正解が存在しないからこそ情報発信する必要があるということ

本業が弁護士でありコンサルタントである私ですが、朝から晩まで基本的に情報発信のあり方について常に考えています。裁判用の書面を作りながらでもトイレをしながらでもYouTubeを観ながらでも頭の片隅には情報発信のあり方についての興味関心がある。全てのコンテンツをそのような目で観察してしまう。純粋に楽しめなくなってしまっているのかもしれない。

で、なぜ情報発信をしたいのかというと、世の中には絶対的な正解が存在しないテーマが多数存在し、それらのテーマについて各自の頭で考えることが非常に意義のあることだと考えているからです。正解が存在するのであれば議論する必要も無いわけで。

よく「情報発信したいけど自分の中でも結論が出ていないテーマについて書くのは恥ずかしい」といった声を聞くことがありますが、結論の出ないテーマだからこそ世に問う価値があるわけで。その思考過程を示すだけでも情報として価値があるはずです。

スマホがあってネット環境があればどこでも情報発信できるのだから、やらない理由はない。炎上も別に気にする必要は無い。炎上するということはそれだけの「引き」があるということなので価値が認められたということ。

誰しもの心の中にはきっと何かしらの伝えたいことがあるはずで、それをネットを使って吐き出せばそれだけでも立派なコンテンツになるわけで。アドセンス報酬目当てのトレンドブログなんかより遥かに価値がある。言いたいことを言うということには本当に価値がある。

正解の無い自身の思いをぶちまけるというのが情報発信の本質だと考えています。

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