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あれもこれも勉強しなきゃ!という気持ちが薄れてきた話

よくエンジニアの学び始めの頃にありがちな心情として「あれもこれも勉強しなきゃ!」というのがあるんじゃないかと思う。始めは分からないことだらけなので、日々の仕事だったりSNSとかであたかも全エンジニアの共通言語であるかのように知らない単語が飛び交う様を見、そして焦る。

それが純粋な好奇心からであればそのまま突き進んでくれという感じなのだが、強迫観念からそう感じてしまっていると精神衛生上よろしくない。よろしくない上に、あれもこれも勉強しようとすると、いろんなものを薄い理解で記事を読むだけになってしまって、結局大して進歩はせず、自己嫌悪と焦りのループに陥る。

私自身この感覚にはずっと捉われてきて、今でも度々感じているが、最近は比較的頻度が減ってきたので、どんなマインド面の変化があったかを振り返ってみた。

結論から言うと同じ心境にいる方には「焦らず、一度なにかを自力で作りきる」という体験をしてみてほしい、ということを伝えたい。

マインド面の話が多めなので役に立つかは分からないが、同じような心境の方の参考になれば幸いです。

実際に手を動かした経験がないと進歩できないと感じた

あれもこれも勉強しなきゃ症候群の忌まわしいところは"効率のいい"勉強方法を模索させるところだ。勉強すべき(と思い込んでいる)トピックが無数にあるので「効率よく勉強しなければ…!」という気にさせてくる。

ただ、"効率のいい"勉強法、そんなものはないと思っている。というかあるとは思うし、それはそれで研究する価値はあるのだが、そもそもあれもこれも勉強しなきゃ症候群に囚われている状態にいる時は質とか気にせるレベルに達しておらず、それ以前に量を積んで質に転化するタイミングまでやり抜く必要があると考えている。

もう少し具体的に言うと、大体の人は自らの経験なしに、他の人から抽象概念だけ与えられてもそれを使いこなせないということだ。例えば「仮想DOMの登場により状態とDOMの関係性を宣言的にかけるようになったんですよ!!」と言ってもDOMを直接操作してゴニョゴニョやる辛さを知っていないと、そのメリットがパッとは伝わらないだろう。ある概念やツールのメリットを理解して、自分の武器として使えるようになるには、その前提としての知識や経験がないと難しいことが多々ある。

だから〇〇を知っているだとかHowをいくら知っているとかはちっともエンジニアとしての価値を上げてはくれなくって(そういうのはGoogle先生で間に合ってる)、そもそもソフトウェア開発とはどういうもので、どんな課題があって、というようなトピックに対して自分なりの哲学を持ち、課題解決の手段の取捨選択ができる状態にならないといつまでたっても進歩はないのではないかと思う。

自分はとにかく量、というか「なにかを作る」ことを優先、理解できない技術トピックがあったらその技術が解決しようとしてるであろう課題領域を自分で解く機会を作る、という考え方にシフトしたらあまり「あれもこれも勉強しなきゃ!」とふわふわすることがなくなった。

なので、正直具体的なゴール設定は思いつかないのだが、まだまだ駆け出しという自覚があるのであれば、とにかく手を動かすことにフォーカスするのは悪くない選択だと思う。

ただ、質のいい量の積み方はあると思っていて、より粒度の大きい課題、難易度の高い課題の機会を取っていくのが大切だと思う。例えばサービス1個作りきる、とかはソフトウェア開発のほぼ全行程を体験できるので分かりやすくいい経験だろう。

学びたいことリストを作る

とは言え、情報社会な現代に生きる我々は日々生きているだけで情報が常に入ってきてしまうので「う…勉強しなきゃ…」という気持ちになることが多々ある。

そんな時は学びたいことリストを作って(私はScrapboxにひたすら入れてます)そこに、とりあえずジャンル分けとか一切せずに学びたいことリストにとりあえず単語でも記事のURLでもぶち込んでおく。そして忘れる。体感99%のものは振り返らないが気にしない。

これの目的は情報を集積してのちの勉強に役立てるためではない。頭から追い払うためである。例えばTwitterとかで眺めていて気になる記事を見かける。そうすると無意識でも「あれ勉強しないとなー」みたいな引っ掛かりが残る。そこでリストにとりあえず加えとけばなんかやった感が出て脳みそが少しスッキリする。ちなみにこの考え方はGTDにインスパイアされてる。

「え…そんなこと?」と思われたかもしれない。実際私はメンタル弱めの方なので、もしかしたら大半の人には意味がないかもしれないが頭がモヤモヤしている方は一回試してみてほしい。

あと一点補足したいのが意志があるのであればその場で学んでしまえばいい。別に学びに対して縛りプレイをしたい訳ではなく、プレッシャーからの非生産的な勉強を無くしたいだけであって、意志に蓋をする必要はない。

情熱はそのうち湧いてくる(可能性がある)

最後に、勉強勉強意識していると、情熱あふれるエンジニアたちを見て「ああ…この人たちは純粋に技術が好きでどんどん前に進んでいるんだろうな。こんな"勉強"って意識している自分じゃ敵いっこないな…。」とか落ち込んだり焦ったりすることもあるかもしれない。

最近こんな記事が話題になった。
「プライベートでは一切勉強したくない」と言っていた社員のこと - 株式会社アクシア

この記事の内容に対しては特に同意しかないのだが、Twitter眺めてると記事の同意意見として「完全に同意。できる人は勉強とすら思っていない。勉強と思ったら負け。」みたいなことを言っている人を少なからず見かけて「それはちょっと言い過ぎじゃない?」と感じたのでこれに対する意見を述べたい。

そもそも「負け」という概念がなんなのかよく分からないが、確かに事実としてそういった真に情熱を持っている人には成長率では相対的に劣ると思う。かける時間にも差が出るし、きっと学びの質というか、掘り下げ方にも差が出るだろう。ただ、じゃあ現在あまり情熱を持てていない人は頑張っても仕方ないのかと言われるとそんな訳はない。

情熱というのは何かをすれば湧いてくるようなものではなく、続けているうちに気づいたら湧いてくるものであろう。なので、まず今あるかないかとか気にしてもしょうがない。そもそもエンジニアに限らず自分がなにが好きでどんな仕事をしていきたいかなんてほぼ全ての人間が悩んでいることなので、そこはまっすぐ向き合う必要があると思う。

私個人の話をすると、現在は「フロントエンド楽しいし需要も伸びてるっぽいから2〜3年くらいはここでスペシャリストとして伸びて行こう^q^」という気持ちだが、始めからこうだったわけではない。

就職するときは実はエンジニアになることは考えていなかった。大学では「ゲーム作りたい^q^」という安直な理由でComputer Scienceを専攻し、そこで技術に情熱を持った若者たちを目の当たりにし「俺はこいつらみたいにはなれない…」と密かに挫折しエンジニア以外の道を目指した。そして最初の会社では面接時エンジニア職ではなくコンサルタント職を希望したのだが、大学で勉強してきたことがエンジニア過ぎたせいかいつの間にかエンジニア職として採用されていた(要するに半ば騙されたのだが、今となってはとても感謝している)。

初めは全然自信がなく黒い画面恐怖症を発症するレベルだった。社会人始めて1年ちょっとくらいは他の職種がいいんじゃないかと常に青い鳥探ししている状態だった。ただ入社した時期がタイミングよく、ちょうど新規サービス立ち上げの時期で、一つサービスを作り上げるという体験を経験し、それがブレークスルーになった。正直OSSとかでバリバリ活躍する人とはまだ距離を感じるが、大体のものはすでに頭のいい人たちが解決策を用意してくれているので、それをうまいことつなぎ合わせれば大抵のことは解決できると確信し、そこから技術が楽しくなった。

そこから焦りみたいなものは結構減ってきた気がする。多分エンジニアとしてやってく自信がなかったのが原因だったのではないかと思う。

多分最初から楽しい・情熱が持てるなんてことはそんなにない。ただ、絶対にそうなるとは保証できないが、続けていくうちに情熱が湧いてくることもある。とにかくいろんなことを試すという考え方もあると思うけど、続けなきゃ見えない世界もあると私個人の経験からはあると思っている。

他にやりたいことがあるならそれを頑張ってくれという感じだが、もしそうではなくって情熱がないことに対してコンプレックスを覚えているのであれば、一旦その感情はおいておいて何かを作りきることにフォーカスすることを検討してみてほしい。自分がエンジニアに向いているかどうかとか考えるのはそこまで頑張ってからでも遅くはないだろう。

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