誰のための家事なのか

みなさん お疲れ様です。

今日は
誰のための家事なのか
について話したいと思います。

正直な話、
私は家事と育児が得意です。
そして妻は家事が苦手です。

ではなぜ私が家事育児が得意なのかと言うのは
また別の機会に話をするとして、
各SNSでは旦那の家事育児への不満をつぶやきが頻繁にバズっていますね。

私はこれには関係が無いと思っていました。
なぜなら私は家事と育児ができるからです。

でも気がついたんです。
俺ばっかり家事やってね?

・脱ぎっぱなしの靴下
・一口だけ残った麦茶のボトル
・机に置かれたお菓子のゴミ
・排水管の髪の毛の処理

妻の置き土産を片付ける日々、
さながら妻は森の中で迷子にならない様に
ビスケットを砕いて、巻いていたヘンゼルとグレーテル状態。

家の中で落ちているものを拾っていくと妻の場所がわかります。

『うわー!
世の中の妻たちが旦那にブチギレている理由がわかるわ!
なんでいつも俺ばかりご飯を作って、掃除洗濯しとるんじゃい!
そんでたまにご飯を作ったからって「美味しい?」じゃねぇわ!子どもが腹すかせすぎてるわ!
そしてその残骸をどうにかしろ!
片付けが1番めんどくさいんじゃ!』

とまぁ、こんな風に流石に思いませんよ。
私も大人なので。

でも『あぁ。世の中の妻たちの気持ちがわかる
とは強く思いました。

じゃあ、この状況を打破するために
家事を分担だ💡
とはならないわけですね。

なぜなら分担してしまうとそこに責任が生まれてしまうからです。

どう言うことかと言うと、分担してしまうことで『家事をやらなかった』が明らかになってしまいます。

もし仮に妻が分担された家事をやらなかった場合、
靴下は、ゴミは、髪の毛は一生そこにあり続けるわけです。
そうなると私は妻に
家事をやって
と言わなくてはならなくなり、新たなストレスが発生します。

そして妻は悪気無く、やる事を忘れます。
どれぐらい忘れるかと言うと
ゴミ箱からゴミをまとめた後、新しいゴミ袋をゴミ箱につけるのを忘れるぐらいです。

もちろんお互い働いているので
家事育児の分担は平等が良いとは思います。
ただウサインボルトと小学生が平等だからと100m走を一緒に走るのは違うと思います。

やれる方が負担が大きくなってしまうのは仕方のない事です。

ただしかし
家事をやってあげている
という気持ちで家事をやるといつか必ず感情が爆発してしまうので、
私は『私のために家事をやる』様にしています。

どういうことかと言うと
誰かのためにやっている』と
そこには『感謝されたい』と言う気持ちが少なからず生まれます。

ただ家事をやることで恩恵を受けるのは
自分も含まれています。
自分が生活しやすい様に家事をする
と考える様になってからは
私は気楽に、楽しく家事ができる様になりました。

家事って楽しいのですが、やらされている感覚になると急に辛くなってしまうので、気楽に自分のためにやってみませんか?

#家事分担の気づき

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