大人


歳を重ねるにつれて考え方が凝り固まる、頭が固くなる、なんて言う人がいる。
傾向としてそのようなことは確かにあるかもしれない。
己のしてきた経験、体験が積み重なり確固たるものとして築かれる。
ただ、考え方も頭もひとそれぞれなのでもちろん傾向としてそのようなことはあっても、年配の方がみんなそうであるという偏った見方や前提でひとを見るのは浅はかであろう。

けれど、この頃それについて考えさせられることが度々ある。
それは、年齢が上がるにつれてひとに指摘や注意してもらうことが極端に減るということだ。
それはキャリアを積み、地位が高くなれば尚更だ。
そして、とても恐ろしいことに、間違いを間違いだと誰も指摘してくれず、自分では気づかないで上の立場であるにも関わらず間違いをし続けるなんてことは案外良くある。

人間はどれだけ人生を歩もうとも完璧にはなれないし間違いを幾度となくおかす。それは、言葉選び、礼儀作法、他人との関わり方、選択、全てにおいてだ。
それを間違いだと自分で気づけるものもあればひとに言われてはじめて気づけるものも多くあるだろう。

だからこそ、まだ指摘してもらえる年齢や地位であるうちにたくさんのことを経験し学ぶことは想像以上に大切なことである。そして年齢が高くなり地位もあり、周りに注意してくれる人間が少なくなったとき、自分のことを思って間違いやおかしいと思ったことを言ってくれる人は必ず大事にした方が良い。


※蛇足
この頃「拝見していただきありがとうございます」のような言葉を使う人を多く見かける。これは間違った日本語であるし、こんな言葉は存在しない。
自分の何かを見た相手に対するお礼であると思うが、だとしたらはじめの拝見は動詞で使うのなら謙譲語なので間違っているし、〜していただきという言葉も〜してもらうという言葉の謙譲語なので同時に使うともはや何も正しくないしどこに敬意を払いたいのかすらわからない。
例として「ご利用していただきありがとうございます」も間違いである。言いたいのなら「ご利用いただきありがとうございます」である。
そしてこの場合相手に言う言葉は「ご覧くださり(またはいただき)ありがとうございます」が正しい言い方である。


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