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【読了記録】今月読んだ本 ~24年2,3月編~

体調不良で遅れました。2ヶ月分まとめて書きます。


スティーブン・ウィット著 関美和訳『誰が音楽をタダにした?』

 音楽をスマホで聴くようになって久しい。私が子供の頃はMDやCDで音楽を聴くのがまだまだ一般的だったが、今ではCDをわざわざ買う人も減ってきている。この音楽の聴き方はここ20年で大きく変化したが、その変化をもたらした因子に何があったのかはあまり知られていない。本書では3つの視点で音楽産業を「殺した」犯人を追っている。

 1つ目は音楽データを圧縮する規格である「MP3」。機械に疎い人でもなんとなく聞いたことがあるかもしれない。現在は規格として確立されているが、開発当初は企業に全く相手にされなかった過去を持つ。そんなMP3を開発した技術者たちの視点が第一である。MP3を知ってもらうためにあの手この手で策を講じるが、その中の1つが大きな社会問題を誘発してしまうことになる。
 2つ目は発売前CDから音源をリークする集団、いわゆる海賊版を生み出す人々である。流出元は様々だがここで登場しているのは全米最大級のCD工場の従業員である。頑丈なセキュリティの突破法についての記述も中々興味深かったが、何が彼をそこまで駆り立てたかについても注目である。
 最後の視点はレコード会社の敏腕CEO。インターネットおよびファイル共有の普及により、CDの売上が徐々に低迷していった90年代。如何に会社の利益を守るかについて考えたCEOが行き着いたのは、広告収入モデルという従来とは異なるビジネスモデルだった。CDを売る必要がなくなったが、違法なファイル共有を止めさせることが急務だった。
 この3つの視点で音楽産業の変遷が綴られてる。著者の綿密な取材と巧みな筆により複雑に絡み合った事象がスルスルと入ってきた。

 思えば私が幼少期の頃にはMP3は既にあったので、現在のようなサブスクが主流でCDよりもレコードが売れる時代になるのは必然だったのかもしれない。古くはレコード自体も「音楽を保存できる」ということが革命だった。音楽は「生」でしか存在せず、常に酒場やクラブではバンド演奏が求められていた。それが今では保存は当たり前で、音楽は時間・場所を問わずスマホから楽しめる。それを支える技術がMP3などの音楽のデータ圧縮などのテクノロジーであり、テクノロジーの発展と音楽文化は切り離せられないものであると改めて感じさせられた。
 聴き方とは少し異なるが、少し思うことがあるので追記する。今を代表するテクノロジーといえばAI技術だと大抵の人は挙げるはず。前述の通り、音楽はテクノロジーの影響を受けやすいものである。それこそビートルズが新譜を出すためにAIを活用する時代で(それをAIで60年代当時のビートルズ風にリメイクする人もいるから面白い)、まだ誰も聴いたことのない様々なアーティストの曲もこれから沢山生まれるだろう。

 著作権とのしがらみもあるが、個人的には記録的な音源(ビートルズであればヒットする直前のハンブルク公演の音源)をAIの力でリマスターして欲しいと思う所存である。2023年に発売された赤盤でもAIを使った音源分離が利用されているらしい。AIの可能性は無限大である。
 閑話休題、このようにAIによって「作り方」は変わってきていると思うが、「聴き方」については何か変わっているのだろうか。門外漢なため予測は難しいが、おそらく専門家でも新技術を予見することは難しいだろう。これから音楽はどう変わるのか、誰にもわからない。

今尾恵介『地図記号のひみつ』

 皆さんは地図を見ているだろうか。スマホのGoogle Mapで目的地までの経路を示したり、近所の評判の良い飲食店、口コミや写真から良さそうな病院を探したりが大凡の使い方かもしれない。そして紙の地図を買う人はごく少数派だと思う。登山を嗜む人は地形図を見るために買っているイメージがあるが実際どうなんだろうか。
 あまり意識しないが、元来地図から地形や構造物を把握することは「読む」と表現される。しかし現代日本において、地図を「読む」という人を少なくとも私の周囲では聞かない。表現としては「見る」「眺める」を使うことが多い。私もその一人である。思えば「読む」という表現を使うのは少し不思議な気もするが、納得できる面もある。地図に記載された情報、地図記号や等高線、構造物を示す図形などから、その土地を理解・推測することを「読む」と表現したと考えれば腑に落ちる。「読み解く」と言い換えても差し支えないはずである。
 実際「読む」という表現を使わなくなったことも、今の地図を見ればその理由も推察できる。今の地図には地図記号は少なく、スマホからなら航空写真で地形の把握は簡単にでき、タップすることで詳細が表示される。そのため「読む」までに至る情報も少なく、地図記号がほとんど必要とされなくなった。そんな消えゆく地図記号に焦点を当て紹介しているのが本書である。

 本書では地図研究家である著者が明治期から令和までの地図に記載された各種地図記号について解説している。温泉、神社などマニアックな記号から、学校、鉄道、塀などよく見かける記号にかけて広く紹介している。後半の身近な記号になるにつれて尻上がりに面白くなった印象である。
 特に興味深かった点は現在の地図は国土地理院が作成しているが、戦前は陸軍管轄の組織が作成していたことである。戦前は本土での戦闘に備える意味で地図に情報を詰め込む必要があった。そのため市街戦で自軍が優位に行軍できるよう塀の材質ごとに記号を割り振り、田んぼの記号にも乾田、水田、沼田の3種類が存在した。そのため昔の地図記号は現在の価値観では多すぎるほどに地図記号が乱立していた。時代が進むに連れて記号の統廃合が進み、現在では紙の地図自体が風前の灯火である。
 本書で知ったことだが、最新の地図では工場や桑畑の記号は廃止されたそうである。要するに私が小学生の社会で習った記号は使われなくなったのである。少し寂しい思いもあるが、地図の電子化が進む昨今。より加速度を増して消えていくのではないかとも感じる。近年では風車(風力発電)や自然災害伝承碑の記号が追加されたが消えゆく記号も多い現実もある。地図自体は無くならないはずだが、今とは違う「読み方」になるとも思った。

 私がよく見ているYoutubeチャンネル『有隣堂しか知らない世界』で地図を扱った回がある。 

 書店での売上も大きく落ちているという表現も出てきているが、注目したいのは現在の紙の地図はあるテーマにクローズアップして売り出していることである。上掲の動画では「非常時の避難先」「鉄道路線」など種々のテーマに焦点を当てた地図が登場しているが、非常に興味深かった。何かと付加価値を求められる時代ならではとも思うが、こうした地図の生き残り方もあるとも思う。スマホでは通信障害時に見られないという大きな問題もあり、紙の地図のメリットは当面は無くならないだろう。それに地図が存在する限り地図記号も必要とされるはずである。

コーディー・キャシディー著、梶山あゆみ訳『人類の歴史をつくった17の大発見』

 世の中には発明で溢れている。たった今この文字を打ち込んでいるキーボードもPCへのインターフェースとして非常に重要な発明であり、Qwerty配列も誰かが考案したものである(種々のキー配列が生み出され淘汰された歴史でもある)。これらをもっと遡っていき衣服を作った人、車輪を生み出した人。これらの発明者にスポットライトを当てた本である。

 衣服・弓矢などは先史時代の発明であり、発明者の名は当然残されていない。しかし、誰かがこれらを発明したことは紛れもない事実である。最新研究によりその発明者がどのような人物で、どういった生活を送っていたかは割り出されつつある。当然、考古学的資料に基づくものなので限界はあるが、私の予想を超えた内容も多い。
 例を挙げたい。第5章では「はじめて名画を描いた人」をテーマにしているが、壁画の描き方に統一性がありつつも描かれた年代に違いがあることが明らかになっている。このことから描かれた当時に美術学校の様に描き方を指南するシステムがあったことが示唆されている。筆跡鑑定と同様のプロファイリングだが、描かれた年代という考古学的な視点も合わさり非常に興味深い結論に至っている。単純に発明を追うだけでもここまで奥深いものかと、考察力に感服するばかりである。

 科学的考証もしっかり行いつつ、考古学、生物学などのあらゆる学問の視点から切り出された良書だった。著者コーディー・キャシディーは他にも『とんでもない死に方の科学』というこれまた切り口の良い著作があるためこちらもオススメしたい。

瀬川拓郎『アイヌ学入門』

 アイヌ文化について少しは知っておくべきと思い、買ったまま積んでいた本である。結論から言うと入門書とは思えないほどの情報量でこのあとに読んだ『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』の方がよっぽど入門書チックだった。通読して感じたがこの本ではアイヌ文化と他文化の関わりに基軸を置いていた印象である。
 
 著者も語っているが「アイヌ=縄文時代の暮らし」を持つ方が多いという。恥ずかしながら自分もその一人で、解像度としては狩猟採集社会が基本で、いわゆる続縄文時代の暮らしをしていると思っていた。しかし、事実は全く異なる。時代によって変化はあるが、鉄器を使い、農業を行い、大陸とも交易していたことが明らかになっている。また、アイヌも樺太アイヌや北千鳥アイヌなど地域差があり、それぞれの地域でも交易を行っている。ここまででも私の思っていた印象と大きく異なっており、自分の考えがステレオタイプで誤っていたことを痛感した。
 更に驚きなのは古くは本州にもアイヌが南下していたことが示唆されているのだが、一説としてアイヌ語で川を表す「ナイ」と「ペツ」が東北地方に集中していることが挙げられていることだ。北海道にはアイヌ語由来の地名が非常に多いが、東北地方にも存在していたのは知らなかった。

 アイヌ語の変化、交易のあれこれ、祭祀に見る日本からの影響など多角的な視点で語られているが、これらに共通する項目こそが「他文化との関わり」だと感じる。先にも述べたが、アイヌ文化は交易を広く行っており、周辺文化の特産品を入手し活用していた。何も交易品に限った話ではなく良いと感じた文化はどんどん取り入れていたのである。北センチネル島など閉鎖的な文化であれば、他所の文化は排斥する傾向にあるが、アイヌ文化は決してそういったことはしなかった。周辺文化の迎合出来るものを取り込み、発展した文化なのである。

 アイヌ文化は現代では消滅の危機にあることはこのnoteを読んでいる皆さんも御存知の通りであろう。私も勿論そのことは理解していたが、読了して私はアイヌ文化を全く知らなかったことを痛感した。正しく文化を知る手段として本書は非常に有用であった。また、トリビア的な意味でも面白い本だった。

中川裕『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』

 本書を読むにあたり、読んだ本が入門書以上のボリュームで結果的にこちらの方が入門書のような内容だった。著者は「ゴールデンカムイ」アイヌ語監修の中川裕さん。漫画の場面を引用しながらアイヌ文化について語る本書は原作ファンにうってつけの入門書である。私はゴールデンカムイをまだ読んでないので、残念ながらより楽しむまでに至らなかったが、ゴールデンカムイのエッセンスから読んでない漫画への期待が膨らむ一冊でもあった。

 アイヌ文化については『アイヌ学入門』と被るが前掲書になかった記述について書きたい。まず、ゴールデンカムイが明治期が舞台であることから本書では明治期の北海道についての説明がある。その中に小樽への移住民の職業別統計を載せているが、その中で一番多いのがまさかの「不詳」。北海道全体に農地を開くために農民が、そういった人々を相手に商いをしようと承認が、と特定の目的での移住が多かった。しかし、小樽は別で「小樽に行けばなんとかなる」という空気を持つ特殊な町だったという。今でこそレンガ造りの倉庫や美味しい魚介類で有名だが、昔は「治安は悪いが金の匂いがする町」という印象だったという。今と昔で都市の印象が異なることはありがちだが、それにしたって変わり過ぎだと思う。

 ちょっとした小ネタとして面白かったのは「ロシア人」のことをアイヌでは「フレシサム(ムは小文字)」と呼ぶことである。このフレシサムは「赤い隣人」という意味である。ロシアで赤いといえば真っ先に思い浮かぶのはソ連だが、それとは無関係である。恐らくロシア人の髪が赤く見えたことからそう呼ばれていたと推測されているが、綺麗に一致してしまっているのが面白い。こういううんちくは好みなので、随所にうんちくが散りばめられた本書は非常に良かった。

 思い立って2冊アイヌ文化の本を読んだが、自分の知らないことだらけで目から鱗だった。文化について知ることはその土地に住む人を知ることにもつながる。これからも機会があれば積極的に触れていきたい所存である。

星新一『妄想銀行』

 星新一のショートショート集。内容についてはショートショートという性質もあり語るまでも無いが、本作も非常に面白かった。
 個人的に刺さったのは『人間的』という作品。利用しているロボットが優秀だがあまりに無機質すぎる、返事が「わかりました」と忠実過ぎて面白みがないという依頼者。それに対して開発者がロボットを修行に出し、人間味を出そうと目論むが・・・というあらすじ。オチも含めて今のAIに通ずるところがあるなと感じた。従来の自動返答ロボットでは無機質すぎるが、Chat GPTなど徐々に人間に近づきつつあるAIも生まれてきている。AIへの要望で行き着く先はどこも同じなのかも知れない。


 2月で3冊、3月も3冊で計6冊。文体もちょっと変えて書いたがあまりピンときていない。また戻すかも。
 この2ヵ月間、これら以外にプログラミング関連の本を数冊買い、1冊は読み切った。しかし読了とは少し違うのでここには載せなかった。機会があればプログラミングの話もしたいが、その道の人からお叱りを受けそうな雰囲気もあるので難しいかもしれない・・・

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