無為

私の人生観について、密に書き遺しておく。

無為

私の人生観について、密に書き遺しておく。

マガジン

  • 人生論

    〝自分〟をテーマにして、自分を大切にしてほしいという気持ちやなりたい自分になってほしいという思いを書き遺した。 誰かに期待するわけではなく、誰かに対してこうありたいということもなく、完全に自分と自分との向き合い方。 私の好きな記事4つ

最近の記事

no title

ただここに遺しておきたい。 タグ付けはしません。 電車に乗ったとき、私に気付かせることもなく触れることもなく、ただ他の人がよろけたときにぶつからないように私の後ろに手を回していてくれたことを電車の窓に映ったときに知った。 車に乗ったとき、Bluetoothを使いスマホと車のスピーカーが繋がっていたために、なんの気無しに自分のスマホから曲選んでかけていいよと、私や友達にサッと自分のスマホを手渡せることは普通の人にはあまりできることではないのだと最近やっと知った。 あの日、貴方

    • 能力と、貴方の心と、

      パートナーを選ぶときに、容姿、富、能力などを非常に重視する人がいる。 でも私はそんなにもそれらが重要だとは思わない。どちらかというと優先順位は低い。 他に見たいものが多すぎる、それは礼儀作法、素直にお礼や謝罪ができるか、どんなものに感動するのか、等である。 〈〝貴方に〟という私の記事と関連しています。短い記事なので是非そちらも〉 これは私が実際に体験した例だけれど、私は普段から毎日料理をしているので、料理をすることはあまり苦ではない。 そして過去に二人の異性それぞれにとある

      • 甘え

        以前のパートナーに「甘えていいよ」と言われたので、「ありがとう、では忙しいので連絡頻度を少し減らしてほしい」と伝えたところ「それは無理」と言われた。 頭を撫でられ肩にもたれかかるようなことをしてほしいとか、もっと自分に弱音を吐いたりしてほしいという意味の甘えていいよだったのだろうが、それは自分が甘えたいの間違いだろう。 そのとき私にとってなにより優しさとして必要だったのは休息だ。 当時、忙しい中頻度にある(私の場合は明日が早いときでも必ず毎日相手が寝るまで通話を

        • 愚劣

          思慮が浅い人間の特徴として 〝想像で物を語る〟 という特徴がある。 なったこともない性別、やったこともない経験に対して良し悪しを含め、様々なことをあたかもそれを熟知しているかのようにペラペラと述べる。 一見、自分にとってみれば、そうとしか考えられないことも実際に体験するとまるで違ったように感じられるなんて当たり前のことであるにも関わらず…。 これは体験したことのないことに対しても綺麗事や理想論を言い、善悪の規律を守ろうとすることとは違う。〈〝綺麗事〟という私の記事と

        マガジン

        • 人生論
          4本

        記事

          大人

          歳を重ねるにつれて考え方が凝り固まる、頭が固くなる、なんて言う人がいる。 傾向としてそのようなことは確かにあるかもしれない。 己のしてきた経験、体験が積み重なり確固たるものとして築かれる。 ただ、考え方も頭もひとそれぞれなのでもちろん傾向としてそのようなことはあっても、年配の方がみんなそうであるという偏った見方や前提でひとを見るのは浅はかであろう。 けれど、この頃それについて考えさせられることが度々ある。 それは、年齢が上がるにつれてひとに指摘や注意してもらうことが極端に減

          もう一度生まれ変わっても

          私は18歳頃…そう高校卒業したくらいまでずっと他人の人生が羨ましかった。 それは物心ついてからずっと。 家庭環境もあっただろうし、いわゆる自己肯定感がとても低い人間であった。 自分のすることに何一つ自信が持てず後悔ばかりで、いろんな人をただただ羨ましいなと思って見ていた。 自分に自信を持てるところがなく、いつも何かに怯えていたように思う。 だからこそ他人と自分を比べ、見せかけや表面的な数字に固執し苦しくなっていたのだと、いまならわかる。 そんなときある友達がふと放った言葉

          もう一度生まれ変わっても

          強さ美しさ

          ちゃんと揺るぎない自分を持っている人は、相手が間違ったことをしたときや間違ったことを言ったときにその場でそれはおかしいと言い、自分が不愉快に思ったことや自分が傷付いたことを素直に伝えることができる。 たとえ間違った言動をした人が大切な人であってもその場で直接その人に何も言わないのに後々別の人に不満を言ったりする人や、不愉快や悲しみを怒りに転換して相手にぶつけてしまったりする人や、何も言わず溜め込んでいきなりプツンと相手との関係を切ってしまったりする人は、非常に多いと思う。

          強さ美しさ

          自分の人生は自分で

          私は、年齢でひとを見ないからなのか、生活での活動区域からなのか、何故だかは明白ではないけれど、幅広い年代の知り合いがいる。10代や50代も、中には正確な年齢すらわざわざ聞かない人もいる。その中でも友達と呼べる人達はおおよそ25歳〜35歳の人がとても多い。 その年代では当然、結婚についての話題が比較的よくあがる。 そんな中で気づいたことは、私が仲良くなりたいと思い、いまも尚非常に良い関係を築けている友人達は結婚についても前向きで暗い話がないということである。 結婚までいか

          自分の人生は自分で

          気をつけるべき人間

          他人の不幸は蜜の味 このような言葉を理解するのはとても難しい、未だに正直よくわからない感覚だ。さらに背徳感を感じたいという気持ちも同様に私にはわからない。ただ、潜在的にそのような感覚を持っている人間が多いということはわかる。 加害者と被害者がある事柄において、好奇の目を向ける人間が私は苦手だ。 どちらの側のことも知り、これから自分や周りはどのような対策をすべきか考えることは普通のことであるし、必要なことでもあると思う。 ただ、加害者のバックグラウンドや、被害者の悲惨さや悲

          気をつけるべき人間

          言葉

          私は日本の好きな点はどこですか?と聞かれたのなら迷わず日本語と答える。日本語はとてもおもしろい。一つの言葉で使い方によって様々な捉え方ができるし、一つの意味なのに様々な言い回しが存在する。だからこそ和歌という嗜みが成立するのだろう。 そして日本語に限らず、 言葉には非常に強い力がある。 まず、言葉にはその人を映し出す鏡のような力がある。 優しさは言葉選びとして表れる。 持ち得るボキャブラリーは日頃の学習であったり、触れてきたものによって変わり、経験が表れる。 他にもたく

          学ぶということ〈補完〉

          このnoteをはじめて1番に〝学ぶということ〟という記事を書き遺した。〈30秒で読み終わる記事なのでそちらを読んでから是非https://note.mu/sftull1/n/nbb4758c41ebb〉 その記事では学ぶということは、大切な人の悲しみを理解できるようにすることや無知であるというのはひとを知らず知らずのうちに傷つけかねないということを述べた。 そして、更に今回はひとに対してではなく、自分に対してのことを書きたいと思う。 学ぶということは誰かを理解できることだ

          学ぶということ〈補完〉

          年齢

          ひとに年齢を聞いてその人自身について何を知ることができますか? その世代に流行っているものやその時々の環境は大まかに知り得るかもしれないけれど、それはその人自身ではないし、その人がその世代であるからその世代で流行っているものが好きでそのときの環境におかれているとは全く言えない。 大きなカテゴリーに分けて話をしたいのであればおおよその年齢は有効かもしれないが、それ以外には意味をなさないと私は思っている。 私より世代が上の人間の多くが、LGBTの問題に疎いというのはよく聞く

          因果応報

          自分の行いは自分に返ってくる。 誰しも出会ったことがあるだろう、何故かむやみに他人を見下そうとする人に。 その根底にあるのは、自己肯定感の欠落なのかもしれないし、あるいはいっときの優越感に浸りたいのかもしれない…。 誰かのある一部分で、自分の方が勝る部分を見つけ、それを貶したり馬鹿にしたりする。けれど、その部分においてその誰かには優っていたとしても他の誰かには自分は劣っているかもしれない。 自分が誰かを下に見るということは同時に自分が誰かに下に見られる状況も作っている。

          因果応報

          くだらない人間

          この人ダサいな、未熟だな、くだらないな、と思う人と、はたまたこの人かっこいい!この人には敵わないなぁと思わされる人との違いについて書きたい。 たくさん違う部分はあるだろう。ただ、今日はあえて真っ二つに分けることができる決定的な違いを一つあげようと思う。 早速だけれどその違いとは、 己のプライドのためだけに腹を立てるかどうかである。 王道有名漫画の主人公、超大御所芸能人、尊敬する徳のあるあの人、その人達は自分の悪口を誰かに言われたくらいで腹を立てたりするだろうか?

          くだらない人間

          コミュニケーションと対人関係

          対人関係において相手を知り、自分を知ってもらい、相性を確かめ、関係を築くためにコミュニケーションというものをしっかり理解しておく必要がある。 わかりやすいので私の実体験での具体例を挙げてから話をする。 とある土曜日、私は金曜日に起きた出来事により気分が沈み切っていて、誰かと外出する気力もなくただただ一人静かにベッドの上でぼーーっと過ごしていた。これがいつもの私の心のケアだった。 そんなとき、当時の交際相手からの着信があった。そして私の落ち込みように、何があった?話して?と執

          コミュニケーションと対人関係

          綺麗事

          それは綺麗事だ。そんなふうに正しく生きていけるほど人間は強くない。 だったら綺麗事を言うのは意味のないことなのだろうか? 汚くなってしまうよね、仕方ないよね、人間や人生なんてそんなものだよね。 そんなことを言いながら正当化し甘やかして生きていく方が良いのだろうか? もちろんその人達にしかわからないことはある、所詮人間は自分の人生においての自分の経験からの自分の価値観でしかものを見ることができないのだから。 でも、正しいことを主張することをやめてはいけない。 事実、ずっ

          綺麗事