転生ブロッコリー

昨日の夜は母親の帰りが遅くて私が料理担当だったので、頼まれていたグラタンを作った。
自分で自分の家のことを褒めるのはなんとなく気が引けるけれど、うちのグラタンは牛乳と小麦粉(最近は米粉)でベシャメルソースを練るところから作るのでかなり旨い。
コツさえ押さえればものすごく簡単なので、レシピも気が向いたら載せていきたいと思う。

で、完成したものがこちら。

ブロッコリーときのこ、鶏肉、マカロニが入っている。味も勿論ばっちり。


しかし作り終えた後、ある重大なミスを犯していたことに気づいた。



グラタンの器をオーブンに入れるため持ち上げると、調理台の隅に茹でるときに鍋に入れそびれたブロッコリーの房が一つ、ゴロッところがっていた。

こんなに大きな房がおちてるのを見落とすなんて。
今週岩出山の道の駅で買った、でかくて立派なブロッコリー。
他のブロッコリーの房は茹でられてグラタンの具材になったのに、一つだけはぐれてしまったブロッコリー。

このまま捨てられてしまうのだろうか…?

最近話題になっている食品ロスの問題やエシカル消費の重要性について考えることが多かったのに、それなのにこんなヘマをしでかすとはなんということか。
グラタン作りがひと段落して一転、急な罪悪感に苛まれた。

そうしてなんとなく心の隅にわだかまりを抱えたまま眠りにつき(ブロッコリーの因果か知らないけど、「新入社員研修で殴る蹴るのリンチに遭いボコボコにされる」という悪夢を見たので目覚めは最悪だった※実際はそんなに雰囲気荒んでいません)、気が進まないままバイトに行き、夜中に帰ってくると母親がご飯を準備してくれていた。
それだけでありがたいことだけど、今日の味噌汁の中には、油揚げやニンジンに混じって、昨日のはぐれブロッコリーが小さく刻まれて入っていた。
ブロッコリーは捨てられることなく味噌汁の具に転生していたのだ。
よかった。
ブロッコリーだけでなく、私まで救われた気持ちになった。
と同時に半端なブロッコリーを捨てずに次の日の味噌汁の具材にしてしまう母親に対して「この人の子供でよかったな」と、ほんの少し思った。
ブロッコリーごときで大げさな、と思う人もいるかも知れない。
でもそんな小さなことがきっかけで人生を顧みたり、哲学にふけったりもできるわけで、そういう点で人間ってやっぱりいいなぁと思うわけです。人生何がきっかけになるかなんて分からないしね。

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