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ボイチャに参加してみて感じたこと vol2

前回、こんな記事を書かせていただきました。今回はその続きです。

https://note.com/sfc88/n/ne1ad8095a1e1

この記事がnoteの気になるドラクエ10記事に紹介されました。
Hama様、ありがとうございます。

今日は前回記事を深掘りする回です。
今後はまず触りとなる記事を軽く紹介して、次に深く掘っていく記事を作りたいと思います。

今回は前回の良かったと思われる点を、本当にそれって良かった点なの?と切り込んでいき、プラスで余談、思うところを書いていきます。

深掘り記事では私の思うことをズバズバ書いていくので、記事を見る人の心が少しでも動いたら幸いです。



優しい人が多い

私の運が良かったのか、誘ってくれた知り合い以外にも優しい人が多かった印象です。私を迎えてくれるような雰囲気作りを感じました。

順序としては、部屋に招待していただいて、皆がそれぞれ自己紹介をする流れで、最後は私が自己紹介…という軽く挨拶する形でした。
いきなりオラついてくるような人や、質問攻めに合うこともあるかもしれませんが、そこは実際に入ってみるまでわかりません。
最初は優しいけど途中から豹変する人もいますし、言葉少なめだけど時間が経つにつれ警戒心を解いて打ち解ける人もいます。
この辺りは相性の問題もあるので、数あるボイチャ部屋を渡り歩いて、色んな景色を見比べてみるのもいいかもしれません。
相性というものは人の数だけ存在するので、自分に合った人と巡り合うには数をこなすのも大事です。


余談1 優しいとは?

優しいと一言で言っても、言葉の幅は広くて曖昧です。
優しいの尺度は人によって異なるのです。

喋り方がふんわりしていて優しい、労いの言葉をたくさんかけてくれるから優しい、相槌をたくさんうってくれるから優しい、自分が喋っている間は会話に割り込まずしっかり最後まで話を聞いてくれるから優しい、自分のペースに合わせてくるから優しい…様々です。

ボイスチャットは相手の顔を見て対面で話すのとは勝手が違うので、常に注意もついて回ります。
相手の素性が声しかわからない上、表情も見えないので、喋りも優しさも偽ることが可能なのです。
最初は上記のような見かけだけの優しさを悪用して、気づいたら相手のペースに持ち込まれていた!なんてことはよくある常套手段のひとつです。

自分にとって優しいとは一体何なのか。
世間一般で認識されている優しいと、自身が思う優しいの違いは?
聞き心地の良い言葉なのか、刺激を与えてくれる言葉なのか。相手の行動、行為なのか。はたまたその人が醸し出す空気なのか環境なのか。
これを機会に、優しいという目に見えないものに対して、自分自身のアンテナと結び付けて熟考してみるのもいいかもしれません。



居心地はそこそこ良い

好きなゲーム趣味の人と会話しているせいか、次第にその場に馴染んでくるので居心地もよかったです。

これは部屋を立ててくれている人(ルームリーダーとか呼んだりする)が、しっかりルール等を設けているかで変わってきます。

例えば、部屋に参加したら必ず最初は挨拶をする、相手に伝わるように明るく喋る、汚い言葉を使わない、人を不快にするような言動や雰囲気を作らない…様々です。
当たり前のことではありますが、これらが当たり前でない人がチラホラ見かけるのも事実です。


余談2 居心地の良さはルールや参加者で決まる

ルール…などと聞くと、アレルギーが出る人もいるかもしれませんが、もしそうなら考えを改めた方がよいでしょう。そういう人は場を荒らすだけ荒らした後は、食い扶持がなくなるといつの間にか消えています。夜逃げ状態です。こういう人はコミュニティに属するのは向いていません。
逆なんです。ルールを設けないといけないくらい、今までが荒れていたということになります。自分よがりな発言ばかり、「自分が自分が!」 という人は、どこへ行っても煙たがられます。めちゃめちゃ嫌われるんです。
「ルールが俺に合わせろ!」なんていう人は、コミュニティを作る側に回りましょう。

ボイチャに参加するのであれば自分も当事者です。
相手の土俵に立つ。少しでも相手の立場になって考えてみる。この場合であればルームリーダーの人ですね。自分がルームリーダーの気持ちになって、何故この人はこんなにルールを設けているのか?
逆にルールを設けていない部屋があれば何故なのか?
一考してみると見えてくるものがあるでしょう。


余談3 居心地の良い場所を作るには自分も当事者意識を持つこと

居心地の良い環境作りというものは、参加者全員に委ねられています。
一人一人がどこかで線引きして、自分はただの参加者だから関係ない…という受け身の人が多ければ多いほど、場は次第に荒れていきます。

コミュニティ運営というものは難しいです。一筋縄ではいきません。
一言で言うとめちゃくちゃ面倒くさいです。
時間がかかるし、手間もかかるし、途中で投げ出したくなるしで、普通は避けたがります。
あーでもない、こーでもないと言いながら、歩いても歩いても頂上の見えない山をひたすら目指すようなものです。
しかし、面倒くさいものには大抵の場合、価値が付きます。むしろ面倒くさいものにしか、価値はついてきません。
大多数がやりたがらないから、あるといいな、便利だな、楽しいな、安心するな、という物や環境を作り出すことができれば、次第に人から認識され、ありがたがられます。
しかし、一人でやっていると何度も心が折れそうになるし、心細くなる辛い日々の連続です。
そこに一人でも寄り添う人が存在するだけで、励みと自信になるのです。
一人一人が真剣に向き合うようになってくれば、そのコミュニティの質は更に厚みを増していくと私は思います。



会話が尽きない

ゲームのネタがなくなってくると、誰かが別の話題を振ってくれるので、会話も尽きない感じでした。
ゲームの話であったり、リアルの話であったり…様々です。
もし、リアルに触れられたくない人は事前に申し出ておくか、そういう話題が出たら、一歩も二歩も引いて、自分からはあまりベラベラ喋らないような雰囲気を醸し出しておきましょう。


余談4 会話が尽きないように思えて…これって本当に会話なの?

実際の会話の様子を見てみると、年代が若い人(20~30代)ほど相手に話を振るのが苦手なのかなと感じました。
例えば、X(旧Twitter)につぶやくような感じで1人が「今日はあんま調子よくないなぁ」とか「今日まじで熱っぽい…」とか「腹減ったなぁ」とか…。
このような誰かの発言に対して、誰かが一言二言で反応する…という感じでした。

この様子を見て率直な感想は、これって皆で声版X(旧Twitter)でもやっているのかな? という錯覚に何度か陥りました。すごくまどろっこしいんです。

最終的にはこちらが聞き手となり、相手をリードしているような会話が多かったです。
いや…これは果たして会話なのだろうか…?という疑問が度々よぎりました。


余談5 皆が皆、受動であることに慣れ過ぎた結果?

起承転結がない。誰かが何かに対して具体や主体性を持って話を振る、広げる、企画する、腹落ちする…そういったものがないんです。
全体的に覇気がないというか、ワクワクがない。皆が皆、何かの話題に対して自分は我関せずというか他人事のような物言い。
周囲への目を気にしすぎていたり、何かをする前に失敗した時はどうしようとか、もしもの時は責任取れるのかな?傷つきたくないし、傷つけたくない…
そんな今考えても仕方のないことを、ずっとウジウジとしている空気。
傷の舐め合いを助長する空間というか、どこか遠く離れた離島にでもいるような…ものすごく時間の流れを遅く感じました。

とにかく自分の意見をハッキリ言えるような土台が、人も環境も両方で整っていないんだなと感じました。
これは失敗への極度の恐れがあったり、周囲が失敗に不寛容だったり、様々なものが原因だったりするのですが、それはまた別の機会に書ければと思います。

良く言えば、このような空間でも日本人の国民性のような、周りに合わせる、結束を固める、調和を育む、という文化が上手く作用しているとも言えます。
悪く言えば、古き悪き日本の同調という文化が、ネットの閉ざされた空間で若い世代にまで影響を及ぼしており、身動きが取りづらい状況になっているのも感じ取りました。



様々な情報が集まってくる

人の集まるコミュニティだったので、自ずと情報も集まってきます。ゲームの話から、各プレイヤーの誰々がどうしたとか…様々です。噂話とか人の動向等が気になる人には向いているかもしれません。

ゲームの攻略情報に関しては意外と知らない事も多いので、こういったコミュニティに属しておくと有用な情報が降りてくることは多々あります。

しかし、個人的にはどうでもいいような内容が多かったのも事実です。
どこどこのドラクエ10配信者が何を言ったとか、誰々が配信中に何をコメントしたとか、誰々が前の配信では暴れたから次の配信には来てなかったよねとか…

そのコミュニティに在籍する皆が全てそうとは言いませんが、人の動向が気になりすぎている人が少なくないことに驚きを受けました。
常に周囲の監視でもしているの?どこぞの僻地の村社会?…ものすごく窮屈な気持ちになりました。


余談6 秘密なんてものは公にするな!墓場まで持っていけ!

若い世代のみならず、SNS上で個人情報を晒したり、何事も隠し事なくオープンにしていたりする人がいますが、これに対して違和感を感じます。

人には誰にも言いたくないことや、オープンにしたくない情報なんて山ほどあります。
人から秘密を明かされる、共有されるという行為は、相手があなたという人格を信用して行う重要な行為です。それを不特定多数の目が届く所へ大っぴらに公開するという事は、晒した相手だけではなく、同時に自身の価値も地に落とす行為そのもの。勿論、全てがそういうケースばかりとは言いませんが。
人に秘密を話すという行為に気持ちよさが伴うのは理解できますが、何もかもすべてオープンにしてしまうと、ただの軽い人と認識されて周囲から距離を置かれるのは明白です。
人に言えない秘密や情報を享受したら、勢いに身を任せて行動するのではなく、墓場まで持って逝くぐらいの心意気で寿命を全うしてほしいものです。

人間はいつの時代も場所や環境を問わず、他人の動向やゴシップが好物でどうしようもない生き物なんだなと。
私も気を抜くとそっち側に引っ張られそうになるので気をつけないといけないと、改めて痛感した次第であります。

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