えるほどわけがわからなかった。たまたま誘拐されたのが私だったにしても、こんなところに閉じ込め、カメラで監視してどうしようというのか。ここで私が情けなく朽ち果てる姿を見たいのだろうか。それとも、私が泣き叫んで助けを乞う姿が見たいのだろうか?

 どちらにしても私はここに閉じ込めた犯人の思い通りになるのは嫌だという考えだけが強く導き出された。

 私は昔から変わり者と言われる。頑固で融通がきかない自覚はあるし、極端なものの考え方をする人間だということも理解している。絶対的に自分が正しいと信じきっている部分があるので、周りの考えに同調したり、誰かを慰めるというのも苦手だ。だが、常に前向きに、ただ前へと前進することだけを考えて生きているつもりだ。こういった状況に陥っても不安や恐怖を覚えないのはそういった部分から来ているのだろう。

 大きく深呼吸をする。そして自分の顔面を両手で挟むように強く叩いた。

「よし」と、気合を入れてからパイプ椅子を監視カメラの方へと向けてその上にあぐらを掻くように座る。

 私はただカメラを睨み続けた。意味などないのかもしれない。この状況における私の些細な抵抗だった。このまま助けが来なければ私はやがて死ぬだろうし、もしかしたら犯人が殺しに来るのかもしれない。だが、私はこの状況に屈しないし気持ちで負けはしないという意思を示したかった。

 意識が途切れたのは二日目の深夜だった。飲まず食わずでカメラを睨み続けたがとうとう心身の疲れは限界に達した。

 目が覚めるとそこは知らない場所だった。

 眩い光を弾く白いカーテン、清潔なベッド、薬品の匂い。すぐにここが病院だとわかった。

「先輩!」

 三島の声がする。

「弘大!よかった……よかった」

 泣き崩れる母と父。

 そうか私は助かったのか。

 後から今回の事件の経緯を聞いた。『should I save it?』と書かれた不思議なサイトに私が監禁されている姿が映っているのを三島が発見して両親に知らせてくれた。三島は最初はドッキリか何かの類だろうと思って見ていたらしいが、椅子に座ってジッとカメラを睨む男が私に似ていることが気になり、私に連絡を取ろうとしてくれたそうだ。だが一向に連絡は取れず、マンションに行っても私がいる気配がないことに異常を感じて警察と両親に連絡を入れてくれたらしい。あの暗い部屋でカメラに顔を向けていなかったらきっと私だとはわからなかっただろうと両親も警察も言っていた。

 身代金というべきなのだろうか。私を解放する為に必要な金額が画面には表示されていたそうなのだが。私の値段は九〇〇万だったそうだ。 

両親の貯金800万と、それでも足りなかった100万は三島が用意したと聞いた。

幸い私は浪費家ではなく、仕事だけに生きてきた人間なので両親と三島にはすぐにお金を返した。だが、両親の800万はまだ理解できるとしても三島の100万には驚いている。彼が100万もの大金を用意するのは大変だったはずだし、それをこんなわけのわからないサイトへ振り込むということも大変な決断を要したはずだからだ。

私にそれだけの価値があるのだろうか。もし立場が逆だったらなら、私は自身の財産を三島のために使ったのだろうか。

正直過去の私がどういう決断を下せたかは分からない。

だが今度からはもしも私の知る誰かがこのような目にあったなら、財産なぞ全てほっぽって助けようと思う。


赤松弘大 解放額900万円 最終金額900万円 解放。

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